村田十三という男は昔から目立つ存在だった。
中学校入学時にはすでに左頬から右頬にかけて一直線に大きく真一文字の傷が走っていたし、2年や3年の先輩連中には見向きもしなかった。
だからなのか、入学してから1週間も経たないうちにそいつらから目を付けられ、呼び出しをうけていた。

「村田ァ!テメェ今日こそは来ねーと許さねーぞ!」
「……」

教室ではもはやお馴染みになってしまった毎朝の呼び出し。
最初のころは皆ビクビクしていたが、毎日だとさすがに慣れてしまっていた。
当の村田は窓側一番後ろの席で寝たふりを決め込んでいたが、誰かが言った「もう行ったぞ」の言葉にゆっくりと面を上げた。

「おめーまだ行ってねーのかよ」
「……じゃあ鮫、お前が行ってこい」
「呼び出されてんのはおめーだろ」
「…チッ」

苦虫を噛み潰したような顔で舌打ちする村田は見ていて飽きなかった。

「そんなに嫌なら、俺みたく呼び出したやつを叩きのめせばいいじゃねーか」
「……それができりゃいいがな。1人じゃなにもできねー奴らだから集団なのは間違いない」

やれやれ、とでもいうように村田はため息をついた。

入学式が終わってすぐ呼び出されたのが、俺の中で一番新しい喧嘩の記憶だった。
確か3年だと言っていた気がする。
ガタイもでかくて目立っていたのが気に食わなかったんだろう。
素直に言われた場所に来たが誰もいないので帰ろうとして、背後から角材か何かで殴られたことまでは覚えている。
気が付けば呼び出した男は地に伏していて、俺は頭から血を流しながらその男に馬乗りになっていた。
やばいと思って咄嗟に立ち上がり辺りを見回したが、誰もいないことにホッとした。
そして過ぎたことは仕方ないと気持ちを切り替えて、とりあえず気絶していた男を保健室へ運んだのだった。
しかし実はその場に村田もいたらしく、次の日教室でいきなり声をかけられて驚いたのも記憶に新しい。
その時「なんで止めなかった」と聞くと、村田は「上級生同士の喧嘩だと思った。悪いな」そう言って笑った。
それからだ、こうしてつるむようになったのは。

「一緒に行ってやろうか?」
「……本気か?」
「いいぜ、暇だしな。見物がてら行ってやるよ」
「…顔に似合わず悪趣味だな」
「うるせーな!一緒に行ってやんねーぞ!?」
「ふっ…悪かった。じゃあ頼むぜ」
「最初からそう言やいいんだよ」

村田とは知り合って2週間も経たない短い付き合いだが、お互い不思議な信頼があった。
相手の考えてることが容易に分かることもあるし、こちらの考えを先に言葉にされたりということも多々あった。
憎まれ口を叩くのも村田の照れ隠しなのは分かっているのだ。
お互いにニヤリと笑ってその時を待った。


そして放課後。
指定された場所に待ち受けていた相手は10人ほどいた。
対して俺らは2人。
明らかに数では不利だが、負ける気はしなかった。

「ようやく来たか村田ァ!」
「毎朝教室まで来られると迷惑だからな。黙らせにきたぜ」
「ンの野郎…!先輩をコケにすんのもたいがいにしとけよ!!おいテメーら!やっちまえ!!」

合図と同時に周囲を取り囲まれる。
村田と背中合わせになりながら、俺は妙な高揚感に包まれていた。

「鮫」

周りで雑魚が煩く喚いてるのに、耳に入ってくるのは後ろにいる村田の声だけだった。

「なんだよ」

周囲を注意深く見ながら返事をすると、村田は「すげードキドキしてる。初めてだこんなの」と楽しそうな声色で呟いた。

「そーかよ。俺もだ」

村田の言葉にニヤリと口角が上がったのが分かる。

「楽しもうぜ」
「おう」

「「うおおおおおお!!!」」

背中合わせで互いの拳をコツンとぶつけ、その瞬間取り囲んでいた群れに自ら突っ込んで行った。




結果は、なんとか勝てた。
足下には取り巻きたちが倒れ伏している。
十三はボロボロになりながらも、呼び出した張本人に馬乗りになってボコボコにしていた。

「も、もう…ユルヒて…ゴフッ」
「村田!もうやめとけ!!」
「まだまだ足りねーよ」
「もう十分だろー、が!」
「っ!!」

完全に戦意喪失した張本人をなおも殴ろうとする村田を止めようとするが全く聞く耳を持たない。
仕方なく、振り上げられたその手を掴んで無理やり立たせた。
村田は「離せ!」と喚いてしばらく抵抗していたが、そのうち無駄だと悟ったのか乱戦の疲れがドッと押し寄せたのか、何分と経たないうちに大人しくなった。


