幼い頃、父が病気で死んだ。
まだ死というものの概念がなかったが、父にはもう会えないのだと幼心に分かってわんわん泣いた。
その後、母は俺に父親がいないことが不憫だと思ったらしく、俺が小学生の頃に再婚した。
再婚相手にも中学生の息子がいるらしく、俺には義理の兄と義理の父ができた。

そんな母も再婚して何ヶ月か後、事故にあって死んだ。
相手は酒を飲んでいたらしく、しかも未成年だった。
葬儀のあと、義父がそのまま俺を引き取ってくれた。

「母は亡くなったから、あなたはもう他人だ」

そう言って突き放したが、「そんな冷たいこと言うんじゃない。彼女と再婚した時から君は私の息子だ」と言ってくれた。
葬儀の時には泣かなかったのに、そこで初めて母の死を実感して、義父の腕の中で泣いた。
義父は本当に自身の息子よりも可愛がってくれていたと思う。
そのせいで、俺と義兄は仲があまり良くなかった。
義兄からしてみれば、突然現れたガキに父親を取られたようなもんだから、嫌われるのは当然のことだ。
加えて、義兄は受験生で。
あまり精神的にいい状態とは言えなかった。

そして、あの事件が起きた。

俺が学校から帰って玄関の扉を開けると、返り血に染まった義兄が血まみれの包丁を握りしめながら立っていて、その足元で義父が血溜まりの中でうつ伏せになって倒れていた。

「な、に…してるんだ」

恐る恐る声をかけると、血走った目でこちらを睨みつけてきて「父さんが悪いんだ、お前ばかりかまって俺には文句ばっかり」とブツブツ呟いて、再び義父を包丁で刺そうとした。

「やめろ!」

義兄の手首を掴み、必死に止める。

「離せぇぇえ!」

暴れる義兄は、その細い身体のどこからそんな力が出るのかと不思議に思うくらい強く抵抗した。
揉み合ってる間に足が縺れ、倒れ込んだ。
その瞬間生暖かい液体が顔にかかり、何事かと義兄のほうを向くと、その身体に包丁が刺さっていた。

「あ、…あ…」

流れ出る血を唖然とした表情で見つめる義兄。
そんな義兄を見てハッとした俺は急いで救急車を呼んだ。

義兄は搬送中、救急車の中で亡くなった。
失血性ショックらしかった。
その2日後、義父も出血多量が原因で亡くなった。

2人の葬儀を終え、義父の親戚を頼るわけにもいかない。
俺は、母方の祖父のもとへ行くことになった。
祖父の家に行く前の晩。
奇妙な夢を見た。
小さな部屋の中で、俺はひたすら泣いていた。
すると、部屋のドアをノックする音が聞こえた。
最初は無視した。
でもそのノックは止むことがなくて、イライラしながらドアに向かって声を張り上げた。

「今は誰にも会いたくないんだ、帰れよ」

すると、反応が返ってきたことが嬉しかったらしい。
少しだけ笑いながら、ドアの向こうの声が叫ぶ。

「俺はお前を笑わせに来たんだ!」

場違いなほどの明るい声。
人がどんな気持ちでここにいるか分かりもしないで「笑わせに来た」だと?
冗談じゃない。

「早く開けろよー」

そののんきな声で怒りが頂点に達した。

「冗談もいい加減にしろ!お前みたいなやつ呼んだ覚えはない!さっさと消えろ!」

そこで目が覚めた。
それ以来その夢を見る事はなかったが、妙に気になる夢だった。

似たような夢を見たのは、それから2年後。
お世話になっていた先輩が刺されて、そのまま死んだと聞かされたその日の夜だった。

部屋の中は、流した涙で俺の身体が半分浸かるほどになっていた。
涙はまだ止まない。
再びノックの音が部屋に響く。

「まだいたのか。消えろと言ったろう」

以前より幾分か低くなった声で、冷たく告げた。
すると、ドアの向こうからなみだ声で「なんでそんなこと言うんだよ…オレ泣きそうだ…」と弱々しく呟き、それと同時に鼻をすする音が聞こえた。

「泣きたいのはこっちだ。だからさっさと消えろって言ったろ…」

ドアの向こうから聞こえてきた泣き声を聞いていると、なんだか悲しくなってポツリと呟いた。

そこでまた目が覚めた。
その後しばらく、その夢を見ることは無かった。

再びその夢を見たのは、川原で金髪リーゼントの男とタイマンをした後の夜だった。

夢の中で、俺は場所を移動していた。
いつの間にかドアにもたれかかりながら座っていて、すぐ後ろからグスグスと泣き声が聞こえていた。

「お前は、今でも俺を笑わせてくれるのか?」

静かに尋ねると、「当たり前だ!」とでかい声が聞こえた。
なぜか妙に聞き覚えのある声だと思った。

「今は部屋に入れてもいいと思ってる」
「だったら開けろ!」
「それが、涙が溜まりすぎてドアが開かないんだ」

「鍵は開けたから、お前の方から押してくれないか」

「…?おい、いるんだろ?」

急に声が聞こえなくなり、不安になる。
あんなに笑わせると言っておいて、お前も俺を置いていくのかと、裏切るのかと絶望した。

「おい!返事しろよ!」

焦って声を張り上げる。
すると、窓のほうから大きい音が聞こえた。
振り返ると割られた窓の枠に、鉄パイプを持った鮮やかな金髪の男が座っていて。

「笑顔、持ってきてやったぞ」

それは、泣き腫らした顔で太陽のような笑顔を浮かべた春道だった。

「…は、る…みち?」

呆然と見つめる俺のもとへむかうため、躊躇なく涙の池の中へ入る春道。
そして、可愛らしい小さな鏡を取り出した。

「見ろよ、お前の顔。すげー笑えるから」

そう言ってニカッと笑う春道から鏡を取る。

「なにいってんだ…」

そう呆れたが、まぁ確かに言われたとおり、鏡に映った泣き腫らした男の顔はブサイクで、思わず笑ってしまった。

「あー、泣いて笑ったら腹減ったな!リンダ、ラーメンおごれよ!」
「…しかたねーな」

その日は生まれて初めて幸せな夢を見た気がした。
目が覚めると、どこか晴れやかな気持ちになっていて。

それを最後に、あの夢を見ることはなくなった。

おしまい



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