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 吐いた息が白く淡い形を成して、消えた。一面の眩い白銀の世界に咲き散った赤は、やけに色濃く地を染め上げている。毛皮のコートを纏ったトラファルガー・ローは、その景色の中心に据えられた黒い裂け目のように、強く目を惹きつけられた。脳裏にまで焼付くコントラストに、感嘆の息を呑む。
 この静寂は、ただひとりの物。この美しいばかりの赤は、あの人に近づく為に、切り裂いて来た道。
 それは儚くて恐ろしいくらいの、あの日のような、あの日よりもずっと残酷になってしまった、心臓を射抜く絶景。
 連なった金色のピアスが光る。振り返った視線は暗く、殺伐とした表情には、純粋な殺意ばかり鋭利に磨かれていて。
 祈るように跪き、讃えるように顔を上げる。彼が色付けた腹部を片手で押さえながら、苦辛と嗚咽を隠すように口角を引き上げた。



 出会った一番最初から、達観したような目をしたお前が、心底気に食わなかったのを、今でも覚えている。
 "子供嫌い"なコラさんがあまり手を上げなかった事や、ドフラミンゴが優秀だと褒めたのが多々あったそいつを、ローは子供心からか対抗心でか、初めから嫌いであった。それは何年過ごそうが変わらず、馬鹿みたいにコラさんに引っ付いて回る姿は自分よりもずっと幼く見えたし、女々しい物だった。
 そして雪降るあの日、誰よりもコラさんが好きだと言っていた少女は、冷徹にもその人を目の前で名も呼ぶこともなく彼を見捨てた。
 それから十三年後の今、立派にジョーカーを支える幹部として、そいつが目前に立ちはだかったので、切り捨てる理由はそれだけで十分に足りているだろう。呆気無いほどの弱さに、ローは所詮お前の意志などその程度だった訳だ、と忌々しげに見下ろしていた。口先だけの好意も、家族とは名ばかりの忠誠心も、全て己の弱さ故に貫けもせずに。
 凍てついた地に、血液が毛細血管に流れ込むかのように侵食してく。伏した女は既に細い虫の息、だと見ていたが、発した筈の語が響かず、驚いて引いた足が氷を擦る音もしなかった。その意味は、信じ難くはあったが、直ぐに理解できた。
 女を仰向けに転がし、膝を突いて逆様に生きた瞳を正視する。首まで覆われた裏地の柔らかい防寒着を掴み、冷えた指先で首筋に触れる。急に触れた外気に一瞬その体は震えたが、反応も脈も正常よりは弱っていた。
 それらの動作全てに音が聞こえない。発せられていない、と言った方が正確か。これは明らかにあの人の悪魔の実の能力で、この場約三キロの範囲内に意識有る者は自分達以外に誰一人として居ない。そして、先程崩れ落ちるように女が倒れた時、確かに偶然のようではあったが女の手は自分の靴先に触れていた。
 音の無い舌打ちをし、奥歯を噛み締める。何処まで、奪えば気が済む。睨み付けた女からの言葉も無い。
 その細い首を締め上げれば、呼吸運動を強制的に止め、空気を奪い、全身に足らなくなった酸素を求めもがき、チアノーゼと痙攣を起こし、一分を過ぎれば昏睡、そして喘ぐように終末呼吸をし、その凡そ三十分後に死亡する。それが堪らなく苦しい事を、遠く昔、こいつの手に教えられたのだ。
 コラさんを殺そうとナイフをその背中に突き立てた夜、こいつは本気で殺すつもりで首を絞めてきた。その時止めに入ったのも、皮肉のようだが、無言を貫くコラさんだった。