鴉の鳴く声が聞こえる。
気がつけば辺りはすっかり橙に染まっていた。
村田とは途中まで帰り道が一緒だったので、連だって歩いていた。

「あいつらもこんだけやられりゃーもう寄りつかねーだろ!」
「……そう、だな…」

だはは、と笑う俺に対しなんともつかない返しをした村田を訝しげに見やる。

「どうした?」
「…………つ、かれ、た」

フラフラと覚束無い足どりでそう呟いたかと思えば、ぐらりと身体をこちらに傾けてきた。

「おい!?」

慌てて村田を見ると、小さく寝息が聞こえる。
恐らくあれだけの人数を相手に喧嘩したのが初めてで多少なりとも緊張していたのだろう。
張りつめていた糸が切れるように崩れ落ちてしまった。
どんなに揺らしても呼びかけても反応しないので、俺は途方に暮れた。

「あーもう!しょーがねーな!!」

俺だって疲れてんのに!と独りごちながら、起こさないようゆっくりと背中におぶってやった。
途中まで一緒とは聞いていたが、家自体はどこにあるか分からない。
人相の悪さには悲しいかな自信があるので、人に聞いたら余計な噂を立てられてしまうのは明白だった。
それなら泊まらせたほうが手っ取り早いと思い自分の家に帰ろうと歩を進めていると、野球のユニフォームを着た小学生くらいの少年がじっとこちらを睨みつけていた。

「……何見てんだよ」
「兄ちゃんをどこ連れてくんだよおっさん!」
「お、おっさん…!?」

少年の放った言葉にショックを受けていると、少年はなおも睨みつけたまま今度は持っていたバットを構えた。

「兄ちゃんを放せ!」
「兄ちゃん?ああ、村田のことか?お前こいつの弟なのか?」
「だったらなんだ!」

なおも警戒を解かない少年に苦笑いしつつ、「家まで運んでやりてーんだが場所が分からねーんだ」と答えると、ようやく構えていたバットを下ろしてくれた。

「兄ちゃんケガしてる…何かあったのかおっさん」
「また…!……はぁ、喧嘩だよ喧嘩。俺とこいつ2人だけで10人くらいを相手にな。で、こいつは疲れて寝ちまったんだ」
「ふーん」

相変わらずおっさんと呼ぶ少年は、やすやすと俺のハートを傷つけつつも、あまり警戒はしなくなったようだった。
少年自身の話や村田のことなど、色んなことを話してくれてるうちにどうやら家に着いたようだった。

「おっさん待っててな。今母ちゃん連れてくるから……ただいまー!母ちゃーん!おっさんが兄ちゃん連れてきたー!」

色々と誤解を招きそうな言い方をしながら家へ入っていく少年に苦笑しつつ、母親が来るのを待った。

「ほんとだってー!」
「はいはい、分かったから…」

パタパタとスリッパの音が聞こえて、少年と一緒に現れた女性がどうやら母親のようだった。
俺を見て驚いたのか、背負われてる村田を見て驚いたのかは定かではないが、その表情は村田によく似ているとふと思った。

「鮫島って言います。じゅーぞーくんのクラスメイトっす」
「あら、そうなのね。将五がおっさんなんて言ってたからてっきり…ごめんなさいね」
「いえ…慣れてるっす」
「今私と将五しかいなくて、できれば部屋まで運んでほしいんだけど…お願いできるかしら?」
「部屋教えてくれれば運びますよ」
「本当?ありがとね、鮫島くん」

