ユーハバッハ率いる滅却師との激戦は、死神の勝利で終結した
尸魂界全土の被害は甚大で、復興には長い歳月がかかるだろうことは容易に想像できた
戦いの最中で総隊長に任命された京楽は、これから始まる目まぐるしいほど忙しい日々を想像して深く深くため息をついた

(あぁ…いつでも仕事をサボれてたあの頃が随分昔みたいだ…)

日々机に積まれていく書類をぼーっと眺めていると、「手を止めない!」と横から手刀が炸裂した

「痛いっ!?」
「まだ休憩時間ではありませんよ隊長。それが終わりましたら次はこちらです」

ドサリと追加された紙の束に「うげぇ…」と思わず声が漏れた


結局休憩と呼べる時間は10分にも満たず(ただただ食べ物を詰めこんだだけの食事とは言い難いものだった)、全ての仕事を終えた頃には日をまたいでしまっていた

(今から花街…だめだ、疲れすぎてる…)

疲れた日は甘いものか女の子と決めていたが、そのどちらも受け付ける気にはなれなかった

(忙しいのは今だけだ……今を乗り切れば……)
「…………とりあえず、風呂……」

色々考えても仕方ない、と両頬を軽く叩き、公衆浴場へ向かった


「っ〜…あ〜〜〜……きもちいい…」

貸切状態の公衆浴場で、軽く身体を流しすぐに湯船へ浸かった
足先からじんわりとあったまっていく感覚を我慢しきれずに声が漏れた
こうやってゆっくりと湯に浸かれるようになったのはいつ以来だろうか
ここ数年は色んなことが起こりすぎた
友となった死神の少女を助けようと瀞霊廷に乗り込んできた旅禍の少年は、今や世界を護った英雄だ

(……あの子には本当に申し訳ないことをしたなぁ…)

少年の友人たちにも不安を煽るようなことをしてしまった
これからはまともな人間らしい生を全うしてほしいと願うばかりだ

京楽がしばらく物思いに耽っていると、突然カラリと扉が開いた

「…なんだ、まだいたのか」

そこにいたのは十一番隊の隊長である更木剣八その人だった

「どうだった?」

乾いた血がこびりついた身体を念入りに洗う剣八に声をかけると、「まぁまぁだった」と返事が返ってきた
彼の隊には昼前に虚討伐の任務を与えていたが、今の時間に戻ってきたということはそれなりに手こずったらしい

「雑魚ばっかだったんだがよ、数がやたら多くてな」

剣八はそう言いながら湯船へ入った

「……あー……」

きもちぃ、と呟かれた言葉に、京楽は「満足できたかい?」と楽しそうに問いかけた

「…全然。ただ疲れただけだった」

本当につまらなかったんだろう、表情からは高揚した様子も満足した様子も見られなかった

そろそろ湯船から上がるか、と京楽が腰をあげると、同じタイミングで剣八も立ち上がった

「俺も出る」
「じゃあ一緒に出よう」

脱衣所で乱雑に髪を拭いた手拭で髪を上にまとめたあと、これまた雑に身体を拭いてさっさと着流しを纏った剣八の一連の流れが速すぎて、京楽は少し驚いた

「…着替え早いね」
「まぁな。先に待ってねぇとやちるが怒る…」

剣八はそこまで言ったあと、「…いや、なんでもねぇ」と顔を背けた

「やちるちゃんのためか。うん、とても剣八くんらしいね」

着流しを着込みながら京楽がそう告げると、「…チッ」と舌打ちが聞こえた


この公衆浴場は、使用頻度が1番高い十一番隊の近くに設置されている
抜け道を通ればすぐに隊舎が見えてくるくらい近い
剣八の寝所はその隊舎の一番奥にある一際大きい屋敷だった
京楽はスタスタと寝所へ向かう剣八の後ろをなにとはなしについていった
屋敷の前に着いたとき、剣八は足を止めてクルリと京楽のほうを向いた

