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「好きなやつはいるのか」
意味の分からない質問に戸惑いを隠せなかった。もちろん答える気は毛頭ない。それを受けて真っ先に思い浮かんだ人物についても、口に出すつもりはない。そんなことは親しい人間にだって出来ない。昨日知り合った相手なら尚更だ。しかし、目の前の男は明らかに私の返答を期待していて、沈黙したまま私を見据えているのだった。
「そんな相手はいない!」
と言わざるを得なかった。嘘か本当か自分でもわからなかった。
「そうか」
トラファルガーはそれ以上追求することをしなかった。
「そういや、そんな格好で寒くねェのか?」
「え?」
突然話の方向が変わったことに面を食らった。そうしてすぐに自分の格好を思い出して、質問の意味を理解した。
うちの学校の体操着は最もポピュラーな形のジャージだ。校則に規制もないので着崩してもかまわない。だから冬場は皆ジャージの中にセーターを着たりするわけだが、寝坊した私は急いでいたために真冬にもかかわらずインナーもセーターも着てこなかった。だから、正直この格好はかなり寒い。
「さ、寒くない、こともない……」
昔から、どんな内容であれ嘘をつくのは嫌いだった。だから私はそのように答えた。すると、トラファルガーが何を思ったのか自分のセーターを脱ぎ始めた。
「ん」
あっと言う間にYシャツ姿になった彼は、脱いだ灰色のセーターを私に押し付けた。呆気にとられた私は何も考えずにそれを受け取ってしまった。
「何やってんだよ。着ろよ」
黙ったまま突っ立っている私に彼が首を傾げた。私ははっとした。
「い、いらない!」
やや遅れて、それが自分のためのものだと気づいた私は手の中のセーターを彼に押し返した。しかし、彼はそれを受け取ろうとしない。
「気にすんな」
「気にする!大丈夫だから!だから、返すっ!」
「うるせェな。人の好意は素直に受け取っておけ」
それだけ言って、彼は踵を返し、歩き出した。先ほどの脱衣で乱れた髪を片手で整えながら、私にひらひらと手を振っている。
こういう時、口下手なのが嫌になる。何か言い返そうとしても、とっさに言葉が出て来ないのだ。私は黙ったまま、その背中を見送った。この時期の白いYシャツ姿はただただ寒々しかった。
「い、意味がわからない……!」
誰もいない冷たい廊下で、彼の体温の残るセーターを持ったまま私は立ち尽くしていた。