その日見た夢など、すぐに忘れてしまうものだ。俺は、それがこわい。だって、なまえは俺の夢にしかいないから。
「忘れたら」なんて。
冗談でも笑えなかった。だから、俺はいつも見た夢を頭の中に思い浮かべる。なまえの輪郭を瞼の裏に描き出す。忘れないように。失わないように。繰り返し。繰り返し。
いつか、終わりがくることに気づいていたんだと思う。ただ認めたくなかっただけだ。二度と会えなくなるなんて考えたくなかった。考えてしまえばどうしようもない不安にとり憑かれるとわかっていた。
眠る前は胸がざわついた。夢を見ない日の目覚めは最悪だった。そして、ようやっと自覚する。俺は、なまえに恋をしている。
「あのさぁ」
「ん?」
「俺、好きな人ができた」
「……へえ?学校の人?」
ちらりとなまえの制服を見て、まあねと言葉を濁す。なまえはどこか遠い目をして、空を見上げた。
「いいねえ。恋。私もしてみたかった」
「すればいいじゃん」
「は?」
「すればいいよ。俺と、恋」
「……意味わかんないし」
ぱっとなまえが立ち上がる。俺から離れようとしたようだが、文字通り足の踏み場がないので、なまえはぎりぎりのところに突っ立ったまま唇を歪ませていた。
「急に、なんなの」
「ねえ、わからない?本当にわからない?気づいていないふりじゃなくて?」
「だって、私、死んでるんだよ」
「わかってるよ」
「わかってないじゃん。好きになってどうすんの?死人と付き合いたいの?悪趣味だよ」
「そばにいたい。それだけだよ」
俺はフェンスに指を入れた。なまえへと伸ばす。
「なまえ」
決して届かない。このフェンスは越えられない。でも、それでもそばにいたかった。触れられなくても、それでもいい。そばにいられるだけでいい。
「やめてよ」
「なまえ」
「だめ」
体がグラグラと揺れているような気持ちがした。なまえは涙で手を濡らしながら、顔を隠すように泣き出した。
「だめなの。わたし、だって、サボのところに、飛んでいきたくなる。サボに、触れたくなる。でも、無理なの。私は、ここから動けない」
俺は、顔が付きそうになるくらいの勢いでフェンスに縋りよった。喉を塞がれたように声が出てこない。言いたい言葉が張り詰めて、はちきれそうだった。
「好き」
なまえはまた少し身を引いた。けれど、もう後はない。なまえは今にも落ちてしまいそうだった。それでも、俺はなまえに求めた。
「なまえも……好き?」
死んでいても、触れることができなくても、それでも俺はなまえを求めた。