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実のところパトラッシュはネロの死後、いまだ息がありました。

極度の飢えと疲労と寒さでクタクタではありましたが、それでも心の臓は確かに動いておりました。

片目を開いて見えたのはネロとパトラッシュの死を聞きつけ、集まった村の人々の姿でした。


「ちょっと待って。何それ」

「え? 現国の課題。ナマエちゃんの所、出なかったの?」

「いや、出たよ。課題。詩を作れ、ってヤツだよね?」

「そうそう。どんな本でもいいからインスピレーションを受けたのを選んで、自作の詩を提出する事。ウチのクラス明日までなんだよねー」

「フランダースの犬?」

「フランダースの犬だね」

「で、何それ」

「え? 詩でしょ」

「違う。絶対及川じゃない。それ作ったの。何、ネットからパクってんの」

「パクってないよ! ナマエちゃん、俺をそんなに見くびらないでくれる? これはね、参考にさせてもらってるんだよ!」

「誰に」

「あ」

「ほら。及川じゃないんじゃん」

「お、俺の友達が書いたんだからほぼほぼ俺が書いた様なものでしょ?!」

「……」

「そんな目で見ないで!」

騒ぐ及川を尻目に、私は机に一度放り投げたペンを取った。

私のクラスの課題の提出期限は明後日だ。及川のクラスとそうそう変わるもんじゃないと思うけれど、当の本人は、

「全然違う! 24時間まるまる残ってるんだよ? ナマエちゃんズルイ!!」

と先刻から言ってきかない。

「っていうかさ、なんでこんな難易度の高い課題を出すかね? 及川さん愛の告白は得意分野だけど、それをポエムに託す趣味はないよ」

「詩イコール恋な訳? 及川君の中では」

「英語の原文とか読むとさー。それはそれは熱烈な愛の独白してるじゃない。聞いてるこっちがひぇーってなるヤツ。残念ながら及川さんも人間だからね。苦手な事もあるのだよ」

「そこは素直に文才が無いって言いなよ」

「そんな事言うと、もう数学写させてやんない!!」

「あ、もう写し終わった」

「いつの間に?!」

及川の口が動くのと同じくらい、私は手を動かしているんだから当たり前だ。及川はやる気が
ないのか、単に喋り相手が欲しかっただけなのか、とかく、まぁよく話す。

私はその声をBGMに、既に課題を2つ終わらせてしまった。

今日の青城男子バレー部は、完全にオフだったから、暇を持て余して適当な女の子に粉をかけている及川を捕まえるのは容易かった。

廊下で立ち話もなんだからと私の教室に連れ込んで、もはや1時間半。

及川の無駄話は終わらない。

同中のよしみといって課題を写し合いっこしつつ、(写しているのはほぼ私の方だけれど)この無駄に整った顔立ちの男の、至って実りのない、入口も出口も分からない話を、聞く事が私は決して苦痛ではなかった。

それが及川と私の距離感で、それを越える事は何を間違ってもない。暗黙の了解だ。

「ナマエちゃん」

「何」

「パトラッシュはなんで死んだフリなんかしたんだと思う? 村の人々はネロ達に冷たくした事を反省してんだよ。今がチャンスじゃん。実はパトラッシュだけでも生きていました、これからは皆で仲良く暮らしましょう、でハッピーエンドで良い訳じゃん?」

「バッドエンドなの? その詩」

「うーん……俺からは何とも言いかねる」

「読んでよ」

「うん?」

「続き。読んでよ」

私の言葉に、及川が間の抜けた顔をした。

「えー……聞きたい?」

「うん。聞きたい」

「あ、分かった。ナマエちゃんパクるつもりでしょ」

「……バレたか」

「ナマエちゃんは本当にしようがないなぁ」

しようがない男からしようがないと見做されたとしても、私の怒りのボルテージは上がらない。

むしろ、その心地よさに心が凪いだ。

重症だ、と自覚している。

「……」

「……」

「読んでってば」

「何このプレイ」

「及川のじゃないんでしょ」

「だってナマエちゃんパクる気じゃん」

「パクらないから」

「パクる」

「パクらない」

「そんなに及川さんを詩人にしたいの?!」

笑顔で、うん、と答えれば、途端に及川はうろたえだした。

目尻が赤い。

それくらいの表情をコイツの歴代の彼女達は皆、もれなく見ているのだろうし、それ以上も全部知っている。

それでも、どんな些細な事でも独占したいと思うのは、私の中だけに閉じ込めたいと思うのは、不毛だろうか。

いけない傾向だ、と思う。

欲が出るのは、人間の悪い性だ。

「ナマエちゃんって密かにSだよね」

「及川はどMだよね」

「違うし! そんな事ないし!」

「いつも岩泉に殴られてるじゃん」

「ナマエちゃんの中で俺ってどんななの?」

「最低ではあるよね」

「ナマエちゃん!」

「女の子大好きだし、その割にはバレー程、大切にはしてあげないし、なのにいつもフラレたー! って嘆いては自分が一番みじめみたいな顔をするし、基本的にズルいよね。及川は」

