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美味しそうだね、薄くて形の綺麗な唇が紡ぐ言葉にくらりと目眩がした。

 私は喰種でもなければ、CCGの捜査官のように喰種に対抗し狩れるほどの身体能力を持ち合わせている訳でもなく。何なら今この瞬間に襲われたってあれよあれよと肉塊に変えられてしまうだけの所謂普通の人間だ。そして目の前にいる綺麗な男は私を意図も容易く壊せる残忍な捕食者である。自殺願望なんて更々ないし、愛する男の為ならばこんな腕の1本や2本と捧げられるほど奉仕の心も持ち合わせていない。寧ろ喰種の存在すら都市伝説のような曖昧さで認識してきた。時折ニュースで喰種による犯行を目にする度、そう言えばと思い出しては怯えてその都度忌々しい存在だと嫌悪していた。そんな自分が何故喰種であるウタさんと付き合っているのかと問われれば、単純に顔だ。顔が好きだからである。街中ですれ違った瞬間に一目惚れをして、もう無理これ運命!と残念な脳が反応を示した為に当たって砕けろ精神で声を掛けたのが始まり。断られる事を前提で連絡先を尋ねたのに、実際は拍子抜けするほどあっさりと番号を渡されて首を傾げたものだ。
眠らない街と謳われる4区は東と西で雰囲気はガラリと変わり、様々な人間が存在する。東のきらびやかなネオンの下。行き交う人々に手当たり次第声を掛けては我が店へと争奪戦を繰り広げるキャッチの男達、酒臭いサラリーマン、大学生の団体、重力に逆らったような髪型のホストや体のラインがぴったりと出るドレスに不釣り合いな防寒具のキャバクラ嬢。そんな派手な人種の中でも一際異彩を放っていたのが彼だった。彼のような身なり。つまり刺青や顔面ピアスを好むアングラ臭漂う人は職業も限られてくる。周辺にライブハウスがいくつも点在するのでギターやら機材を持って歩くバンドマンも多いので、彼のような風貌が特別珍しい訳ではない。しかし、見れば見るほど。彼からはどこかに所属しているといった雰囲気は感じられなかった。それ故にこの人は何なんだろう、普段何をしているのだろうと俄然興味が湧いたのも事実である。仕事かと尋ねた際に彼は首を横に振った。普段、東側には中々来ないと言う。たまたま歌舞伎町の入り口、最早目印の役割さえ担っていると言っても過言ではないドン・キホーテにて布用ボンドを調達すべく出向いただけとの事で。私自身たまたまその日に4区で友人と会う約束があっただけ。つまりは偶然。そんな偶然が重なり彼に出逢えた事はやはり運命と表現する他ないような気がして、妄信的な持論を加速させた。番号を登録した事で出てきたlineを眺めては、どんな文面を送ろうかと緩む頬。まずはお礼。そして突然声を掛けた事に対する謝罪を。何度も読み返しては誤字脱字がないかと確認する。それから改めて自己紹介を添え、震える指で送信ボタンを押した。昼間に送ったlineを一旦は頭の片隅に追いやり、それでもそわそわと逸る気持ちを抱えて日中を過ごした。此方の心情を知ってか知らずか。返事がきたのは日付を跨ぐ直前だった。
『ウタです。よろしくね』
見事なまでに簡素な文面だ。落胆しない訳ではないが、向こうからすれば知らない女に突然逆ナンされただけなので、此方と同じテンションを望むのは些か傲慢だろう。気を取り直して負担のない他愛ない言葉を返す。これにはすぐに返事がきた。彼は見た目に反せずやはり夜型なのだろう。次々と応酬されるlineに重くなる瞼を擦った。この調子ならば、食事の誘いくらい案外すんなりと受け入れてくれるんじゃないか。軽い気持ちで飲みに行きませんかと綴る。淡い期待を抱いて送った誘いは、それ以降通知は鳴らず途絶えてしまった。不安なまま早まってしまったと後悔しだした翌日の夕方、案の定『今回は止めておこうかな。ごめんね』と付け入る隙のない言葉が返された。嘆息を漏らす。運命の出逢いだ恋だと騒いでいたのが途端に馬鹿馬鹿しくなった。性急過ぎたのだ。反省しつつも、だらだらlineを続けるより直接会って話した方が進展するだろうと目論んだ昨夜の自分を呪う他ない。我ながらこの時の自分は人生最大に大胆であったと思うし愚かであった。

流石にこの状態で押し進める勇気が出る筈もなく。それ以降、具体的には3週間ほど音沙汰もないまま僅かな傷心で日々を過ごした。写真登録されていない彼のアイコンは何とも無機質で、運命的な一目惚れした筈にも関わらず脳内からは意図も容易く薄れていった。靄がかかりいよいよ忘れ始めた頃。それまで飼っていた犬の写真をアイコンにしていたが、気まぐれで自身の顔写真に変えた夜の事である。
『久しぶりです。ナマエちゃん、良かったら俺の店に遊びに来てみない?』
予想外の誘いに目を見張った。しかし、俺の店という言葉にすぐに脱力する。意外ではあるが、彼はホストだったという事だ。落胆して返事をせずにlineを閉じる。すると数分後に再び彼の名前が表示され、店までのマップ画像が添付されてきた。眉間に皺が寄る。流石に気分が良いものではなかった。既読のまま返事をしないのも気が引けるが、ホストの営業に対してわざわざ律儀に返事をする義理もないだろう。完全な立場の棚上げだが、今だけは見逃して欲しい。


