彼女は何処にも居ない。
そうか、ならば部屋に戻っているかもしれない、その可能性は多いに有るだろう。
今まで歩いてきた道を戻る。
縁側を通れば爺は二人ではなく三人に増えていた。三日月はいつも楽しそうだが、いつにも増して楽しそうだったので隙を見て傍をすり抜けた。
するとこちらに気付いた新参の爺が「これから驚きの茶会がはじまるぞ!」と酒瓶を私へと突き出した。
茶会に酒瓶?疑問は沸いたが「またの機会に」と先ほどと同じ言葉を渡すと、鶯丸が「つれないな」と溜息をこぼし、私はこれ以上関わらまいと足早にその場を立ち去った。
彼女の部屋の前にたどり着き、部屋に向かって「主さま」と声をかけたが返事は無い。
どうしたものかと考えを巡らせていると廊下の先から複数の足音が聞こえる。
今日一日、本丸内で無駄に姿を見られている小狐丸は、これ以上うろついている姿を見られたくなくて思わず審神者の部屋の襖を開けて中にはいってしまった。
襖を背に足音が通り過ぎるのを待つ。
どうやら足音は小狐丸の存在には気がつかずに去って行ったようだ。
ふと勝手に入ってしまった罪悪感と、安心させてくれる彼女の匂いが混じり合い何とも言えない気持ちになる。
どうして今日は彼女に会えないのだろうか、そもそも彼女と過ごす約束をしたという訳では無いので会えなくて理不尽にイライラとする必要も無いのだが。
いやいや、普段本丸を駆けずり回るのが趣味の彼女の事だ、今も駆けずり回ってる可能性が高いのだが。いやいや、それとも彼女に何か有ったのか。
もういっその事、彼女をここで待っていれば確実に会えるのではないだろうか。いやいや、今日は出陣も当番も無いものだから。
私はのんびりと彼女と過ごしたかっただけだったはず。
「…随分と私は難儀な剣になってしまったものだな。」
独り言も今日は何回目だろうか。
はぁと溜息を吐く。なんて悩ましく五月蝿い気持ちだろうか。
勝手に部屋に入ってしまったのも申し訳がたたない、ならばと腹を決めた。部屋の中心で胡座をかく。
もう、ここで待ってやる。
***
陽は傾き、夕闇に包まれた。
行灯の火や庭の松明が縁側を暖かい光で揺らす。いや、実際は凍える様な寒さになってしまったのだが。酒が入ってるぶん感覚は多少麻痺しているようだった。
「お酒からっぽです!」
私は高々とおちょこを掲げた。
それを刀剣達が私の事を生暖かい目で見てくるのが分かり、私はさっと目を逸らした。結局、一番楽しんだのは私だったのではないだろうか。
すると普段はきびきび動いてくれない宗近さんが俊敏に立ち上がったので、周りに居た刀剣達と私は立ち上がった宗近さんを凝視した。
「皆、楽しかったか?今度からは私の茶を断ろう等と甘い考えは切り捨てもらおう。」
そこまで言うと、へなへなと効果音をつけてしゃがみこんだのを隣に居た鶯丸が支えた。どうしたんだろう急に、三日月の傍に皆で近寄ると彼は静かな寝息をたてていた。
皆で顔を見合わせて笑いをこぼす。「どうやら三日月も酒が少し入ってしまったようだな」と鶯丸が言った。
座りながら寝始めた宗近さんに、気を利かせた平野くん達が毛布をかけてあげている。
どうやらこれで宴も終盤だと、私は傍にあった空いた酒瓶を片付けはじめた。
すると横から拾ったばかりの空いた酒瓶を奪い取られてしまった。
「君はもう部屋に戻って休んでて。ねぇ、皆それが一番良いと思わない?」光忠が言い「俺が部屋の前まで送ろう」と蜂須賀くんが合わせたように言った。
「待って、私も片付けるよ」と言っても誰もが「お休みなさい」「また明日な」と言って手伝わせようとさせない。
私は諦めて「じゃあ皆また明日もよろしくね」と声をかけ大人しく蜂須賀くんに部屋まで送ってもらう事にした。
後ろ髪を多少ひかれるが、思ったよりも蜂須賀くんがスタスタと歩いて行くので大人しく付いて行く事にした。
暗い廊下で備え付けの行灯の火を蜂須賀くんが灯しながら部屋へと進む。
「付き合いは長い方だと思うけど、主が酔うのは初めて見たよ。」
「私は酔ってないよ。」
反射的に言葉を返したが、多少は酔っている様な気がする。
「はいはい」と蜂須賀虎徹が笑うのを聞くと、どうやら自分で思ってるよりも酔っぱらいに見えるらしい。
審神者の部屋の前の行灯に火を灯し、蜂須賀虎徹はそれを審神者に丁寧に手渡す。
