It is a 苗字 。



……………。

ふわり。ふわり。
地面の冷たさとは違う。これは何?
ふわり。ふわり。
動かされたのは私の体。どうして?

視界は真っ暗。嗅覚で分かるのは此処が学校じゃないということ。よそのお宅に訪問したときに分かるそれぞれの独特な香り。聴覚で分かるのは誰かの話し声。と耳をつんざく銃撃音。もう馴れた。

(朝っぱらからよくやるわ……、)

重たい瞼を開ければ夕焼け空と共にそれまた夕焼け色をした兎と中学生(くらい)の双子が争っている。毎度のことに私は出す言葉もない。

この世界に来て三十時間帯を過ごしてしまった。何をするわけでもなく、ただ帽子屋屋敷をぐるぐると回るだけで時間は過ぎ去っていく。普段なら勉強に明け暮れなければならないときも。普段なら授業という名の調教に耐えなければならないときも。この謎めいた世界ではパッと時間は変わる。本のページを捲っているかのよう。いとも簡単に。

朝かと思えば夕方なこの背景の違和感は未だ拭えはしないが仕方ない。この世界というのは私が知っている常識を木っ端微塵にしてしまう。朝夕夜のルールなんてない。ましてや決められた時間に時間帯が変わることもない。だから私が夕方で起きようと咎める人は誰も居ない。私の好きなカタカナで言うならフリーダム。この世界は何かと自由だ。自由で妙なところにルールが存在している。

「おはよう、ナナシノ」

銃撃戦を静かに避けてベッド元へと歩み寄る当屋敷の主人。やっぱり随分と素晴らしいセンスをお持ちの方。多分美形の大半を帽子で帳消しにしているのだと思う。上半身を起こして同じく挨拶を交わす。それに気づいたのか銃撃戦も終戦となる。ベッドを囲む男性4人に対し私1人。いつ見ても異様な光景にしか思えない。

「……アリスは?」

アリス。私と似たり寄ったりな境遇の女の子。
多分、物語の主人公。アリスって名前だけはある。
ここにいる4人もそう。左から順に帽子屋、三月兎、トゥイードル=ディー・トゥイードル=ダム。不思議の国……強いて言うなら鏡の国のアリスのキャスト陣だ。
とはいえ私はそこまで絵本を読む子ではなかったからピンとくる内容ではない。だから帽子屋屋敷がマフィアと言われても納得せざるを得ない。

「お姉さん?お姉さんは出かけてるよ」

「ナナシノは一向に出かけようとしないよね。少し探求心を持った方がいいよ」

ダムの口にするナナシノ。先刻ブラッドも言っていたがそれは私の苗字だ。皆は名前だと思っているのだと思う。この世界は私にとって外国のような所。日本語で通しているのはきっと不思議の国だから。翻訳こんにゃくみたいな効果があるのだろう。だから読み書きに不自由は生じなかった。が、私の自己紹介が悪かったのだろう。未だ苗字を名前だと勘違いされたままだ。

(今更訂正するのもなんだかね……、)

どうせ少しの期間だけ。帰る方法を知っているわけではないけれどきっと帰れる。謎な確信があった。変な小瓶がどうとか言っているアリスだけど残念ながら私は持っていない。白い兎に落とされたアリスだから持っているのかもしれない。私は落とされたと言うよりは落ちた、だ。不慮の事故だと思っている。

「一応この屋敷の中は見て回ってたんだから探求心はある方だと。それよりなんで皆居るんですか」

ディーとダムは起こしに来ることが多い。アリスが居ないとき限定だけど。エリオットはそんな双子を叱りに来たんだろう。
じゃあブラッドは?廊下ですれ違うことは多いが滅多に…というか私が拾われた時間帯以降彼が私にあてがわれた部屋を訪れたことはないはず。

「おおっ流石はナナシノ、めざといな!ブラッドはナナシノのことを考えに考えた末にだな……、」

「考えた末に……?」

きらきらきらりん。輝きだしたエリオットの瞳。エリオットは期待の眼差しを私からブラッドへ移す。よかった、あんな輝かしい目で見られちゃたまったもんじゃない。
案の定ブラッドは何かに耐えるような表情だ。あんな純粋な眼差し、一体ブラッドはエリオットに何をしたのだろう。普通は向けられるはずもない、気がする。エリオットがただのブラッド好きなら話は別だが。

明後日の方向に視線をやった帽子屋さんはエリオットに一言「やめないか」とやんわり注意してからひきつったような顔を通常モード、だるそうな表情に整える。

「ナナシノ。前に働きたいと言っていただろう」

確かに言った。同じ余所者のアリスですらメイド服を着て掃除に励んでいるのに私だけのうのうとニート生活を満喫しているわけにはいかない。それにこの世界にはテレビもゲームもネットサーフィンもできない。多分いつか暇になってしまう。仕事でもすれば暇も紛れるし、ここの通貨も手に入る。もし帰れないにしろいつまでもお世話になるのも悪いだろう。ということだ。

「使用人もそんなにいらないからな…私もとても真剣に悩んでしまったよ……。で、そこでだ」




……………。




頼まれ仕事。
〜"protecting her body -- ?"〜

2013.4/2


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