 それでも好みのドストライクな相手からの誘いは判断を鈍らせるのだろうか。翌日、癪である筈なのに何故か最寄り駅よりも遥かに手前の4区で電車を降りていた。己が愚かしいし何より悔しい。それでも疑念を晴らさぬまま終わるのもやはりすっきりしない。外観だけ見て帰ればいいのだ。確かめるだけだ。内心だけで言い訳を連ねてただひたすらに歩いた。繁華街を抜けて気づけば随分と奥まった道を通っている。マップの通りに来ているので迷っている訳でもない。まさかこんな辺鄙な所にホストクラブがあるのだろうか。疑問に思いつつ辿り着いた先は、期待を裏切らないアングラ臭漂うマスク屋だった。

「あれ…いらっしゃい」
「……どうも」

やや驚きを含めた声音。作業の手を止めて首だけを此方に向けた彼は、机の片隅に置かれていたサングラスを着用した。短い挨拶の後、入り口の前で立ち尽くす私に彼は手で座るよう促した。足を踏み入れながらゆるりと店内を見渡す。薄暗い照明の下には前衛的なデザインのマスクがいくつもディスプレイされている。鼻を掠める甘ったるい香りはお香を焚いているのか、或いは彼自身のものか。

「迷わずに来れた?」
「少し、迷いました」
「そっか。わかりにくいもんね」
「……あまり新宿に来ないので」

抑揚の少ない人だと思った。見た目に反する物腰の柔らかさは緊張と入り交じって、余計に此方の胸を高鳴らせる要素となった。

「お店にあるマスクは全てウタさんの手作りなんですか?」

彼の手元に散らばった道具と未完成のマスクに視点を定めて尋ねる。

「うん、そうだよ」
「凄いですね。私不器用なので本当に、センスも良いし格好いい」
「ありがとう」

フッと笑う彼からは此方を馬鹿にしているような様子はなく、純粋に褒められたから照れたという表現の方が近い気がした。下降気味だった数分前の自分とは比べ物にならないくらい、気分が高揚していく。

「来てくれないかなって思ってた」
「……すみません」
「ううん、僕の方こそ先に誘ってくれてたのに断っちゃったから。残念だなって思ってた」

社交辞令でも残念だと言われれば少しは報われる。単純だけどそれだけで優しい人なんだと印象が変わった。誤解とはいえ彼を非難してしまった昨夜の自分を叱責する。流石に至って普通の身なりである自分にここのマスクを売りつけるというのは無理があるし、呼びつけた理由が私と似た気持ちならば嬉しいな。微かな欲さえ芽生え始める。

「お店、教えてくれてありがとうございます」
「ううん、ナマエちゃんが見ても楽しいものじゃないだろうけど会いたかったから」
「……はい」

不意にあれ、と違和感が生じる。正直、何故このタイミングでとは思ったが、どうしても拭いきれぬそれが気づけばこんな事を口走らせていた。気紛れにしても危機感に欠けていただろう。初めて会った時に感じた違和感。疑問。それらがパズルのピースを当てはめていくようにするすると答えが落ちてきた瞬間でもあったのだ。気づけば唇が勝手に動き、彼の名前を呼び掛けていた。

「あの…ウタさん」
「ん?」
「ウタさんは喰種、ですよね」

何の根拠があって断定したのか。案の定彼は口をつぐんでしまい、流れる空気に今までの穏やかさが消え失せた。遅れて焦りと後悔の波が押し寄せる。

「あ、あのすみません!私ったら突然何を…いや、本当に失礼な事を…」
「ナマエちゃん」
「は、はい…」

怒られるかもと身構えていた私に、彼はゆっくりと首を傾けて笑い掛けた。

「気づいてて此処に来たの?」
「………え」
「それにしたら、無防備だよね」

追いつかない頭に言われた言葉の意味を上手く咀嚼出来ずにいると、彼の細くて長い指がサングラスに触れた。

「いき過ぎた好奇心は、身を滅ぼす危険も孕んでいるよ」

サングラスに隠されていた彼の瞳は、魅惑的で恐ろしいほどに彼が私とは別の生き物である事を物語っていた。


 彼が喰種であるとわかった以降も、懲りずに店へと通い続けた。彼は私を物好きな子だと笑っていたが、決して邪険に扱う事はなかった。そんな優しさに漬け込む形でずるずるとなし崩し的に一線を越えた。正式に付き合うかという話題も出ないまま体の関係も持った。それでも魔が差してついかじるといった失態も起きなくて、私はすっかり彼を信頼しきっていたのだろう。普通の恋人同士のように食事へ出掛けたり人の多い場所へ赴く事はなかったが、それでも意外と上手く関係は続いている。しかしどうして私に興味を抱いたかと問えば、何も臆する事なく「可愛くて美味しそうだったから」と答える。怖いのか悲しいのか、それを聞いてどんな反応を返せばいいのかもわからなくて。困った時は取り敢えず抱き着いて流す事にしている。

「ウタさんはいつか私を食べちゃうの?」
「ナマエがいなくなるのは悲しいから、なるべく我慢するよ」

そう言って長い指が私の唇に触れる。ねえ、ウタさんは気づいてやってるの?欲を孕む彼の目は、間違いなく捕食者のそれである事を。