好きになったのは早かったと思う。

小学3年のころ、喧嘩後でボロボロの兄と一緒にやってきた人。
兄の友だちと言われても、厳つい顔に兄とは全く違う大きい体格に最初は信用できなかった。

「十三の友だちの鮫島ってんだ。よろしくな」
「気軽にオッサンでいいってよ」
「言ってねーよ!!?」

でも、普段はクールな兄が彼にとる気安い態度で本当に友だちなんだと納得した。
兄の真似をしてオッサンと呼んだら「十三が変なこと教えっから…」と落ち込んでいたので(兄は笑っていた)、じゃあなんと呼べばいいかを尋ねると彼がしゃがみこんで、同じ目線になったと思ったら「鮫でいいぞ」と笑って、大きくて固い手で乱暴に頭を撫でられた。

兄とは何もかも違うその人。
全てが印象的で、強烈だった。
撫でられていた時間はそんなに長くなかった(すぐに兄が彼を引き剥がした)が、その最中はずっと固まってしまっていた。

「怖かっただろ将五」
「いや怖くねーだろ……怖くねーよな?」
「うん、えっと…怖くない」
「脅してんじゃねーぞ鮫。将五が怯えてんじゃねーか」
「脅してねーだろうが!ったく…じゃあ将五またな」
「うん!」

兄が背中を向けた隙にまた頭を軽く撫でた彼はゆっくり立ち上がって、救急箱を片手に持った兄と一緒に2階の部屋へ消えていった。
頭に乗った手の感触や体温が徐々に消えていく。
そのことに寂しさを感じると同時に彼を一人占めする兄を羨ましく思いながら、3人用のソファーに寝転んでテレビの電源をつけた。
それからしばらくボーッとバラエティ番組を眺めていると、手当てを終えた彼がリビングに現れた。

「すげーだらけてんな」
「え、あっ、鮫さん!」

声をかけてくるとは思わなかったので慌てて姿勢を正すと、彼は面白そうに笑いながら隣に座った。
顔が熱くなっているのが分かる。
彼は隣でテレビを見て笑っているが、その内容も入ってこない。
心臓がうるさくて聞こえてるんじゃないかと思うくらいだ。
いきなり黙ったのを不審に思ったのか、隣の彼がこちらを見た。

「どーかしたか?」
「いや、あの、兄ちゃんはどうしたのかなって」

しどろもどろになってしまったのを恥ずかしく思いつつ聞いてみると、「あいつなら寝てるぞ」と返ってきて固まった。

「え…そうなんだ…」
「なにか約束してたのか?」
「…キャッチボールしてくれるって…言ってたのに」

兄との約束が果たせなくなったことに落ち込んでいると、隣の彼が突然立ち上がった。

「じゃあ俺とやるか?」
「えっ!」

彼の言葉に驚いて見上げると、「やっぱり十三じゃなきゃイヤか」と申し訳なさそうに笑った彼にまた心臓が高鳴った。

「ち、ちがう!あの、びっくりして…」
「そうか?でもイヤなら別に…」

うまく言葉にできないのを悔しく思いながらイヤじゃないことを伝えると、彼はようやく「じゃあやるか」と笑ってくれた。
2階にある自部屋から自分のと彼の(普段は兄が使ってる)グローブを持って階下に向かった。
リビングに着くが彼がいないことに気づきソファーの方に行くと、彼は横になって寝息を立てていた。

「ねてる…」

その時感じたのは兄が寝ていると聞いたときのような落胆でもなく怒りでもない、今まで感じたことの無いものだった。
何故か触れたかった顔が目の前にある。
おそるおそる手を伸ばすと、指先が頬に触れた。
心臓が痛いほど鳴っている。
どうにかなってしまったんだろうかと思うほど。
頬から口元へ指を移動させた。
見た目とは裏腹に柔らかい唇に人差し指が触れた。
驚いて手を離すと同時に彼が目を覚ました。

「んが…あ、悪い将五…寝てた」
「い、いえ!だいじょーぶ、です」
「んん…っ、と!よし、じゃあキャッチボールすっか」
「はい!」

グローブを手渡すと「お、ありがとな」と頭を撫でてくれた。
玄関で彼が靴を履いている時、唇に触れた指を自分の唇へ持っていき軽く触れた。

(間接キス…なーんて)

そこまでしたところで急に自分のしたことが恥ずかしくなって体温が上がった。
誤魔化すように頭を振って、先に外へ出た彼を追いかけて急いで靴を履いて玄関の扉を開けた。
近くの空き地まで一緒に歩いて行って、暗くなるまでキャッチボールをした。

「キャッチボールなんて久々だったわ」
「そうなの?」
「兄弟もいねーからなー。それにしてもさすが野球少年。変なとこに投げちまったのも全部捕っちまうんだもんなぁ」
「へへへ」

帰り道は彼の直球な褒め言葉にくすぐったい気持ちになりながら、一緒に家まで歩いていた。
初めて会う兄の友だち。
それ以上でもそれ以下でもないはずなのに、さっきからずっと治まらない胸の高鳴りは、こうやって一緒に並んで歩いてるだけでますます大きくなっていった。

「ねぇ鮫さん」
「なんだ?」
「あの…また遊んでくれる?」

家が近づくにつれ、自分を送り届けたら彼も帰ってしまうのだと気づいた時、咄嗟に彼の手に触れた。
彼がこちらを振り向いたが何を言うか考えてなかった。
出てきたのが兄にもしたことがない子どもじみたおねだりだ。
呆れただろうなと俯いていると、頭に優しく手が触れた。

「俺でよけりゃいつでも遊んでやる」
「わ、っぷ…」

嬉しそうに笑った彼は乱暴に撫でてきた。
いたいよ鮫さん、と笑いながら言うと、あっさり手が離れていって少し寂しかった。

彼が帰ったあと、兄の部屋に行って彼が今度はいつ来てくれるかを尋ねた。
兄からは「さぁな。来たい時に来るだろ」とぶっきらぼうな言葉が返ってきて、少し落ちこんだ。

「…分かった」
「なんだ?随分鮫が気に入ったんだな。そんなに好きか?」
「え、」
「ん?」

兄から出た言葉に固まった。
『好き』という言葉はよく同級生の女の子から言われることはあった。
でもどういう気持ちが『好き』なのかよく分かっていなかった。

(好き?好きって、だってでも鮫さんは男だし俺も…でも)
「おーい、将五ー?」
(あんなにドキドキしてたのに兄ちゃんの前だとなんでもないし、でも鮫さんのこと思い出すだけでこんなに…)
「将五ー??」
「あ、な、なに?」
「なにって、さっきから呼んでたんだが。…お前顔真っ赤だぞ」
「っ!!」

なんでもない!と兄の部屋を飛び出して、向かったのは母のいる1階のリビング。

「ねぇ母さん…好きってどういう気持ち?」
「あら、難しいこと聞くのね…お年頃かしら」
「ちゃんと答えてよ…」
「そうねぇ…その人を思い出すだけでドキドキして、会えば顔から火が出るんじゃないかってくらい熱くなるの。でも会えない時はとっても苦しい…好きってそういうものだと思うけど」
「そっ、か」

好きな子できたの?という母の問いかけにはなんでもないと誤魔化して、自室のベッドに飛びこんだ。

(そっか、鮫さんのこと…好きなんだ)
「……会いたいな」

布団を被って枕をぎゅっと握る。
初めて『好き』を自覚した夜は苦しくて切ない夜だった。



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