普段からよく喧嘩をする、というかやたらと絡まれる。
声をかけられて振り向くと殴られる、なんてこともよくある。
その都度返り討ちにするから問題ないではあるが、怪我をしない日なんてものはほぼない。
今日も今日とて、振り向きざまに頬に1発くらった。
すぐ体勢を立て直して殴ったやつの顔面に蹴りを入れた。
こういうやつらはだいたい数人で行動するもので、今日の連中もやはり4人ほど取り巻きを連れていた。
しかし雑魚を何人連れても所詮は雑魚なので数分後には全員撃沈していた。

「相手見て喧嘩売れや、どアホ」

意識もあるか分からない奴らに悪態をついてその場を去ろうと背を向ける。
しかしふと視界の端になにかが映った。
再び向き直ってよく見ると、それは銘柄こそ違えどこの間初めて味わった(味わわされたと言うべきかもしれない)煙草だ。
あの日以降吸う機会もなかったが、これはこれで味が違うのかもしれないと思い、一緒に入っていた安物のライターもかっぱらった。
その場で1本銜えて、火をつける。
じわじわと赤くなる先端を見てゆっくりと煙を吸う。
この間のものとは若干違うのかもしれないが、やはりよく分からない。
なによりこの間よりもどことなく不味い。
これ以上は無理だなと判断して、すぐに口から離して火を揉み消した。
しかし匂いは衣服についていてそれがさらに不快感を煽った。

(この間のと何が違うんじゃろ……)

そんなことを考えながら家路を歩いていると、反対側から見知った顔が歩いてくるのに気づいた。
向こうもこちらに気づいたようで、気安く声をかけてくる。
それにイラッとしつつ「今はおどれに構っとる暇はねーんじゃ!」と吐き捨ててすれ違った。
その瞬間、手首を掴まれて引っ張られた。
文句を言おうと相手の方をむくと、何故か怒っている。
普段見せない様子に少し怯み、「虎鮫?」と声をかけるも、無言のまま。

「おい!!離せやぁ!!どこ連れてく気じゃあ!!」
「…………」

ジタバタ抵抗しても手首が離されることはなく、虎鮫も口を開こうとしなかった。

数分後、着いたのは質素なアパートだった。
頭に疑問符しか浮かばない。
外階段を上がって2階のとある一室にそのまま連れ込まれた。
ガチャ、と鍵の閉まる音がして思わず肩が跳ねる。
そこでようやく手首が解放されたが、虎鮫は「靴脱いで上がってこい」とだけ言って先に奥へ入っていってしまった。
そのままドアを開けて逃げる手もあったが、ここで逃げるのも癪なので言われた通りに靴を脱いで虎鮫の後を追う。
リビングらしき場所に虎鮫はいた。
そばには救急箱がちょこんと置かれていて、不機嫌そうな顔に似合わない組み合わせに思わず吹き出した。
その様子を見た虎鮫に「なぁにを笑ぅとるんじゃ!はよぉこい!」と怒られ「へぇへぇ」と向かいに座る。

「よーけ傷つくってからに……」
「……なんでお前がそがァに怒っとるんじゃ?」
「うっさいわクソガキ。黙っとれ」
「誰がクソガキじゃ!!」
「お前以外に誰がおるんじゃ」
「ぐっ…!」

怒ってるのは言動からもしっかりはっきり伝わっているが、ちゃんと手当てしてくれる虎鮫にむず痒い気持ちになる。
しかし疑問は残る。
手当てが終わって救急箱を仕舞う虎鮫にその疑問をぶつけた。

「なぁ」
「なんじゃ」
「なんでそがァに怒ォとるんじゃ。わしなんもしとらんじゃろ」
「…………怒ォとらん」
「いや怒ォとるじゃろ」
「怒ォとらんて言うとるじゃろうが!」
「嘘言うなや!さっきからずっと怒ぉとったじゃろうが!!」
「「〜〜〜〜〜〜〜ッッ!!!」」