「……」

「そうじゃなかったら及川じゃなくなるんだけれども」

及川が何かを言いかけ、口を閉ざしたので、つられて私もそうした。

ねぇ、徹知らない? 教室行ったけどいないんだよねー。

少し離れた先の廊下で、及川を探す女の子達の声がする。

この声の中で、懲りずに及川は生温く笑って、泣かせて、残酷に優しくして、また岩泉あたりから殴られるんだろう。

目に見えている。

「……ナマエちゃんさぁ、今度また俺が女の子に振られたら慰めてくれる?」

「そういうのは岩泉の役目でしょ」

「岩ちゃん、俺を慰める為のおっぱい無いもん」

「一度、死ねば」

「Bカップの胸でいいから。貸してね」

「本当、死ねば」

うん。本当にそうだね。本気か冗談か珍しく殊勝に言って、及川は、

「俺、呼ばれてるからそろそろ行くね。久々にナマエちゃんと話せて楽しかった」

ルーズリーフを千切って、私の机に伏せた。

「続き、読みたいんでしょ? それ、あげる」

「パクるよ」

私がおどけて言うと、

「俺もしようがない奴だけど、ナマエちゃんも大概だよね」

無礼な事をさらりと言い残し、教室を出た。



実のところパトラッシュはネロの死後、いまだ息がありました。

極度の飢えと疲労と寒さでクタクタではありましたが、それでも心の臓は確かに動いておりました。

片目を開いて見えたのはネロとパトラッシュの死を聞きつけ、集まった村の人々の姿でした。

パトラッシュはちらりと思いました。

今ならば、自分は村の人々にきっと歓迎されるのだろうな。

温かいご飯も寝床も愛情も全部、沢山もらえるのだろうな。

ネロは死んでしまったのだし、自分にはもう飼い主はいない。

自分はとても弱っているし、このままでは死んでしまう。

パトラッシュは開けていた目を閉じ、考えました。

そんな彼の耳に届いたのは、たった一言。とある少女の声でした。

とても可哀相。お墓を作らなくっちゃいけないわ、パパ。

それはネロが密かに想いをよせていた少女でありました。

このままではきっと自分ももれなくお墓の中に入る事になるのでしょう。

それは一体どんな所でしょうか。

温かい羽毛のような場所でしょうか。

少女が続けます。

お墓にはネロとパトラッシュの名前を彫りましょう。そうして毎日祈りましょう。私達が決して2人を忘れてしまわない様に。

(忘れてしまわないように)

瀕死のパトラッシュにとって、それはどんなパンやミルクより、魅力的な響きでありました。

人間は忘れる生き物です。

パトラッシュは隣で静かに眠る友人の顔をそっと盗み見ました。

(忘れてしまわない様に)

ネロの想いも、村の人々達からの仕打ちも、憎しみも愛情も優しさすらも。

忘れないでもらえるのならば。

パトラッシュはそっと目を瞑りました。

人々の手がそっとパトラッシュの身体を持ち上げました。

何度だって、自分はお墓に入るだろう。

10回だって50回だって、100回だって。

この大切な友人の為に。

死んだフリしてお墓へ入る。

静かにそう思ったパトラッシュの口元には微笑が宿り、どんな幸福にも勝るとも劣らない陽だまりの様な夢を、今ならば見れそうな心地がするのでした。



「……出来上がってるじゃん」

何がナマエちゃんはズルイだ。

何が慰めてくれる? だ。

っていうかこれ友達のって言ってなかったっけ。

文章の最初の方に目を遣ると、タイトルがまだなかった。

私はペンを取り、書き込み、項垂れた。

及川徹という男はどうしようもない程、ずるくて、残酷で、最低なのは知っている。

でも、これはないだろう。

私は馬鹿か? それとも阿呆か?

いいや、馬鹿で阿呆なのはアイツだ、及川徹だ。

口に出すと、ますます苦くて少し可笑しかった。