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朝、姿見の前に立ち、エプロンドレスの腰ひもを後ろで蝶結びにする。
この明らかにオタク思考な制服にも、慣れてしまった自分に溜め息がでた。
どこの大聖堂かと見紛うばかりのお屋敷に、それらしい服を着た使用人たち。
すべて奥様の趣味なのだ。

私は身仕度を終えて、仕事を始めるために、使用人に宛がわれた大部屋を出た。


「nameちゃん、おはよう」


後ろから声をかけてきたのは、執事の一人であるアレックスさんだ。
少しウェーブのかかった黒髪が、歩くたびに揺れていた。
この屋敷の大半は付き合いずらい人だったが、この人はわりと友好的に話しかけてくれる。
ホセさんより身長はないが、近づくと軽く見上げるようになった。


「おはようございます」

「あれ、今日はnameちゃん、休みじゃなかった?」

「そのはずだったんですけどね」


そう、本来なら今日私は休みだったのだ。
屋敷の使用人ではあるが、自分の仕事がない日は自由に時間を使えるので、楽しみにしていた。
私のような下っ端には、なかなか休みが回ってこないからだ。
しかしその貴重な休みに、他の使用人から無理矢理仕事を押しつけられて今に至る。
押しつけられたからと言って、仕事を無下にできなかった私は、結局休日返上で働くことになってしまったのだ。


「優しいなあ、nameちゃんは」

「いえ、そんなこと、」

「今日は二階のカーテンを洗うんだろ?大変だろうから、手伝うよ」

「でも、アレックスさんもお仕事が…」

「俺は大丈夫、奥様に呼ばれなければ特に用事はないから」


それなら、と仕事を少し手伝ってもらうことにした。

脚立を使ってカーテンレールからカーテンを外すのは、なかなか一人では大変な作業で、人手があると助かる。
アレックスさんは、外したカーテンを下で受け取ってくれていた。


仕事に集中していると、嫌な視線を感じて、アレックスさんのほうを見た。
しかし、ニコリと爽やかに笑ってどうしたの、と聞くだけで特に変なところはない。

私の勘違いか。

そう思い直して、カーテンを外すことに意識を戻した。
しばらく作業を続けていると、バタバタと騒がしくこちらへ向かってくる足音がした。


「アレックス!こんなところに居たのね!」


随分慌てた様子の奥様は、アレックスさんの手をとって言う。


「どこにも居ないから、心配したのよ」

「奥様、どうかなさいましたか?」

「貴方に明日のパーティに着ていくドレスを選んでもらおうと思ったの……それがどこに居るのかと思えば…」


ギロリ、と奥様は私を睨んだ。
嫉妬の渦巻く、恐ろしい目だ。

ああ、この人は、アレックスさんを…


「貴方は、先に私の部屋へ行ってなさい」


アレックスさんにそう言うと、奥様はその場に残った。
これから起こることなど、容易に想像ができる。
私はまたひとつ、溜め息をこぼした。









「男に色目を使ってる暇があったら、少しは仕事を覚えなさい」


夜、自分のベッドで寝返りをうった。
殴られて腫れ上がった頬が、熱を持っている。
奥様の言葉が、頭のなかでまだ響いていた。
あまりに理不尽で、私はこの負の感情をどうすることもできない。

今日は食事はなし、と言われてなにも口にしていないせいで、なかなか眠れない。
水でも飲んで腹を見たそうと思い、ベッドから抜け出した。

廊下はひんやりと肌寒く、私の足音だけが響く。
月明かりを通すカーテンが恨めしくて、つい睨んでしまった。
結局カーテン洗いは終わらず、明日もやらなければならない。

食堂の扉をそっと開けると、中から光が漏れ出てきた。
こんな夜中なのに、誰かがいる。


「こんな遅くに、どうしたんだい」


どこからともなく現れたのは、ホセさんだった。
燃えるような赤い髪が、薄暗い蝋燭の火だけで灯された視界に色濃く映る。


「こんばんわ、水をいただこうと思って来ました」

「そうかい」

「あの、ホセさんは、」


私の言葉を遮って、腹が鳴った。
こんなに静かな空間で、相手に聞こえないわけがない。
恥ずかしくて、何を話せば良いのかわからなくなってしまった。

顔を真っ赤にした私を見て、ホセさんはクスクスと笑いだす。


「あ、あの!食べ物を漁りに来たわけではなくて!その!」

「そう、それじゃあ、ちょっと待ってて」


自然な所作で私を席に座らせると、ホセさんは厨房へと姿を消した。
ホセさんには、いつも恥ずかしいところを見られてばかりだ。
厨房の方へ耳をそばだてると、食器が軽くぶつかるような音がしている。

それにしても、一体彼はここで何をしていたのだろうか。
こんな夜遅くに、仕事をしていたとは思えない。
仕事着とは違う、ラフな格好だったことからもそうだと言える。

悶々と考えていると、目の前に湯気のたつ皿が置かれた。


「ミルクリゾットだよ、食べて」

「でも、こんなことが奥様にしれたら……!」

「大丈夫、僕が誤魔化しておくから。それとも、寝ずに夜を明かす気かい」


そこまで言われて、空腹を耐えられるほど意思の強い人間ではない。
いただきます、と呟いて、添えられたスプーンでひとくち。
牛乳の柔らかい味が口のなかに広がって、とても幸せな気持ちになった。


「ホセさん、ありがとうございます」

「どういたしまして」


お腹が満たされて、やっと眠気がきた私は、ホセさんに挨拶をして食堂をあとにした。

まだ身体中痛むところもあるが、それも今では大したことではないような気がする。
悪いことばかりだが、こうして優しくしてくださる方がいると、やっていけそうな気がした。














『急に通話切るから、何かと思ったよ』

「ちょっと、子羊が迷いこんでね」

『相変わらずなに言ってるかわからないな。で、どうなの』

「まあ、順調かな」

『まだそこで殺しはしないでよ、いい?』

「わかってるさ」

『計画が狂ったら、報酬金はないから。じゃあまた連絡する』


プツッ、ツーツー



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