母親はふんわりと優しく笑ったあと、少年を呼んで「お兄ちゃんの部屋まで案内してあげて」と言って奥へ引っ込んでいった。

「おっさん、こっちだぞ!」
「だからおっさんじゃねーって……もういいや…」
「ここが兄ちゃんの部屋!開けてやる!」
「ありがとな。……よっ、と」

少年に部屋の扉を開けてもらい、中へ入る。
正面に位置したベッドへゆっくりと下ろし、起こさないようにそっと立ち上がり、外に出て音を立てないように扉を閉めてそそくさとその場を離れた。

「ありがと、おっさん」
「おー、気にすんなって」

少年のスポーツ刈りにされた頭を乱暴に撫でて、玄関へと向かう。
村田の母親は「夕飯食べていかない?」と声をかけてくれたが、「うちで母ちゃんが飯作って待ってると思うんで」と断ると、「ふふ、きっとそうね」と優しく微笑んでいた。


お邪魔しました、と玄関を出て伸びをする。
辺りはすっかり暗くなってしまっていた。
早く帰ろうと足を踏み出すと、背後から「おっさん!」と声がかかった。

「なんだ?」
「今度は遊びにきてね!」
「気が向いたらな」
「絶対だかんな!ぜーったい!やくそく!」
「へーへー」

最初はあんなに警戒していたのにな、と笑いつつ少年に手を振ると、周りが暗いので家からこぼれる光で辛うじて見えたその顔は満面の笑みだった。





「……昨日は悪かったな」

次の日。
登校してすぐ気まずそうな顔で村田からそう言われて、最初はなんのことか分からなかったが「お袋と弟から聞いた」と言われて合点がいった。

「お前ん家が分からなくて焦ったんだぜ。そしたら途中で将五に会えてなー。もし会わなかったら俺ん家に泊めてた」
「…」
「あの野郎、ずっと俺のことおっさん呼ばわりしてやがってよー」
「……」
「でも帰り際に『今度は遊びにきてね』なんて言われてなー。弟ってかわいいもんだなー。初めてお前が羨ましいと……どうした?」
「………てめぇ、誰の許可を得て将五と仲良くなってんだ」
「え………」

ずっと黙っていると思ったら、喧嘩の最中と同じくらい険しい顔でこちらを睨んでいた。
思わず黙るが、そもそも村田が気絶さえしなければ少年に会うこともなかったので「お前が気絶するからだろ!」と言い返すが、「問答無用」と低く呟いていきなり右ストレートを繰り出してきた。

「うぉっ!?てめぇ!今の本気で当てるつもりだっただろ!!」
「当たり前だ。その低い鼻をさらに低くしてやる」
「これ以上低くされてたまるか!!」
「将五を誑かした罪は重い」
「たぶらかしてねーよ!チッ、後で文句言うんじゃねーぞ!!」
「望むところだ。…覚悟しろ、鮫」

その後、騒ぎを聞きつけた先公が止めに入るまでひたすら殴り合い蹴り合い掴み合いの喧嘩をしていた。
お互い昨日の喧嘩よりも酷い状態のまま、廊下に立たされてしまった。

「…てめーのせいだぞ村田」
「ふん…邪魔が入っちまったおかげで救われたな、鮫」
「そりゃーこっちのセリフだ馬鹿野郎」

チッ、と舌打ちして制服の裏ポケットに入れていた煙草を2本取り出した。
村田に「吸うか?」と聞くと無言のまま小さく首を縦に振ったので1本くれてやった。
100円ライターで火をつけ、ゆっくりと煙を体内に吸い込み、またゆっくりと吐き出す。

「鮫、火よこせ」
「うお、っ」

制服の首あたりをグイッと引っ張られ、俺の銜えた煙草の先端に自分のそれを密着させて火をつけた。

「…、ふぅ」

煙を吸って吐き出す仕草まで様になるのが村田のムカつくところだと思う。
お互いボーッとしながらぷかぷか煙草を吸っていると、村田が唐突に「フケるか」と呟いた。

「…いいなそれ」
「暇だしな。ゲーセンにでも行くか」
「そうだな」

村田が悪どい笑みを浮かべると同時に俺も口角が上がる。
授業中の教室を煙草を吸いながら堂々と横切り、先公の呼び止めにも応じず、堂々と正門から校外へ出たのだった。



これが、村田と一緒に手に入れた最初の自由。


俺と村田が武装戦線に入る3年前のことだった。


おしまい。



back