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後悔は、してもしきれないほどある。


「nameはどこ行ったんだよい」

「さあな」

「知ってんだろい」

「お前に言うわけねえだろ」

船縁に腰掛けるサッチはいつものように口元が弧を描いていた。しかし目は笑っていない。

「ただな、他の男を知れ、とは言ったぜ」

「てめえ…」

「どっかの誰かがほったらかしてるからな」

「…」

「おいおい、俺を睨んでる暇があんのか」

今頃あいつはどうしてるだろうな、と言うサッチの顔にはニヤリと嫌な笑みが浮かんだ。こんな俺を、バカにしているんだろう。

俺はサッチの横を通り抜けて船から飛び降りた。










そこはとても寒い街だった。


私の心情と瓜二つなこの街で、私は独りぽつりと立っていた。マルコはきっとまた私を置いてどこかへ行ってしまう。そしていつも女物の香水の匂いを纏って帰ってくる。そうなる前に、私は船を出てきたのだ。

「他の男、ねえ…」

サッチに言われた言葉を呟くと、口から白い息が漏れた。道ゆく人は皆酒を煽っている。そうしなければ寒くてかなわないのだ。

ぼうっと凍りつく街を眺めていると、1人の男がふらふらと此方へ向かってきた。

「姉ちゃん、ひとりか?」

「ええ、見てのとおり」

「じゃあちょっと付き合ってくれよ」

私はすぐに了承してその男の後をついて行った。










俺は街灯や店のネオンが光る道を足早に歩いた。凍てつくような寒さだが、歓楽街ということもあって人通りは多い。闇雲に探してもnameを見つけるのは難しいだろう。

辺りを見回すと、道の端に中老の男が座っていることに気づいた。尻に何か敷いている様子から、長いことあそこに居るようだ。

「聞きてえことがあるんだが」

「…」

「これでどうだい」

金をちらつかせると、男は引ったくるようにしてそれを取り、ぶっきらぼうに返事をした。

「背がこのくらいで、茶色の髪が肩くらいまである女を見なかったかい?」

「ああ、そこの店に男と入ってったよ」

男という言葉に、頭を鈍器で殴られたような錯覚を覚えた。指さされた店は、赤いネオンがチカチカと光っている。こんな店にnameが、と思うと焦燥感が込み上げてくる。

俺はかじかむ手を古びた戸にかけた。










男に連れられて来たのは、古びたバーだった。店内は薄暗く、他にも何人かいるようだが顔はわからない。私たちはカウンターについた。

私は男にすすめられるまま、酒を何杯か飲んだ。海賊のくせに酒が弱く、そう何杯も飲めないのだが今夜は少し飲みすぎてしまった。

「このバーの2階、宿になっててな…」

ふわふわする頭で男の言葉を聞きながら、手元の酒を見た。ずいぶん時間をかけて飲んでいたせいで、水滴が沢山ついていた。

「もう夜も遅いし、どうだ?」

ふいに視界の隅からゴツゴツした手が伸びてきて、私のそれに重ねた。ぞわりと鳥肌が立つのがわかったが、少しでも体を動かすことが億劫で振り払えなかった。

男が少し手に力を入れたとき、店の戸が軋んだ音をたてた。










店の中へ入ると、籠もった熱気に包まれた。カウンターに目をやるとnameと、nameの手を握る男がいる。それを見た瞬間、カッと頭に血が登った。

そして気づいたときには、男の手を捻り上げていた。

「わりいが、こいつは俺の女だ」

「あ、アンタは…!!」

「返してもらうよい」

有無を言わさず、nameの手を引いて店を出た。










突然現れたマルコに引っぱられて外に出ると、肌を刺すような冷たい風がふいた。急だったのでコートも着られず手に持ったままだ。

「マルコ…?」

声をかけると、立ち止まってコートを着せてくれた。この寒さでもまだお酒が残っているせいか、体がとてもダルい。

「なあname、もう俺に愛想尽かしたのかよい」

「…」

「こたえてくれ」

酒のせいか潤む視界でマルコを捉えた。マルコはなんだか泣きそうな顔をしているような気がする。

「…もう我慢できないの」

マルコが他の女の人と遊んでいても、私は何も言えなかった。言ったら、きっと捨てられるだろうし。回数が増えて、そのたびに濃くなっていく女の人の匂いに気づいても、我慢するしかなかったの。でもなんだか疲れちゃったから、サッチの言うように私も遊んでみようかと思ったのよ。

そこまで独り言のように言っていると、マルコに急に抱き締められた。久しぶりに感じる優しい体温に、こんな状況で安心してしまった。










抱き寄せたnameからは酒の匂いがした。珍しくかなり飲んだようだ。こうやって抱き締めたのはいつぶりか。それはもう随分前のことだと思う。

「なあ、俺はお前のことが好きだ」

腕の中で少しnameが震えた。

「好きすぎて、お前の全部が自分のものになればいいと思った」

だから

だからお前の嫉妬さえも欲しくて、陸に行けばいつも女の匂いをわざわざつけて帰ってきた。

でもname、お前は歯を食いしばって我慢して俺に嫉妬を見せないようにしていた。

「どうしても、言って欲しかったんだよい」

他の女のところに行かないでと泣きついて欲しかった。










ぎゅうぎゅうとマルコが抱き締める力を強めるせいで苦しい。もうだいぶ前に崩壊した涙腺のせいで、彼のコートをぐっしょり濡らしてしまった。

「マルコ、マルコ…」

すがりつくように名前を呼んで、彼の背に手を回してしがみつく。

「行かないで、私のところにいて」

「ああ…悪かったname、俺が全部悪いよい」

「ふうっ…」

私は子供みたいにわんわん泣いた。マルコはその間ずっと謝り続けて、私を抱きしめていた。










「おーおー帰ってきたか」

「何だよい、サッチ。お前ずっとそこに居たのか?」

「世話のかかるカップルが心配でね」

「ごめんねサッチ…寒かったでしょ」

「いや、nameがあっためてくれれば何てことねえさ」

「馬鹿言ってんじゃねえよい、今夜は先約がある」

「さっそくかよ、ちったあ俺に感謝しろよな」

「ありがとうサッチ」

「name…今から俺に乗り換えても遅くねえぞ」

「お前はさっさと寝ろ」

「おお怖っ」

「…今度埋め合わせはするよい」




誰もが暖かな笑顔をつくる、そんな夜の話。


















- 今夜、樹氷の街で -



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