「兄弟、星見に行くで」

いつも通りの何気ないある日の夕方
もう陽も沈みかけてもうすぐ夜になるであろう頃
目の前に座っていた冴島は何を思ったかいきなり立ち上がりそう言った

「…は?」

突拍子もない発言に驚いて冴島を見ると、先ほどまで上半身裸だったはずがすでに上着を羽織っていて、出かける気満々といった様子だった

「靖子ー、はよ行くぞー」
「夕ご飯の支度済んどるんやけど…食べてからやとあかんの?」

台所で作業していた靖子が振り返り困ったように声をかけたが、「飯は帰ってきてからでも食えるやろ」という言葉に説得を諦めたのか、渋々着けていたエプロンを外して出てきた
兄妹のやり取りをただ呆然と眺めていると「なにしとんねん、お前もはよ準備せぇ」と頭を小突かれ、慌てて吸っていたタバコの火を灰皿に押し付けた


「いっつもいきなりなんやから…ごめんね真島さん、お兄ちゃんのわがままに付き合わせてもうて」
「いやいや、靖子ちゃんが謝ることないで?せやからそんな顔しなくてええよ」
「うん…ほんま堪忍な」

申し訳なさそうな顔で何度も謝る靖子に苦笑しつつ頭を撫でると、照れたように笑顔を見せた

「ほれ、はよ行かんと置いてかれてまうで」

トン、と背中を軽く押してやり兄の隣へ行くように促した

「うん、ありがとうね」

だいぶ先を歩いていた冴島のもとへ小走りで近づいた靖子がその左手を握ったのを確認してから、持っていたタバコに火をつけた

「待ってお兄ちゃん、歩くの速い!」
「お?おお、スマンな」

聞こえてきた声とともに冴島が靖子の歩幅に合わせ少しだけ歩く速度を落としたのを見て、気付かれないように小さく笑った

(………あかんなぁ、ホンマに…)

チクリと痛んだ胸にも気付かないふりをして大きく煙を吸い込み、ゆっくりと吐き出した




「ここや」

しばらく歩いてると冴島がいきなり立ち止まった

「ここ?」
「せや。めっちゃ綺麗やろ」
「うわぁ…!すごい!」

街外れで明かりもない、少しひらけた草むらへ靖子とともに腰を下ろし、お前も来いとでも言うように手招いた
靖子を挟んで隣に座り空を見上げると、確かに満天の星が広がっていた

「たしかに…綺麗やな」

独り言のように小さく呟くと、「どうしてもお前に見せたかってん」といった冴島の声が聞こえてきた

「え、」

ドキリとして隣を見るが彼はこちらを向いておらず、靖子と星座の話で楽しそうに笑っていた

(……ンなわけない、だろ。当たり前だ)

妹に対して言ったものを勘違いするなんて、と気づかれないよう自嘲気味に笑って、改めて空を見上げた

(キレーやなぁ)

『知ってるか?星には名前があるらしいぞ』

ふとどこかで誰かが言っていたことを思い出し、こんな無数の星々1つ1つに本当に名前がついているのだろうか、そもそもなんで名前なんて付けてるんだ、なんてくだらないことを考えていると、隣の話し声が耳に入った

「あれがデネブ、あれがベガ、あれがアルタイルやな。あの3つで夏の大三角や」
「お兄ちゃんなんでそんなこと知ってんの?」
「あれも星座みたいなもんやからなぁ…それでちゃうか?たしかあのベガが織姫で、アルタイルが彦星やったかな」
「七夕の?…ロマンチックやねぇ」

ほのぼのとした兄妹を横目に見ながら冴島が指さす方向をさりげなく見上げた

(……どれも同じや。わけわからんな)

確かに一際輝いてる星がいくつかあると思うが、どれがどれだったかなどそもそも興味がなかった
ゴロンとその場に横になって目を閉じていると、そのうち兄妹2人も静かになっていき、辺りは静寂に包まれた



「……?」

やけに静かすぎると思い目を開けると、靖子は冴島の肩にもたれかかって寝息をたてていて、しかしよく見ると冴島のほうも舟を漕いでいた

「全くこの兄妹は…」

関西弁も忘れてため息をつくと、起こすためにその肩へ手を置いた

「兄弟、寝るんやったら帰ろうや…っ!」

声をかけるとグイと手を引っ張られ体勢を崩された瞬間、唇へ柔らかい感触が伝わった

「ぁ、ぇ…?」

それはあまりにも一瞬だったので思わず指で触れたが、どうやら間違いではない
その証拠に冴島も同じように唇へ手を当てていた

「あー、えっと…その…スマン」

驚かせよ思ただけやねん、と珍しく歯切れの悪い冴島の答えに、知らず笑みがこぼれる

「別に気にせぇへん。事故やと思っとくわ」

いまだに気まずそうなその長い髪をこれでもかとぐしゃぐしゃにかき混ぜていると、なんとも言えない顔をした冴島と目が合った

「……、すまんな」

すぐに目は逸らされたが、その表情はどことなく傷ついたようにも見えた



「んー…ぁ、ごめん…わたし、寝とった?」
「ヒヒ、靖子ちゃんヨダレ垂らして気持ちよさそーに寝とったで〜」
「ええ?よだれなんて垂らしてへんよ〜」

靖子と話す真島はいつもと変わらない

「よし、帰るで」

アパートへと帰る道中も真島はいつも通りだった
表情が変わったのはあの一瞬
唇が真島のソレに触れたあの一瞬だけだった

(なんやったんやあの顔…)

驚きと期待が入り混じった表情を向けられ、どうしていいか分からなくてあんなことを言ってしまった
唇が触れた感触を思い出すたびに真島のあの顔が浮かんでしまう

「あー…あかんわ…」

またあの顔が見たいと思ってしまったなんて








「…い!おい!兄弟!」

後ろから真島の怒鳴り声が聞こえてきた
振り返ると険しい顔の真島が勢いよく飛びついてきたので難なく受け止めてやる

「歩くの速いねんお前!さっきからどんだけ呼んでも返事せぇへんし!」
「すまんな。考え事しとった」
「あ?…何考えとったんや」

抱きついたまま訝しげな目を向ける真島の顎を掴み、強引に唇を奪った

「こういうことやな」
「〜〜〜っンのドアホ!!」

唇を離すと、顔を真っ赤にした真島は飛びついた時と同じように勢いよく離れ、ついでというように尻を蹴られてしまった

「痛いわ」
「嘘つくなや!」

何気ないやりとりもじゃれあいも全てが懐かしく、愛おしい

「…幸せっていうんはこういうことなんやろか」
「あ?なんやねん急に」
「今ふとそう思っただけや」

不機嫌そうな顔を向けた真島に笑い返し、「今度、星でも見に行こか」と声をかけた
その言葉に目を丸くした真島だったが、何か思い当たったのかほんのりと顔を赤く染め、小さく「……………おう」と返事を返した




おしまい



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