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あれから、寒さに耐えきれず、やむを得ず私はトラファルガーのセーターを着た。「人の好意は素直に受け取るものだ」という彼の言葉は間違っていないと思ったし、やはり強がっていても寒いものは寒いので、今回はお言葉に甘えさせてもらうことにしたというわけだ。それに、不思議と嫌な気はしなかった。そのセーターから、私の好きな柔軟剤に混じって何だか良い香りがしていたからかもしれない。何よりも、厚手のセーターはとても暖かかった。それがあのトラファルガーのものということを差し引けば、私はかなり有り難い思いをしていたのである。
依然としてトラファルガーの真意はわからないけれど、善意と思えば受け入れられないものでもなかった。
翌日の朝。わざわざ人があまり往来しない時間を狙って、私はトラファルガーを呼び出した。
彼は、女生徒に熱烈な支持を持っている。彼を取り巻く彼女たちは、どうすれば自分を可愛く見せられるかをよく知っているようだった。女の私にはよく分からないけれど、高めの声や甘えるような目使いは、トラファルガーはどうかは知らないが、確かに男子を相手に多大な効力を発揮しているらしかった。彼女たちは、そのような工夫や計算をする努力を怠らない。それはそれは凄まじいパワーを持っているように思える。だから、私は彼女たちの怒りを買うことだけはしたくなかった。面倒事に煩わされるのは御免だし、何よりそんな彼女たちを相手するのが空恐ろしかった。
「と、トラファルガー」
こうやって、彼の名前を口にするのは初めてかもしれない。慣れない言葉に口がもごもごして、何だか気恥ずかしい気持ちがした。
「ああ、なまえか」
彼はベスト姿だった。これがまた様になっている。認める他ないことだが、彼はかなりルックスが良かった。均整のとれた体つきに、器量までも整っている。目の下の濃い隈さえも、その顔立ちの魅力を更に引き立てているように思わせた。加えて頭も良く、スポーツも出来るのだから、女生徒たちが夢中になってしまうのも頷けないこともない。容姿に恵まれた彼が女に困ることは永劫なさそうだった。
「一応、洗っておいたから」
「ああ。悪いな」
「感謝、してる。ありがとう」
「ああ」
礼儀正しくお辞儀をして、私はセーターの入った袋を彼に渡した。けれど、彼はなかなか受け取ろうとしない。
「待て」
「え?」
「ローって呼ぶなら、受け取ってやる」
「……は?」
先ほどの彼についてのルックスうんぬんの話だが、即刻撤回、削除を求めたいと思う。
何だ。こいつ。何なんだ。本当に。
露骨に顔を歪めれば、奴は何だか嬉々として、同じように台詞を口にした。
「呼べよ、ローって」
「なんで」
「名前で呼ぶまで、受け取る気はない」
「そんなの、卑怯だ」
「卑怯でいい」
なんてうざったくて、面倒な男だろう。どうしてこんな奴がモテるのだ。大体なぜ無理やり名前で呼ばせようとする。なんというか、気色悪いことこの上ない。
しかし、そろそろ人が来てもおかしくないし、この男とこれ以上長く会話するのも耐え難い。袋を床に叩き落として教室に戻ることも可能だが、そんな恩を仇で返すようなことはしたくなかった。
「ろ、ロー……っ」
意識して名を呼ぶという行為は、私を羞恥で赤らめた。
「普通に、名前で呼んで欲しいならそう言えばいいのに!ばか!」
これくらいの言葉は許してほしい。ぐしゃりと袋を平たい胸に押し付けて、その場から離れようとした時だった。
私は、赤面するトラファルガーと目が合ってしまった。