 だから、お前を葬るには、同様の方法がお似合いだろう。そうすればまた、広大な海のこいつらの手元にでは無い何処かで、新たに悪魔の実が現れるはずだ。
 細い首に両手を掛けた。氷点下の中で皮膚は既に熱を失っている。力の込めていない手でも、辛うじて脈は感じられた。肩口からの出血が多くまだ止まっていない。放っておいても、助けの無いこの環境では余程の運が無い限り死ぬだろう。
 見えていた唇が力無く、弧を描く。青褪めた顔は、それでも穏やかな表情で、死を甘受するかのように微笑んでいた。
 指先に力を込める。乾いた皮膚に爪を立てれば直ぐに切れて、血が滲む。詰めた呼吸が不愉快にも触れて、まだ笑っているお前の唇が、ゆっくりと何かを呟いた。徐にポケットから取り出したのは、軽く血の付いたそれは折り畳まれた紙。死に際ですら利口なお前が、だからおれは、大嫌いだった。



 君が直接その手を汚すまでの事でも無いよ。そんな、余計な事を全部言ってしまいそうで、念願の末に手に入った悪魔の実の能力を、二人に使っておいて良かったと思う。両腕の隙間から逆様に見えた男の顔は恐ろしく無表情で、わざわざこんな方法を取ってくれるとは、随分と恨まれたなと笑えた。すっかり死んでしまう前に、彼へのプレゼントはきちんと手に握ってアピールしておいた。苦しくなる息の中、やけに時間がゆっくりゆっくりと流れてく。
 若様に拾われた時のこと、コラさんに初対面で叩かれて恨めしく思った時のこと、ベビー5に泣きつかれて困ったこと、バッファローに賭けで負けて悔しかったこと、全てを壊したいと言った命知らずな少年に出会った時のこと、本当にドジなロシナンテさんの事を初めて好きになった時の、こと。取り留めもなく沢山の事を思い出して、笑ったり泣いたり怒ったり、ああ十分に生きてきたのだなと我ながら関心する。
 気が付けば、今はもういないあの人と同じ年数を生きていた。小雪舞う今と似た雪景色の世界、彼が命を懸けて守った少年が声も無く叫び泣いている。その少年が今現実で、十三年越しに、自分の首を絞めているのは、なんだか感慨深くあった。
 これは、あの冬の日に君を守り損ねた報い。もしくは、あの日から生き延びてしまった長過ぎる余白の終わりだ。
「ごめんね」意気地無しで。
 声にならない言葉を知らずに口ずさむ。とうとう息苦しさも限界点に達し、反射的に首に爪立てた手を掴む。すると予想外にも、手に込められた力が緩み、一息に空気を吸い込んで激しく噎せた。その運動と一緒に血も出て、酸欠と貧血が同時に起こり、横になっているのに目眩がした。呼吸するだけで痛みを感じながら、徐々に歪みの安定してきた視界の中で、ローに見下ろされていたのが分かる。
 彼は私の手から取った紙に既に目を通していて、何か訴えるように口を動かしていた。音はしていない。不機嫌そうに顰められた眉の下の目を細め、今度は乱暴に手を掴まれる。ツートンのリズムやスペルで質問をされるが、ずっと口は閉ざしたままでいた。
 どうしてパンクハザードへの地図を寄越した。ビブルカードまで付けて、一体どういうつもりだ。お前はドフラミンゴに言われておれを捕らえに来たんだろう。これはどういうつもりだ。…どうして、あの時、おれを逃した?