「ちゃんと毛布をかけて、暖かくして寝るんだよ。」
じゃあね、と蜂須賀虎徹は行灯で照らされた廊下を戻って行った。
すると少し廊下を進んだ所で蛍丸が待っていたと言わんばかりにこちらを見て立っていた。
どうやら彼も彼女が心配で後をついてきたらしい。
どうやら彼女が酔って珍しいと思ったのは私だけじゃないようだ。
ちゃんと部屋まで送って行ったよと伝えれば、そっかなら良いんだと笑いながら溜息をついた。
蛍丸とは本丸の中でも特に付き合いが長い刀剣だ。
彼は自身の強さに誇りを持っているし、本当だったら彼女を部屋まで送るのだったら自分が一番適任だとも思っていたのだろう。
ただ私も彼女の初期刀として自分こそが適任だと思った。
背の低い彼に考えが伝わったのか強気な猫目は「僕が一番強いんだからね」と呟いた。
誰も居なくなると急に酔いが回ってきたのか視界が多少揺らいだ。
揺らいだ視界が収まるのを待ってから部屋の襖を開けた。
瞬間。持っていた行灯を奪い取られ、口を冷たい手で押さえられた。声無き声が塞がれた口の中に押し戻される。
何が起こったのかと恐怖と酒で頭が回らない。
「ぬ、主さま、小狐丸にございます。」
いつの間にか目を瞑っていたのか、うすらうすら目を開ければ、しかめ面の小狐丸が私の顔を覗き込んでいた。
ゆっくりと、口に当てられた手を外される。確かに小狐丸、安堵で膝から力が抜けた。
なんで私の部屋に?そういえば今日、彼を見かけていない。
宴の席にも居なかった。なんでだろうと思うがどうも頭が上手く働かない。
やっぱり飲み過ぎたのかな。
「部屋に勝手に入る等と不躾な真似をして申し訳有りません。ただ私は、その、今日は、主さまと」
そこまで言うと小狐丸は頭を下げ、口を閉ざして俯いてしまった。
彼が持ったままの行灯の火が俯いた彼の髪の毛についてしまうんじゃないかと私は内心焦った。
普段の彼と言えば、丁度手の空いた良いタイミングで髪を梳いてくれと現れるのだから。えっとこの場合は。
私はよろよろと立ち上がり棚の引き戸の中から櫛を取り出し彼に言った。
「行灯を台において。こっちにおいで小狐丸、髪を梳いてあげる。」
すると顔を上げる前に、彼の耳がぴくりと反応した。
この反応は喜んでいる証拠だ。どうやら彼は髪の毛を梳いてもらいたくて部屋で待っていたらしい。
自分でも出来るだろうにとは思いつつも、私は小狐丸を座らせ彼の背面に座る。頭の低い位置で結ばれた紐をほどき、髪を軽く手で梳く。
私がわざわざ梳く必要も無いくらい髪の毛はつやめき指通りも良い。
すると今日の昼に撫でた虎達を思い出し、思わずこの髪の毛に顔を埋めてしまいたい衝動に駆られる。白銀の長い毛はモフモフと、もふもふもふと…もふ…
審神者がうわ言のように「もふもふ」と繰り返して数分。
どうもおかしいとは思ったが、酒の匂いもするし多少酔うておられるのかと、それも良い、彼女と一緒に居れるならと。
ただ次の瞬間、背中に暖かい衝動を感じて小狐丸は思わず変な声を出してしまうくらいに驚いた。
髪の毛ごしに顔を押し付けられているのだろう、顔が触れてるだけではなく彼女の細い腕がいつの間にか自分の腰へと回っている。
小狐丸にとってはまさに願っても叶わないと思っていた出来事だ。
彼女から自分へ触れてくれた。
普段、頭を撫でてもらえてる短剣達や背が低い刀剣達が羨ましくて仕方なかった彼にとって、これほどの出来事が起ころうとは。
「もふもふだ、もふもふ。ふふふ小狐丸ってかわいいね。もふもふもふ。」
審神者が顔を左右に振る反動で小狐丸の体も左右に揺れる。
ただそれは長く続かず、急に審神者の腕がぽろりと外れ背中に先ほどとは比べ物にならない重さが言葉通りのしかかった。
「主さま?」声をかけても反応は特に無い。
体を少し傾け、手で倒れかかって来る彼女の頭を支えた。
そのまま体を反転させ、支えていた頭を自分の膝に置く。
寝息をたてている彼女の頬を軽くつまむと彼女は煩わしそうに顔をしかめたのを見て思わず笑みがこぼれる。
ふと小狐丸は彼女の指にしっかりと握られていた櫛を抜き取り、その櫛で彼女の髪の毛を梳きながら言った。
「たまには、私にも甘えて下され」
聞いているのか,聞いていないのか。
彼女は「こぎつねまるもふもふ」と小さく笑った。
エピローグ