今日はいつもより少し遅めに家を出た
だけど、家の前にも、歩いてる途中にもみょうじなまえに会う事は無かった
まるで俺がアイツを待ってるようで、なんだかイラついた、これじゃあ文句すら言えない
なんとなくイラついたまま、朝練に参加したが調子はいっこうに上がらなかった
鳳の微妙な笑顔にさえもイラつくし、これはもう、全部アイツのせいだ
居るはずなんて無いのに、少ないギャラリーを見渡す
フェンスの向こうに、昨日の帰り道で待ち伏せしていた気に入らない外見の女を見つけた
目が合ってしまい、なぜだか手を振られる
あの女は昨日から何なんだ、ああ余計イライラする、なんでだ
リストバンドで汗をぬぐい、時計を見れば朝練の時間はもう終わりに近づいているのに気付く
結局、何の成果も上がらない朝練をしてしまった
深くため息をつき、持っていたラケットを自分のバックに叩きつければ、ラケットは少しはねてコートの上に転がった
「はは、日吉、調子絶不調だね」
「うるさい」
「もしかして、なまえちゃんと何かあった?」
「何にもない、うるさい」
違う、違う、俺は別にアイツのせいでイラついてる訳じゃない
アイツが居なくても、別に何にも気にならないし、何も変わらない
ただ今日は調子が悪いだけだ
「あ」
鳳が間抜けな声をあげた、どうしたと目をやれば、さっきは居なかったギャラリーの中にみょうじなまえが立っていた
なんだよ、なんで居るんだよ
さっきまでその姿を探していたくせに、自分の中に生まれてしまった矛盾が頭を占領していく
俺は彼女の元へゆっくりと近づいていく
あれだけ約束を守っていた彼女が、どうしてわざわざこの時間にテニスコートに居るのかは分からない
しかし、つまり、分かる所は
彼女がコートに居るという時点で付き合う約束は無かった事になったという事だけだ
それが分かっていてコートに来たんだろう
フェンス越しに会う彼女は伏し目がちで、俺の目をハッキリ見ない
その態度にイラつく、いつもの威勢の良さを微塵も感じない
「わ、若くん、おはよう」
言う事はそれだけか?もっと他にあるんじゃないのか?
わざわざ校内で俺の周りをうろつかない約束を破って言う言葉は、案外あっけないものだった
「これで終わりだな」
「・・・そうだね、今まで本当に有り難う」
「ああ」
微妙な空気が流れる、その空気を引き裂いたのはどこかで聞いた事のある声
「日吉くん、良かったね!これでもう大丈夫だね!」
みょうじなまえの横に居る女が満足そうに笑う
何が大丈夫なんだ?
声のあがった方を見れば同じような髪型や化粧をした女の集団が居て、その中に昨日の女も居た
昨日から、この女の言いたい事が、俺にはよく分からない
そして、みょうじなまえを見れば、笑っていた
なんだよ、なんなんだよ、イライラは更に増していく
あれだけテニスの事を俺に聞いてきたのは、少なからずコイツがテニスというものに興味を持っているからだと思っていた
もしかしたらそれは全くのでっち上げの興味で、本当は受け答えする俺の事をバカにしてただけなんじゃないかとさえ思う
俺がようやく彼女の存在を認めはじめた瞬間にゲームが終わったようだった
コイツがこんな態度で、俺から何か言うなんて考えられない
聞きたい事や文句を言いたい気持ちを押さえて俺はきびすを返す
転がりっぱなしになっていたラケットをバックに突き刺すように入れた
「日吉!」
鳳の声が後ろから聞こえたが、テニスコートから出た俺は振り返らなかった
部室のドアを開けて、自分のロッカーにラケットバックを投げ込む
他の部員が驚いた顔をして俺を見たが、関係ない
制服に着替えている途中で鳳が部室に入ってきたが、俺は気付いてないフリをしたまま着替えを続けた
「あのさ・・・ずっと変な関係だなーとか思って見てただけの俺が言うのも変なんだけどさ、あんな別れ方っていうか、終わり方はなまえちゃん可哀想だと思うんだ」
「そういう約束だった」
「だって、ずーっと守ってきたじゃんか、3カ月もだよ?日吉だって、約束破った理由ぐらい気になるでしょ」
俺の横のロッカーを開けながら、鳳が言った
「・・・可哀想でもなんでもない、そもそも、そういう約束だったんだ、お前だって知ってるだろ?とうとう嫌気がさしたか、罰ゲームの期限がきれたんだろ・・・」
「ねぇ日吉、本当にそんな風に思ってるの?・・・なまえちゃんのあんな顔、俺は今まで見た事なかったけど」
「どういう意味だ」
「なまえちゃん、日吉がコートから出てった後、泣いてたよ、日吉が見えなくなるまでは笑ってたんだけどね。ずっと我慢して笑ってたんじゃない?それでも日吉は何とも思わないの?」
「・・・」
「俺さ、日吉はなんだかんだ言ってなまえちゃんの事、結構気に入ってるんだと思ってたんだけどな、勘違いだった?日吉って意地っ張りだし頑固だから、一回言った事を変えるの嫌いなのは分かるんだけどさ」
「・・・」
「これで、本当に良いの?」
胸がざわつくし、イライラは更に更に増していく
今まで、何だったんだ
鳳に言われるまでもない、そうだ、俺はアイツが気に入っていた
昨日の女みたいに余計な事は言わないし、面倒な事も聞かない
そんな事、とっくに気付いていたが、最初に出した条件を自分から変えるつもりは無かった
アイツはもう3ヶ月も約束を守ってきたし、これからもずっとそうなると思っていた
見に来たいと言っていた、あの練習試合の時だって、どこでコソコソ見ているか知っていた
本当に来たのか、そう思った反面嬉しかった
俺は約束を守る奴は嫌いじゃないし、何よりアイツが嫌いじゃなかったから
俺がアイツの居る方向を向けば、すぐに物陰に隠れようとしていたのも知っている
そこまでしなくても良いだろと思ってしまった自分が居るのも知っていた
それでも俺がアイツを気に入ったという事実は分かっていても認めたくなかった
頭の中を占領していた矛盾はようやく決着しそうだ
付き合うだなんて、世間一般の甘い関係でも無かったが
こういう奴なら、本当に付き合っても良いんじゃないかとも思っていた
そのくせに
俺が条件を出しておいて、今更何が言えるんだ
俺が終わりだって言った時、アイツが少しは反論するものだと思っていた
なのに、なんで、俺が居なくなってから泣くんだよ
それじゃあ、俺から何か言い出すタイミングすら掴めないじゃないか
「ふざけやがって」
「ごめん、俺、言いすぎたよね・・・」
「いや、お前じゃない」
「え」
「アイツでもない、ふざけてるのは、俺の方だな」
鳳のポカンとした顔を尻目に、着替え終わった俺は指定鞄を手にとって部室を出た
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