[heroine side]
唇が震える。不整脈を起こしそうなくらいに脈打つ心臓。こうなるとは思ってなかった。ただ、遠目から見ることができたら。元気な姿を一目でいいからみたかった。だからこの小さな旅を始めたのに。
私をみる父ではないその人は軽い診察を終えると一つため息を漏らした。
「ジュードがここに連れてきたときにはすでに危ない状況だった」
「………」
迷惑しかかけていない。でも素直に言えばきっと彼はついてくる。彼がついてきたらすんなりと此処に入ることができただろうが私はジュードの友人として訪れるのだけは嫌だった。どうせなら赤の他人として。一瞬の出会い、一瞬にして記憶から抜け落ちるような小さなすれ違い。それを望んだ。
痛む体を無理矢理動かしディラックさんを見た。何も変わらない、いや、私が知る頃よりほんのり情がこもったような感じ。なんだか悔しい気持ち。
口を動かそうとするがうまく動かない。何かを言葉にしたいけれど何も出てこない。私はこの人になんと声をかけてあげればいいのだろうか。
ほら、だから他人の振りしてすれ違うくらいでよかったのに。こんな、こんな近くに自分の実父に瓜二つの人を置いてしまうから何もいえない。ここが分史世界でこの人が消えてしまうとか、そういう類の話だったら別かもしれないけれど。
「初めてだった。あんなに焦った顔をした息子の顔は。そして、一緒に治療を施したのもな」
羨ましい。そう思った。私は父さんとよい関係を結ぶこともろくに親孝行もしていなかったから一緒の病室で同じ患者に向かって治療を施すこともなかったのだ。共同作業に憧れた。本人には言えないけれどもっと一緒にいればよかった。失ってからの後悔。悔やんでも悔やみきれない、本当私はどうしてここにいる。なんで正史世界に…。理由がほしかった。私の存在意義が。
「…先生、」
ジュードのお父さん。そう言おうとして止めた。これまでの壁がもっと分厚くなりそう。ディラックさんは私を見た。それだけで何かがこみ上げてきそうな気持ちを抑えて続けた。
「ジュードのこと、立派な息子さんだと思いますか?」
突拍子もない話題に面食らったような顔をして少しの時間が経つ。そして肯定の言葉を口にした。
「学者としてまだまだ未熟者だが、あいつのやりたいことは尊重してやりたい」
源霊匣についても、と続けていたころ我慢できなくなって目の前が見えなくなった。水で歪んで鼻で息をするのが苦しくなって、私は泣いていることを嫌でも気づいてしまう。
私の父もそう思ってくれたのだろうか。
源霊匣の研究、父さんが裏で根回ししてくれていたのはうすうす感づいていた。どうしてこんな親不孝者を手伝ってくれるのだろう、ずっと訊きたかった素朴な疑問だがもし、私の父も目の前の人のように思ってくれたなら嬉しい。父親に少しでも認めてもらえた、これ以上にうれしいことはないだろう。
「…そ、ですか……っ、」
この場の雰囲気を察してかディラックさんはそれ以上何もいわずにこの場を後にした。
ディラックさん、父さんとの再会がこんなにも辛いものだなんて小さな小さな旅を決意したてのジュードのことをジュードくんと呼んでいた頃の私は想像していただろうか。
拭うにも手が動かない。真っ赤になっているだろう両目も鼻も、みっともないこの顔全てをさらけ出して嗚咽まじりの小さい声で言えたのは多分もう呼ぶことのない名前だった。
「父さん…、ありがと…」
泣いて泣いて泣いて、
(でも、少しだけ気分が軽くなった気がした)
2014.2/27
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