思い出す黒猫



 俺の親父、武原和成は奇策で人望厚く、誰からも好かれる人柄だったという。
 その人柄に惹き寄せられたCHU-RINは特に親父から可愛がられていたらしく、そのことを知った時は不思議な感じがした。
 そして一つ、また一つと俺の知らない親父の話を会長から聞かされる度にまるで自分の父親の話ではないような、同姓同名の他人の話をしているのではないかと錯覚してしまう。優しい。面白い。気が利く。仲間思い。情が深い。どの言葉にも俺が知る親父だと頷くことさえ出来ず、それがどこか悲しくて、切なくて。会長が口を開く度に俺の心はもやもやとしたなんとも言えない感情に満たされていく。
 ふつりと沸き上がった怒りに奥歯を噛み締めた。そんな俺に気付いたのか、会長は話すのを止め、今まで緩んでいた表情は険しくなり俺の名前を小さく呼ぶ。

「何があったんか、全部話せ。」

 会長の言葉に戸惑う俺。話してもいいのだろうか、信じてもらえるのだろうか。唇を噛み締めた俺は、いつだったか親父から蹴られた脇腹に手をやった、殴られて口の端が切れた部分を軽く舐めてみた。今はもう当たり前に痛みなどない脇腹、独特の鉄の味もしない、するはずもない。
 息を吸って、深く吐き出した。

「…俺が物心着いた時には、体中痣だらけでした。俺にとって親父は恐怖以外の何者でもなかった。」







 俺が小学校に入学して少し経ってからだっただろうか、親父は俺を見る度に何かに怯えた様子で譫言を言っていたのを覚えている。何を言っているのかは理解できず、それが怖くて仕方がなかった。
 親父から逃げるように母さんのところへ行こうとすれば、急に腕を力一杯掴まれ意識が無くなるまで殴られ続ける。
 殴られている最中は痛いとか苦しいとかは最初の方だけで、次第に衝撃だけしか感じなくなっていく。遠くの方で母さんが叫んでいる声が聞こえて、気が付けば布団の中。
 目を開けようとしても僅かにしか瞼は開かなくて、少しだけ顔を横に向ければ俺のそばで泣き崩れている母さんがいた。
 母さんも俺を親父から助け出すために殴られたのか、片頬が赤く腫れ上がっていて口端は痛々しくパックリと切れている。そんな母さんを見て俺は「大丈夫?」そう言葉を掛けたくても口から出るのは乾いた空気の音だけだった。
 それに気付いた母さんの顔は泣き続けたせいか目の周りは真っ赤で、口を開けば俺の名前を何回も何回も呼びながら、ただただ「ごめんな」としか言わなかった。小学校時代の毎日がこれの繰り返しだった。
 そのせいで学校には碌に出られないまま小学校を卒業して中学へ入学。
 その頃になると親父は自室に閉じ籠ったまま滅多に部屋から出てくる事はなかった。そのお陰もあってか小学校の時に比べれば比較的に授業には出席できるようになり、そのまま中学校へ入学して2年が経った。
 このまま親父が大人しくしていてくれれば無事に中学も卒業出来るかもしれない。高校になれば働けるようになる、そうなれば母さんと二人でこの家を出よう。そんな事を考えていた時だった。
 家に帰り着くと真っ先に聞こえた親父の怒鳴り声。慌てて声のする部屋へ行くと目に飛び込んできたのは母さんに馬乗りになって細い首を両手で締め付けている親父。
 その光景に血の気が引いた俺は親父の顔を思い切り殴り飛ばして母さんをその部屋からリビングへと引きずり出した。
 咳き込んで必死に呼吸をする母さんを見て安堵の息を吐く俺は、視線を母さんから親父がいる部屋に向ければ、前屈みになって苦しそうに悶える親父がいた。その両手は床を爪でガリガリと掻き毟り中指の爪がパキリと割るのが見えて、俺は息を止めた。
 精神が異常とかそんなんじゃない、イカれてる。そう思った瞬間、親父と目が合った。背筋が凍ると言うのはこの事だろうなと、その時初めて実感した。
 直ぐに母さんを立たせて逃げようとしたが、母さんは首を振るばかりで。なんで逃げようとしないのか、母さんは親父に殺されかけたのに。必死に声を荒らげて説得すれば母さんは「この人は、なぁんも悪ないの」と、まるで些細な悪戯した子供を見て仕方が無いねと言うように、その声は優しすぎて俺の思考は停止した。
 その時だった。ゴツリと部屋に響いた鈍い音。母さんが俺に凭れ掛かってきたかと思えばそのままずるずると俺の体を伝って倒れた。
 宙を見ていた俺は下に視線をゆっくりと移した。ひゅ。喉を僅かに通った空気に噎せそうになりながらも、足元に倒れる母さんを見て俺はその場に座り込む。
 目が微かに光を捉えたのに気付き、そちらに目を向けた。光を放ってたのは一部分だけ赤く染まったガラスの灰皿。それを指先に引っ掛ける形で持っている手を視線で辿ると親父がいた。
 俺はそこで初めて声を出して叫んだ。本能が逃げろと悲鳴を上げているのに足が言うことを聞いてくれない。
 地ベタを這うように玄関へと向かって逃げようとする俺の足を親父が掴みかかってきた、後ろを見れば灰皿を振り上げている親父がいて。頭が真っ白になる俺。
 しかしその振り上げた灰皿が俺に振ってくることはなく、代わりに親父が覆い被さるように倒れてきた。荒い息のまま何が起きたのかと視線をさ迷わせれば容易に理解できた。
 そこに立っていたのは震える手で包丁を持った母さんだった。少し前までは親父だったモノを押し退けた俺は、おぼつかぬ足取りでこちらに歩み寄ってくる母さんを支えるために足に力を入れて立ち上がる。
 ガクガクと震える足に舌打ちしながらも、親父の血で赤く染まった母さんの手から包丁をゆっくり取り上げ部屋の隅に放り投げた。
 母さんは「仕方がなかったんや」と呪文のように小さく唱えている。終わったんだ、そう思った。でも。







「母さんは俺の首を絞めてきた、混乱してるからとかそんなんじゃなくて。本気で俺を殺そうとしたんだ」



だから、俺は母さんを殺した。





 会長は俺の言葉に目を大きく見開いた。
 会長の目に写った俺の姿はまるで、あの時の親父の姿だと、自分で自分を嘲笑った。




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