「いい加減にしろよ、いつまでついてくるんだテメェは」
「……うーん、お布団まで?」
「さっさと帰れ」

バッサリと断られ踵を返されたが、京楽はゆっくりとした動作で剣八の大きな背中に手を当てた

「…、おい」
「…頼むよ、剣八くん」

独りで寝たくないんだ、と剣八の手を弱く握り縋るように額を背中に押しつけていると、少しの沈黙のあと大きいため息が漏れた

「……………寝るだけだからな」

渋々、本当に渋々と剣八は京楽を招き入れた


屋敷内は閑散としていた
そこかしこに子供の玩具が散らばっているのはおそらく剣八と(文字通り)1つになった幼子のものだったのだろう

「普段はやちるちゃんと一緒に寝てたのかい?」
「……あいつが勝手に入ってきてたんだ」

その素直じゃない言葉が少しだけおかしかった
そして過去形になっていることに少し胸が痛んだ
子どもは体温が高く、さらに陽だまりの香りが眠気を誘う
長い長い年月を共に過ごした最高の睡眠導入剤である幼子を失った彼は、果たしてゆっくり眠れているのだろうかと心配だったのも事実だ
おそらくは今日のように極限まで身体を疲れさせて、ほとんど意識を失うように眠っていたのかもしれない
「ここだ」と剣八に案内された寝室は、大きい屋敷に似つかわしくないほど簡素なものだった

「じゃ、おやすみ」
「えっ」

さっさと布団に入ってしまった剣八に拍子抜けしつつ、ちゃんと入る余裕を与えてくれているところが京楽は嬉しくなった
ひんやりとした布団に少し身震いしつつ、やがてじんわりと暖かくなっていく
京楽が温もりを求めて目の前の背中に擦り寄ると、剣八は少し身じろぎをしたあと寝返りをうった
規則正しい呼吸をする剣八はどうやら相当疲れているようだ
京楽が顔にかかる前髪を払いつつ頬に触れても目を開ける様子はない

(まあそりゃあそうだよねぇ…)

人一倍体力のある剣八と血気盛んな隊員たちには、瀞霊廷の復興作業ではなく流魂街の治安維持と、この混乱に乗じてやってくる虚の討伐任務を与えていた
力の拮抗する相手がいなくなってしまった剣八にとってもいいストレス発散になるだろうと思ったが、余計にストレスを溜めてしまっているようだ

(強敵がたくさんいたあの頃に比べたら、今の君は退屈で死にそうな状態なのかな)

戦闘特化というのも厄介なものだ、と京楽は思う
存外高い体温を持っていた剣八の首元に額を寄せ、石鹸の香りに隠れてほのかに紛れる血の匂いに、これまでの戦いの日々はようやく終わったのだと感じながら、京楽の意識はゆっくりと奥底へ沈んでいった



剣八は久々に夢を見た
桃色の髪が跳ねて自分の周りを楽しそうに走り回っている
名を呼び、肩に飛び乗り、笑う少女
少女の指さす方向へ走る
それはいつも通りの自分の日常だった


不意に目が覚めた
腕の中にはいつもいつの間にか潜り込んでいる幼子ではなく、草臥れたおっさんが間抜けな顔を晒して眠っている
頬をつつくと「んむ〜…やめてよ〜…ぐふふ」と気持ち悪い寝言を発したのですぐにつつくのをやめた

(二度と手に入らないものを夢に見た気がする)

どんな夢だったのかはもう朧気だが、少なくともそう感じたのは確かだった
それは確かにあった日常で
そして二度と戻らないものだった

(寂しいもんだな)

つい数日前まで確かにあった幼子の温もりは、記憶の中だけのものになってしまった
思わず京楽の着物をギュッと掴む

「どうしたの」
「っ!ぁ、…べ、つに」

突然聞こえた声に驚いて反応が遅れたが、京楽はそれを見て満足した様子だった

「ほら、目を閉じて…ゆっくり、ゆっくり…おやすみ」

両目を手で覆われ、言われた通りに目を閉じる
次に目を覚ました時、京楽はいなかった



京楽は翌日も書類仕事に追われていた
十分な睡眠をとったおかげか、今日はスムーズに仕事が進んだ
休憩時間をなんと30分もとれた

(あとでお礼しに行かなきゃ)

添い寝してくれた彼は非番だったはずだ
美味しい酒でも持って会いに行ってみよう
寂しがりなくせに素直じゃない彼のことだから、きっと昨日と同じように渋々入れてくれるだろう

そしてあわよくば昨日と同じように添い寝できれば最高だ
彼の隣はとても寝心地がよかった
あの体温が忘れられない

(楽しみだなぁ〜)

仕事終わりのことを考えて笑みを浮かべていた京楽に、「ニヤニヤしていないで仕事してください」と強めの手刀を脳天に食らわせる副官が現れるまであと5秒



おしまい




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