寝不足のせいもあって、ぼーっとしてしまい頼まれていた仕事を忘れたり、カップを落として割ってしまったり。 そのせいで奥様の機嫌を悪くしてしまった。 今まで、どんな仕打ちを受けても仕事に支障は出さなかったが、昨夜の出来事は相当なダメージだったらしい。 結局、夜遅くまで仕事は片付かず、やっと終わったと思った頃、奥様から呼び出された。 「私、メロンが食べたいわ」 「メロン、ですか…」 「ええ、今、メロンが食べたいの、貴女買ってきて」 「わかりました」 雇い主に言われれば、私はそう言うしかない。 果物屋は街の一番外れにあって、この屋敷からとても遠い。 電話をしてみれば、特別にメロンを売ってくださるとのことだ。 (まあ、奥様の名前を出せば、大概のことは思い通りにいく) 私は急いで身支度を整え、暗い街にくり出した。 街灯がオレンジ色に照らす道を、メロンの入った袋を抱えて足早に進む。 時々、酔っ払いや柄の悪い若者を見かけるので、気が気ではなかった。 自分の周囲に全神経を尖らせていると、すぐ右手の路地の奥で、何か重たいものが落ちる音がした。 反射的にそちらのほうを見ると、人が、倒れている。 そこから目が離せなかった。 薄暗い路地からは、異様な臭いがする。 私の足は地面に磔にされたように動かない。 じっと見ていると、また何かが落ちた。 今度は少し、水気のある音だ。 「ちょっと、あんまり派手にやらないでよ、片付けが面倒」 「しょうがないだろう?溜まってるんだ。それに、君が片づけるんじゃないんだし」 「まあね。でも、昨日ひとりやったよね」 「あれは数に入らないよ」 「まだ殺すなって言ってるだろ。報酬減らすよ」 「ひどいなあ、欲求不満な大年増の相手は大変なんだよ?」 奥のほうから、人の声がした。 目を凝らしてみると、長身の男性が二人いる。 だんだんと目が慣れてきて、はっきりと見えるようになってきた。 一人は黒い長髪で、もう一人は髪を無造作に立てている。 そこまでわかったところで、胸の前に抱えていたメロンから、サク、と小さな音がした。 見下ろすと、針のようなものがそこには刺さっている。 その瞬間、急に重力が大きくなったように苦しくなり、私は立っていられなくなった。 「君、なに?」 どうやら、長髪のほうがこちらに気づいたようだ。 こちらに近づいて来たので、顔がはっきりと見えてくる。 猫のような、しかし感情のない目だ。 恐ろしくて視線を外し、彼の足もとに向けると、血だまりがあった。 その脇には、無残な肉片となった人間が、ゴロゴロと転がっている。 私は思わず、ひきつったような声を上げてしまった。 「おや、こんなところでどうしたんだい?」 もう一人もこちらに近づきながら、声をかけてきた。 顔を上げると、フェイスペイントを施したピエロのような風貌の男と目が合う。 沢山の死体に、おかしな格好の男。 こんな夜に見たら、悲鳴を上げてもいいような場面だ。 しかし何故だか、私はそのピエロのような人をまっすぐ見据えたまま、むしろ落ち着いてきていた。 「こんなところで何をしているんだい?」 「あ、メロンを、買いに…」 もう一度問われたので、とりあえず答えたが、あまりにもたどたどしい言葉を選んでしまった。 しかしそれでもそのピエロは、ニコリと微笑んで、そう、とだけ答えた。 もうひとりの長髪のひとは、不審そうにこちらを見ている。 「誰なの?殺す?」 「いや、殺さない」 「ふうん、俺は帰るよ、あとは処理は他のに任せてあるから。例のもの、ちゃんと持ってきてね」 「わかってるよ」 そう言って、長髪の男は暗闇に消えて行った。 ピエロはそれを見送ると、私の目の前にしゃがみ込んで視線をあわせてきた。 何が楽しいのか、目を細めて笑っている。 「ピエロさん、は、なにをしているんですか?」 自分でもこんなことを聞くなんて不思議だった。 考える前に口に出していたのだ。 明らかに、この惨状を作り出したのは彼らなのに。 私の質問に少し目を見開いて驚いた様子の彼は、またすぐ笑顔に戻った。 そして私の頭を撫でながら口を開いた。 「ちょっと遊んでいただけさ」 本当になんてことない遊びをしていたように言うので、私は妙に納得してしまって、そうですかと答えた。 何故、私はこんなに冷静でいられるんだろう。 頭を撫でていた彼の手が、今度は私の髪を弄びはじめた。 指通りを確かめるように梳いたり、くるくると指に巻きつけたり。 思いの外、心地好い。 「僕はピエロさんじゃなくて、ヒソカ。よろしくね」 「あ、はい、ヒソカさん」 「それにしても、こんな夜遅くに一人で出歩くのは感心しないな」 「すみません」 ヒソカさんの器用な手は、次に私の頬を覆っていた。 血のにおいが残る手だが、じんわりとあたたかさが伝わってきて、目を閉じてその感覚にひたる。 「うん、でも、ちょっとお仕置きだよ、name」 私の記憶は、そこで途絶えた。 気づくと私はベッドの上で、いつも通りに朝を迎えていた。 ぼんやりと、夢のような記憶しか残っていないが、彼の赤い髪と私の名前を呼ぶ声だけは、はっきりと思い出せる。 ヒソカさんが何者なのかはわからないが、どこかでまた会うだろうという確信があった。 ← | → main |