 何の返事もしないでいれば、ローはくそっと吐き捨て手を離した。分かりやすい、動揺している。その短気さが少年だった頃と変わらず、胸の奥でだけ笑った。
 すっかり冷えた体が沈むように重たくて、瞼を閉じる。このまま眠ってしまいたかったが、頬を叩かれる。瞼を持ち上げる。薄い膜が空に掛かっていて、ローが能力を使ったのだと分かった。肩から腹部まで、袈裟懸けに切られた傷口から、少し痛みが引いた気がした。
 もしかして彼は、私を赦そうとしているのだろうか。そんな気遣いは無用なのに。あの冬の日に、君達を見てみない振りをして逃げた私が、臆病者だったのが悪いのだから。
 憤り怒鳴っている彼の、声だけが聞こえない。意味の伝わってこない、まるで白黒の無声映画のように、彼は息を荒げ、氷土に拳を打ち付けた。
 どうしてそんなに、今更伝え合う言葉が必要だろうか。元々、お互いにどこか本質的な見えない部分から嫌い合っていたはずだ。死すら厭わなかった君を、生にだけ執着した私を。
 今だってお互いに、好きになんてなれていないのは歴然としている。どうしたって、ロシナンテさんがローだけを連れて行った事は、今でも半分くらいは憎いし、悋気しているのだから。
 始まりはただの偶然だった。ロシナンテさんのドジのお陰で実は話せる事も、海軍の密偵であった事も知ってしまい、それを蹴らないでという条件と引き換えに黙した私は、見事に一年間約束を守った。秘密を自分だけが知っているのが嬉しくて、ずっと彼にまとわりついてれば、いつの間にかロシナンテさんも気を許すようになってくれて、海軍の施設に行った方が良いとも言われたけれど断った。ロシナンテさんの傍が良いなんて、きっと彼には年の離れた妹の我儘くらいにしか思ってなかっただろう。ませていた、とは思うが、それでもあの頃の自分にとってはそれが世界の全てだった。
 そんな日々も急に、ロシナンテさんがローを連れて病院探しに行ってしまって、終わりかける。けれど、私よりあいつが好きなんだ、なんて落ち込んでいた夜にでんでん虫が鳴って、出ればそれが運命的にもロシナンテさんだった。出来るだけ他の人には暴露ないように、ドンキホーテファミリーの動向を知りたかったそうだ。それからの半年は、今までの数年よりずっと多く話をした気がする。くだらない事から、大切な事まで、まるで秘密の恋人みたいだなんて浮かれていた事なんて、天然な彼は知る由も無いのだろうけれど。全部懐かしくて苦しくなるばかりの、遠き過去の日の思い出。
 そんな中でどうしてローに構うのか聞いた時、ロシナンテさんが、"D"はまた必ず嵐を呼ぶ、という言葉を教えてくれた。その時は上手く解釈できなかったが、今ははっきりと分かる。この十三年間、どう足掻いたって私が敵わなかったドフラミンゴに、少年は挑む力を着実に付けてきた。無力な自分とは違う。ただひたすらに彼は、ドフラミンゴを止めるというロシナンテさんの悲願を成就する為だけに生きる、命を貰ったのだ。
 ローは私を敵だと思っているだろう。きっとそれはそのままで良いのだ。だから質問には答えてやらないし、余計な事も聞きたくない。一つの使命すらも、全う出来なかった私にはお似合い。
「真実が伝わらねェこと程、辛いものって無いな」
 不意に、ロシナンテさんの電話越しに溢した言葉が、耳元で聞こえた気がした。大の大人が鼻を啜りながら、彼は、泣いていた。
 苦い気持ちが口いっぱいに広がる。そうだ、真実も気持ちも、本当の意味で伝えられないこと程、泣きたくなることって無いんだ。
 顔を顰めて見つめてきていたローと、視線を交わらせる。すると彼は期待したかのように唇を動かし、まだ出なかった音に舌打ちをした。
 そんな姿に、あの日の声も出せずに泣いている少年が目に浮かぶ。あの時、さよならは言えたのかな、と不意に思った。ロシナンテさんは言ったのだろうか、彼にさよならを。そうだったら良い。だって私は、貴方に銃口を向けたドフラミンゴを止める叫びも、貴方に赦してもらえず、未熟にも銃を放った屈強な腕に必死でしがみつくことしか出来なかったのだから。
 ローはお前より年下なんだから、可愛がってやるべきだ、とは子供嫌いのくせによく言った物だよね、ロシナンテさん。貴方が遺したその少年のことを、嫌いになんてなれないのだから。
「ナマエ!」
 急に音の戻った声に一瞬驚いたローは、直ぐに言葉を続ける。目を開けろ、まだ死ぬんじゃねェ、お前には聞きたいことが山程有んだ。
 すっかり力の抜けて冷えきったナマエの体を抱え、ローは能力を使い船まで飛ぶ。その間も忙しなく悪態やら恨みつらみやら、どうしようもない言葉を続けて。
 淡い潮の匂いがする。この島の近辺は深い紺碧の色の海だった。波音が心地良く、風が声をさらっていく。ナマエは暗闇に閉じた瞼のまま、静かに微笑んだ。
 大丈夫だよ、ちゃんときこえているから。だから一言だけ、ずっと言いたかった私の声も聞いて。
 あの雪の中で泣いていたひとりぼっちの君を、抱き締めてあげられなくて、ごめんね。