最近家族関係は悪くなっているようで。家に帰っても面白いことなんてないからいっつも暗くなるまで学校に残っていて。オーバーワークだ、って岩ちゃんに止めてもらうのを待っている自分ってホント馬鹿みたいで。
(なにやってんだろ……、)
バレーをしてるとなにも考えなくて済む。ただボールの動きと人の動作、心理を考えればいいだけ。がむしゃらに動いていれば時間が経つ。なんて素晴らしいことだろう。
家に帰ったらまたきっと口うるさいお小言を聞かされるのだ。ああ、帰宅時間を延ばしたくなる。
制服に着替え終わるのを待ってくれている岩ちゃんにはホント悪いんだけどゆっくり着替えているこの時間が好き。遅かったら遅かったでのぞき込んでくれる心配性な彼が好き。まあ、口はいつも暴言しかはいてくれないけれど。なんだかんだいっていつも俺の異変に気づいてくれて。何も言わないけれど側にいてくれて。そんな岩ちゃんに助けられていることを知ってるからその分「好き」って言うんだけどそのたびに嫌な顔で返されるのが実は一番心にダメージを与えていることを本人は知らないだろう。
「なにやってんだよ」
「いやん、岩ちゃんのエッチ」
しびれを切らして中に入ってきた帰る支度の整えた彼は鼻を真っ赤に染めていて呑気な俺の態度が気にくわなかったのだろう、言葉を受けて青筋をたててしまう。いつものことだ。
いつもどおり、なにも変わらない。なにも変わっていないこの空気が好き。
先帰るぞって踵を返す彼を追うように鞄と上着を抱えて外へでた。
「うわ、さびっ……」
北風が音をたてている。まだ上着に袖を通してなかったこともあり全身が粟立つ。岩ちゃんに鞄を押し付けて上着を羽織った。これは岩ちゃんがキレるのも分からないでもない。
ごめんねって言ったらきっと明日はどか雪だ。
だから何も言わない。鞄を持ってもらったお礼だけを返す。
他愛ない話をして、いつもの通学路に跡を残した。もう完全に冬だねーとか、寒いねーとか、ありきたりで当たり前のことをいって。ポケットの中に突っ込んだ手のひらがぴりぴりと痒くなる。
「霜焼けしたかもー、あたためてよ岩ちゃん」
みれば岩ちゃんは完全防備、真冬を乗り越える気満々もいいところ。マフラーも手袋も耳かけも装備済み。俺みたいにコート一枚なんて事なかった。ぽけっとから冷たい手を取りだして手袋越しに絡める。チクチクしてどんどん痒みが広がってきた。
岩ちゃんは手をふりほどかない、毎年のことだからだろうか。慣れてしまったのなら悲しいや。昔みたいに初々しい反応を返してくれれば多分それだけで今日を乗り越えられる。そんな気分。
「…痒い、」
「手袋はかない方が悪い」
今日はいつもより冷えたって天気予報でも言ってただろうが、なんて言う岩ちゃんは少しジジ臭い。天候なんて気の向くままでしょ。気になったらネットで調べるくらいの俺とは違う、毎朝決まったチャンネルを観てそこらへんにあるメモ帳に書きとめて。悪天候のときは大体メールで知らせてくれる頼りになる天気予報士さん。
「今日メールくんなかったじゃん」
「俺だっていっつもいっつも気を配れるわけじゃねーよ」
「ん、…だよね」
ふわふわと白い息を吐きながら。手の温もりだけを大切にして。街灯の灯りだけを頼りに足を進める俺たち。こんな日常ももう三ヶ月切っていた。
そう、帰宅すれば毎度のごとく進路の話。大学の推薦を蹴ったことから溝は深まるばかり。本心を言えば確かに強豪チームに誘われたのは嬉しい話。でも、そこに岩ちゃんが居ないんじゃ話にならない。俺のプレイを一番近くで見てほしい人物がそこにはない、それじゃあ行く価値もないだろう。……なんて我が儘、流石に上手く通らないんだけど。
(それだけは譲りたくないのも事実…ってね)
ぎゅうううっと絡めた手を握りしめる、そこにある感触は俺だけのもの。力の入っていなかった岩ちゃんの指先に力が込められて。ゆっくりと解かれた。
冬の冷たい風をもろに受けて寂しさを感じた。
「……ほら、貸してやる」
渡された片方の手袋。それはさっきのさっきまで手を握っていた方の手袋で。言われるがままそれをはめると次は豆だらけの手のひらを差し出される。
「これなら少しはあったかいだろ」
俺の手をとってずんずん歩きだした。顔は見えないし見えたとしてもきっと寒さのせいだとか言い訳するに決まってる。一瞬見えた真っ赤な彼の隣をずっと歩きたい。どんなに嫌われてもどんなにうざがられても。
素手同士、寒いはずなのに汗ばんでいるのがわかる。それがすごく嬉しくていつものテンションへと早変わりだ。
「なに、デレなの?」
「うっせ。嫌なら手袋返せ」
「うれしいよ、ありがと岩ちゃん。大好き」
直に伝わる小さな温もり。やっぱりずっと一緒に居たい。
オリオン座の見える空の下を歩ける日々を。
どれだけの間続くかは分からないんだけど。それでもこの特等席を譲るつもりなんてないのは確かだ。岩ちゃんの行こうとしている大学はリサーチ済み。偏差値だって低くはない。もう一度説得してみよう、説得できたら来年もまたこうして歩けるんだから。
「何にやけてんだよ、きもちわりー」
「んふふ。岩ちゃんと結婚するまでの算段をちょっとね」
「……ばっかじゃねーの、」
その後に小さくつぶやかれた言葉、確かに聞こえたその言葉。口元をゆるませるには充分、それ以上だった。
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