胸倉まで掴んでお互い喧嘩腰になるも、手当てした直後に怪我はしたくない、させたくないと虎鮫も思ったのか、渋々ゆっくり手を離して勢いよく顔を背けた。
すると虎鮫の方からなにやらガサガサと音がするのでちらりと見ると、タバコを1本取り出して火をつけようとしているところだった。

「1本くれ」
「あ?……ほれ」

虎鮫は一瞬怪訝そうな顔をしたものの、特になにを言うでもなく箱から飛び出た1本を差し出してきた。
そのままそれを咥えて、「ン、」と火を要求する。
その一連の流れをタバコをふかしながら見ていた虎鮫は、呆れたようななんとも言えない顔をしていた。
大きく息を吐いた虎鮫が近づいてきて、タバコの先端が触れ合う。
ほんのり赤くなると離れていき、それを寂しいと思ったが気のせいだと思いこんだ。
ゆっくりと吸い込んでゆっくりと吐き出す。
先程味わった煙草とは全く違う味で、内心驚いた。

「んー……」
「どしたぁ?」
「さっき吸ったんより美味く感じるけぇ、なんでやろなぁって」
「……この間言うたじゃろ。2人だと火ぃの付け方が違うけぇ、その分美味いんじゃ」
「まあ不味いは不味いけどの」
「…………このクソガキ…」

怒ったような口調の虎鮫だが、その雰囲気は先程とは全く違い、どちらかというと機嫌がよくなっていた。
(やっぱり怒っとったじゃろ…)と思いつつ、なんとなく今の空気を壊したくないので口に出さないことにした。

「さっき吸ったんはクソ不味いけぇ、1回吸うてやめたんじゃ」
「……これはどうじゃ?」
「これも不味い。……けど」
「けど?」
「クセになるっちゅーか……たまに欲しくなるっちゅーか…」
「…………ほぉ?」

途端にニヤついた虎鮫にイラッとしつつ、タバコを吸うことはやめない。
なにかと話をしていると、気がついたら夜にさしかかろうとする時間になっていた。

「もう帰らんと……」
「おお、長居させてもーた。すまんの」

急いで靴を履いて玄関のドアを開ける。
虎鮫は玄関の外まで出て、見送ってくれた。
「気ぃつけて帰れよぉ」と手を振る虎鮫に気はずかしい気持ちになりながら黙って小さく手を振り返す。

(……身体から虎鮫の匂いがする)

アパートが見えなくなってしばらくして、虎鮫の匂いが自分からすることに気づいた。
これがタバコの匂いなのだと理解するまでに時間がかかったが、あの雑魚からとったタバコの匂いは不快でしかなかったのに、今は嬉しいというか、なんというか。
言い表しにくい感情だが、嫌ではないのは確かで。
訳が分からなくなって頭をかく。

「……なんかムカつく」

気を紛らわせるようにボソッと独り言を呟いた。
そして、次に会ったら先手必勝で蹴りを入れよう、そう心に決めたのだった。





──────────────

(ああ、焦った)

アパートの2階から岩田の姿が見えなくなるまで眺めていた。
見えなくなるとすぐに部屋に戻って、大きくため息をついた。

良くも悪くも、岩田には人を惹きつける魅力というものがある。
厄介なのは、それに本人が気づいてないということだ。
だからよく絡まれるし、自然と周りに人が集まるのもそういうわけだ。
そんな彼が、自分の知らない傷をつくり、知らない匂いをさせていた。
心の奥がザワつき、いてもたってもいられずに連れ込んでしまった。
手当てしてる最中も憎まれ口を叩く彼に半ば本気で怒ると、ちょっとだけしゅんとした。
変なところで純粋さをだす彼をからかうのは面白いが、タバコの火を求められた時は正直誘ってるとしか思えなかった。
押し倒さなかった自分を褒めたい。

「ワシの知らんとこで怪我すなや…全く……」

ポツリと出た独り言に自分で驚いた。
これじゃあただの醜い嫉妬じゃないか、と。

「…………マジかぁ…」

気持ちを自覚して天を仰ぐ。
不思議と納得したものの、これから彼をどういう目で見たらいいのか分からず、その日は結局眠れなかった。



おしまい



back