長いながいキスの後。真似をしただけと、なまえは言った。一体誰の、なんて聞くのは野暮だ。なまえにこんなことを教えられるのは、もちろんあの人しかいない。


「えーっと、……良かった。すごく」


気のきいた冗談も言えないほど、惚(ほう)けてしまっている。童貞じゃあるまいし、キスくらいでこんななってどうするんだ。ああ、でも、こういった経験がなかったのかと問われれば、そうだったのかもしれないと思えるほど、なまえのキスは素晴らしかった。唇が性感体であることを改めて思い知る。


「うまい、ね」

「キャスケットは下手だね」


傷つくことを、なまえは柔らかく笑いながらサラリと言った。それだけで人の自尊心をズタズタに出来るのだからすごい。


「でも、いいのかよ……?」


この行為の何が悪いのか。なまえが、わからないはずもない。こんなことをして、キャプテンが怒らないわけがないのだ。だって、絶対口にしないと思うけど、キャプテンはなまえを愛しているから。


「もし、バレたりでもすれば……」

「だいじょうぶ」

「なまえ………」

「私が勝手にしたんだから」

「………その展開が心配なんだけど」


なまえはキャプテンに愛されている。けれど、なまえは違うらしい。
好きか嫌いかで言えば、好き。でも、愛してはいない。というのがなまえ側のはっきりとした意見だ。でも、我らがキャプテンはそれを見事に無視して、なまえを恋人として傍に置いている。なまえもなまえで、身寄りはないし、今更船を出ても生きる術がないから、降りることも出来ず、船員たちに絆されていることもあって、ハートの海賊団に留まっていた。

もちろん、言うまでもないことだけど、キャプテンはなまえを抱いた。それはそれは無理矢理に、だけども丁寧に、愛をもって、なまえを抱いた。さっきのキスも、おそらくキャプテンの指導の賜物だろう。

ああ、でも、キャプテン。なまえがその技術を他の男に使ったと知ったなら、あなたはそいつを海に沈めますか。それとも、なまえを────?


「ね、キャス……」


淡く色づいた指先に唇を寄せて。微笑む姿はさながら慈悲深い女神のようだ。
なまえは、やさしく言葉を紡ぐ。


「すき、よ」

「……………だめだよ」

「うん。わかってる」

「…………」


もう二度と訪れない、この唇に残る幸せを、手放す以外に選択肢はない。潤んだ瞳も、揺れた肩も、細い手首も、俺のものには成り得ないのだ。
本当なら、落ちゆく涙にも触れてはならない。だけど───。

濡れた親指に、なまえの指先が添えられる。膝の上で泣く少女は幸せそうな笑みを浮かべた。

膝から消えた温かな重み。優しい香りを残して、なまえは去っていった。その影を追うように、伸びかけた手。指の先で空を切った。


帽子の鍔(つば)を下げる。ややしてか椅子から立ち上がり、俺もその場を後にした。