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私たちと共に育ってきた暗夜ではなく、生まれ故郷である白夜につくと言った彼女を連れ戻すのは、容易では無かった。一度こうと決めると、中々考えを改めない強い心を持った妹だったからだ。私たちの説得を聞いてはくれない。いや、聞きはするが、同調してはくれなかった。だから、一番確実な方法をとった。我が暗夜王国を裏切り、白夜王国のきょうだいと共に戦うと言って聞かなかった妹の前で、白夜軍を殲滅させた。彼女の本当のきょうだいである白夜の王族を捕え、その首に剣を突き付けながら彼女に言った。「暗夜に戻ってくるのならば、お前のきょうだいの命だけは助けてやろう」と。私たちは知っていた。ああ言えば、彼女は暗夜に戻ってくることを。私も、カミラも、レオンも、エリーゼも。こうすることが、彼女を連れ戻す尤も確実な方法なのだと。私たちの予想通り、彼女は涙を流しながら武器を下ろした。自分を庇って命を落とした母に貰ったというその刀を、自ら手放した。血に濡れた大地に落ちた刀は夕陽を浴びて鈍く輝いていた。「暗夜に戻ります。戻りますから、…リョウマ兄さんたちを、解放して下さい…」彼女はそう言って、その場に泣き崩れた。白夜王国のきょうだいたちのために涙を流すのは気に食わなかったが、恐らく白夜のきょうだいたちに誑かされていたのだろうから仕方がない。「さあ、優しい私の妹に感謝することね」カミラがそう言葉を紡げば、捕えられていた白夜の王子たちが解放された。白夜の第一王子と王女は私たちの妹を連れ戻そうと再び刀を構えたが、レオンがそれを許さなかった。生き残っていた白夜の兵たちに攻撃を仕掛け、止めてくれと泣き叫ぶ彼女に「大丈夫だよ姉さん。約束したから。王族には、手を出さないよ」と微笑んでいた。レオンの顔は、誰のものか判別の付かない返り血で赤く染まっていた。これ以上戦っても勝機はないと判断したのだろう、白夜軍はあの場から撤退した。白夜の王子は、必ず迎えに行く、と、私たちの妹に言い放っていたがそんなことは無理だろう。私たちはもう二度と、彼女を手放したりなどしない。「迎えになんて、来なくたっていいのに。…ね、おねえちゃん」戦いの中で傷を負ってしまった彼女の傷を癒しながらエリーゼは笑っていた。笑い掛けるエリーゼに笑みを返すこともせず、彼女はただ真っ直ぐに私を見つめていた。この戦いの指揮を執っていた私を、真っ直ぐに。今まで見たこともない、強い瞳で。「信じて、いたのに。あなたたちも結局、お父様と…ガロン王と、同じなんですか…」真っ青になった唇が可笑しなことを言っていた。信じていた?それは、私たちの台詞だろう。私たちがどれほどお前を愛し、信じていたか。それなのにお前は白夜につくと言った。私たちではなく、白夜のきょうだいを選ぶと言った。ああ、でも大丈夫だ。私たちはまだお前を信じている。お前が私たちを裏切ることなんてない。そうだろう。お前は誑かされていただけだ。白夜の王子たちに誑かされていただけだ。暗夜に連れ戻し、私たちと過ごせばまた、また以前のように笑ってくれるのだろう。



そうなのだろう?



太陽の当たらぬ我が暗夜王国の城内は明るくはないが、牢までの道は更に暗く感じられる。暗く、いっそ不快なほど湿気に溢れた地下通路を進んで行けば、幾人もの兵に守られた独居監房に辿り着く。扉の向こうには、私の妹がいる。わが国屈指の兵たちが守るこの厚く重い扉は、私たちきょうだい以外を迎え入れることはない。彼女が私たち以外と会うことなど、ない。扉を開けば、そこには他のきょうだいたちに囲まれた私の妹の姿があった。扉の開く重く低い音に反応したのか、彼女は緩慢な動きで顔を上げた。



白夜から彼女を連れ戻して数週間が過ぎ、暗夜の王女として育てられた彼女は、体の自由を奪われ、薄暗い地下にある独居監房に閉じ込められている。華美なものではないが、レースがあしらわれた黒い薄手のドレスに身を包んだ彼女は一見すると仰々しい鎧に身を包んでいたあの頃よりも王女らしく見えるが、その手足には枷が嵌められている。その白く細い首にも、だ。彼女に自由はない。必要最低限の水と食料は与えられてはいるが、彼女はろくに口をつけない。拘束され、食事も取らず、日々弱って行く彼女を見るのは辛いものがあったが、それでも私たちの手元に彼女が戻ってきたことが嬉しかった。北の城塞に通っていた時のように、私たちは毎日彼女の牢へと通っている。だが、白夜に誑かされた彼女は、以前のように微笑んではくれない。日々弱っていくと言うのに、彼女は私たちきょうだいを強い瞳で睨む。ぐったりとし、痩せ細っていく体には似つかわしくないほどの瞳。その瞳を向けるべきは白夜の者たちだろう、と何度言っても彼女は聞かない。何度もその耳元で囁いた。悪いのは白夜だと。お前は暗夜の王女なのだと。私たちの、きょうだいなのだと。だが、私たちの妹は、是とすることも頷くこともしない。どちらかをしさえすれば、手枷も足枷も首枷も外してやるというのに。柔らかな寝台で、あたたかな食事を取らせてやるというのに。白夜の者に騙され、惑わされた可哀想な私たちの妹は、私たちの言葉を聞き入れてはくれぬ。それでも。それでも私たちきょうだいは彼女のことを愛している。彼女のことを信じている。そうだ、たとえどれほど、彼女に殺意に満ちた瞳で見つめられようとも。



