俺がお勤めをしていた25年の間、兄弟に何があったかは知らないし向こうが話すまで待とうと思っているのだが、今の兄弟を見ているとやけに昔のことを思い出した
それも兄弟と出会う随分前、大阪に住んでいた頃のことだ

靖子の病気が発覚して、臓器移植が必要だと知って、適合するのが酒浸りな父親のみ
酒を飲んでは靖子や母に手を上げる最低の男だったが、その男しか靖子を救えないと知って頭を下げた

「靖子を助けたってください…!」

頭を床に擦り付けてひたすら頼んだ
大事な妹の命が救えるならこんな頭いくらだって下げた
すると男はそれを嘲笑うかのように法外な金額を請求してきた

「…、え」
「靖子救いたいんやろ?」
「な、っ…」

実の娘すら食い物にする男のやり方に心底嫌悪したが、金さえ貯まれば妹は助かると信じてチンピラ狩りをはじめた
学がない俺にはそれしか思いつかなかった
チンピラの持つ金なんてたかが知れてる
一日中喧嘩に明け暮れても指定された金額には程遠く、通院費で全て無くなってしまう
いつまでたっても金は貯まらなかった
俺は己の不甲斐なさを悔いた
真夜中、苦しそうに息を吐きながら眠る靖子の手を握って、「こんな兄ちゃんでごめんな…ほんまごめん…」と涙を落とした
靖子の命は風前の灯だった

そのうちチンピラからヤクザに対象を変えると、奪える金も増えたが報復も多くなった
その日も金を奪ったあと仲間のヤクザに追いかけられ必死に逃げていた

「ハァ、ハァ…!」
(どっか、どっか隠れられるとこ…!!)
「待てやこのクソガキィ!!」
「おどれェ!タダで済む思うなや!!」

捕まれば殺される、そう思うと自然と足も速くなった気がした

路地裏へと続く道を曲がった途端、腕を掴まれた

「っ!?」

そのまま引っ張られ、大きな手で口を抑えられた

「ん!!んーーっ!!」

逃げようともがいていると、小さな声で「静かにせぇ!」と怒られた

「あいつら撒きたいんやろ」

しばらくじっとしとき、そう言われてしまえば暴れる理由はない
言われた通りにじっとしていると、追いかけてきていた怒鳴り声は遠くへ行ってしまった

「ふぅ〜、ヒヤヒヤしたのぉ」
「…おおきにやで、おっさん」

物陰から出ると男の容姿がよく分かった
遊び人のような髭面の顔とだらしない格好
見るからに胡散臭そうな、それでいて危険な匂いのする男に少しばかり警戒しながらも、助けてくれたことに変わりないので礼を述べた

「かまへんかまへん。それより兄ちゃんあれやろ、最近巷を賑わせとるヤクザ狩りの兄ちゃんやろ」
「っ!!」

ニンマリと笑う男に一気に警戒心を強め臨戦態勢をとった
そんな俺を見た男は何故か嬉しそうな顔をした

「…あんた、ヤクザなんか」
「お、なんや?喧嘩するんか?」
「……金が必要やねん」
「ヒヒッ!ええんか〜?ワシは強いでぇ?」

男は笑みを浮かべたままだが、強い殺気を隠そうともしない

「…あんた、何者や」

ゴクリと唾を飲み、冷や汗をかきながら尋ねた

「ワシが何者かなんてどうでもええやろ。それより喧嘩や!」

楽しませてくれや兄ちゃん、と舌なめずりをして今にも飛びかからんとする男だったが、突然けたたましい音が鳴り響いた
お互いにビクリと身体を震わせ、男がスーツの胸ポケットからポケベルを取り出した
表示された番号が嫌な相手のものだったのか、男のテンションが下降していくのが目に見えて分かった

「……なんやねん、人がせっかく楽しい喧嘩できる思ったとこやったのに」

先程の鋭い殺気はどこへいったのか、一気にしょげかえる男を見て思わず笑ってしまった

「兄ちゃんええ男になりそうやからな、また会ったら今度こそ喧嘩しよや!」
「…会えたらな」
「約束やで!ほな!」

ぶんぶんと大きく手を振り去っていく男に手を振り返し、小さく息を吐いた

(台風みたいなオッサンやったな…)

一喜一憂する男の姿を思い出すと笑いがこみ上げてくる
こんなに自然と笑顔がこぼれたのは久しぶりだった

(また会えるとええなぁ)

そんなことを考えながら、俺は家路を急いだ


「結局あれ以降会わんかったなぁ…」
「なにがや?」

どうやら声に出ていたらしく、目の前で酒を飲んでいた兄弟が訝しげな目を向けていた

「いやな、俺がまだ大阪におった頃のこと思い出しとった」
「なんで今それを思い出したんや」
「お前見とったら思い出してん」
「?」

首を傾げる兄弟とあの男が不意に重なり、笑ってしまった

「なに笑っとんねん!」
「ふふ、いや、すまん…」

げしげしと足を蹴られるが痛くはない
面白くないとでも言うように不貞腐れる兄弟の頭を強めに撫でると「痛いわ!」と払われてしまった

「喧嘩の約束したんはそのおっさんが初めてやってん。結局会わずじまいなんやけどな」

ほんまお前にそっくりやったわ、と言うと、ニヤリと笑って「なら俺でええやんけ。喧嘩しようや兄弟」なんて言い出してしまった

「せやな、これ飲んだらしよか」
「ホンマか!」

キラキラと笑顔を浮かべた兄弟は、本当にあの男とよく似ていた

(いつか会うことがあれば酒でも飲みたいなあ)

そんなことを考えながら、酒を呷った





『ヒヒッ!思てた以上のええ男になったなぁ、兄ちゃん!』
どこか懐かしい声が、聞こえた気がした


おわり



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