「もうどこにも行かないでね、おねえちゃん」彼女の右隣に陣取ったエリーゼがそっと手枷を嵌められている彼女の手に触れた。彼女を暗夜に連れ戻して数日は、閉じ込めるなんて可哀想、と言っていたエリーゼだったが、今では彼女が自分の元から離れていかないのが嬉しい様子で、彼女にべったりとくっついている。手枷と足枷を嵌めている以上、彼女はどこにも行くことなど出来ない。それに何より、彼女をここから逃がすことなどあり得ないと言うのに、エリーゼは毎日「どこにも行かないでね」を繰り返している。彼女はエリーゼに対して何も言葉を返さない。…いや、言葉を返さないのは何もエリーゼに対してだけではなかったか。エリーゼの小さな手は枷を嵌められた手を何度も何度も撫でていた。



無邪気に笑うエリーゼとは反対側、王女と言うよりはもはや囚人に近い彼女の左隣で、レオンは彼女の髪を撫でていた。「姉さんは危なっかしいんだから。…僕たちが側にいてあげなくちゃね」言葉を返さない彼女の耳元で囁くその声は驚くほどに柔らかい。こうしているとレオンの方が兄のようだな、と思う。以前は法衣を逆に着ていたり、寝癖をつけて軍議に臨むレオンを彼女が微笑みながら注意するという光景をよく見掛けていたが、今ではそのような光景を見ることは叶わない。彼女から注意を受け、普段大人びているレオンが年相応の表情を見せることも多かったが、その表情を見せることももうなくなった。レオンはどこか恍惚とした表情を浮かべながら彼女の髪の一房を手に取り、慈しむような口付けを落とした。



「ああ、やっぱりあなたは可愛らしいわ。…ほら、その顔をお姉ちゃんにもっとよく見せて」カミラは以前にも増して彼女に執着するようになった。彼女が今身に着けているドレスはカミラが用意したものだ。数日おきに彼女に湯浴みをさせるのもカミラの役目だった。元々妹である彼女を異様とも取れるほどに可愛がっていたが、彼女を連れ戻し、独居監房に閉じ込めてからはそれが顕著になってきた。離れようとはしない。以前は臣下と過ごす時間も多かったが、最近では毎日、何時間もこうして彼女の側にいるようだった。カミラの手には金色に輝く髪飾りがある。カミラはそれを、レオンが触れている彼女の髪に宛がいながら微笑む。最愛の妹に綺麗な服を着せ、可愛らしい装飾具で飾り、共に過ごしたいというカミラの昔からの願いを叶えるかのように。



きょうだいたちに囲まれている彼女を見ると不思議と安心する。彼女のきょうだいは私たちなのだと実感できるからだろうか。私も一歩、一歩と彼女に近付く。カミラたちは足音でやっと私が来たことに気付いたらしく、ゆっくりと、名残惜しそうに彼女から離れていく。彼女の視線は私から外されることはなかった。彼女の正面で膝をつき、その白く冷たい頬を両手で包む。私に膝を折らせるのは生涯お前だけだろう。「いい子にしていたか」微笑みかけながら問い掛けても、殺意のこもった瞳で私を見据えるのみで、彼女は何も言わない。白夜に誑かされた哀れな私の愛しい、妹。「暗夜の王女らしい瞳だが…その瞳を向けるべきは白夜だといつも言っているだろう」両手で頬を包んだまま、その耳元に唇を寄せる。私の唇と彼女の耳朶とが触れるぎりぎりの距離で名前を呼べば、彼女が身動ぎをした。じゃらり、と枷の金具が音を立てる。レオンに口付けられていた柔らかな髪が私の手を擽っていく。その心地よさに堪らず笑ってしまう。白夜の王子たちが彼女に触れることはもう二度とない。彼女は永久にここにいるのだから。枷を嵌めた彼女はもうどこにも行けない。逃げることも出来ない。連れ出すことも出来ない。ここが、私たちの側が、彼女の唯一の居場所なのだ。そうだ、私たちは彼女をもう二度と離さないし、彼女はもう二度と私たちの側から離れられない。



だが。



私たちが彼女を離すことなど有り得ない。彼女が私たちから離れていくことも有り得ないというのに。何故だか彼女が離れていくような気がしてならない。白夜の王子の言葉が頭の隅にこびりついている。必ず、迎えに。そのようなこと、叶う訳がないがないのだ。白夜軍は殲滅した。暗夜に攻め入るだけの戦力はない。それだと言うのに何故このような気になるのだろうか。ああ、そういえば彼女が私を最後に兄さんと呼んだのは、いつのことだっただろうか。