夕方、先程まで降っていなかったというのにバケツをひっくり返したような土砂降りの雨が降っていた。
お昼に竈門くんが降りそうだなぁと呟いていたのを思い出した。
それでお水あげようと思って行ったけどやめて雑草だけ抜いたんだった。
私は自分のカバンを見る。
「傘、忘れちゃったなぁ…」
確か一昨日辺りに荷物整理したときに後で入れようとして置いたままだった気がする。
このまま止む気配のない雨を待っていても仕方がない、私はカバンを頭の上に乗せて走ろうとする。
「あれ、名前ちゃん。ここで会うの初めてだね」
ふと、後ろから声をかけられるので見れば我妻くんが立っていた。
「雨降ってて、どうしようか悩んでたので…」
「どうしようって…あ、なるほど」
私が頭にカバンを乗せているのを見て納得したように笑う我妻くん。
だけど、外を見て驚きながら私を止めてくる。
「いやいやいや!?走ってどうにかなる雨じゃないよこれ!風邪引くよ!?」
「家、そんなに遠くないので」
「そういうことじゃなくてね!?」
私がここの学校を選んだ理由はただ近かったから、それだけである。
交通費がもったいないので歩ける範囲で選んだのだ。
では、と頭を下げて走ろうとすると我妻くんは私の腕を掴む。
「女の子がそういうことするのはダメだよ!俺の傘使って!」
「いえ、そんな!申し訳ない…!」
私が首を振ると我妻くんは少し悩んで傘を開いた。
「じゃあ、一緒に帰ろう。送っていくよ」
「え、」
それならいいでしょ、と私を傘の中に入れて歩き出す。
なんとなく一度傘に入ると先程までの濡れてもいい精神が消えてしまって、ありがたく一緒に入る。
「家どっち?」
「あ、そっち、です」
そう言って我妻くんと他愛ない話をしながら歩く。
「我妻くんは偉いですね」
「え?なにが?」
「ちゃんと傘持ってて」
私が言うと我妻くんはきょとんとしてから笑った。
「これ、学校に置き傘しててさ」
「なるほど」
雨が降ると予想して持ってきていたわけではないらしい。
少しだけ当たる肩に申し訳なくなりながら歩く。
「…ねぇ、そんな申し訳ないなって音出さなくていいんだよ。俺が好きでやってるんだから」
「え?」
「いや、あの俺昔から耳がよくてさ」
私の心を見透かすように言うから驚いていればわたわたと説明してくれる我妻くん。
私はそんな我妻くんを見て、少しだけ笑う。
「心の声が聞こえてるのかと」
「いや、なんとなくわかるだけだから」
「…今まで、大変じゃなかったですか?」
私が言うと驚いた顔をする我妻くん。
人の心が少なからず音で分かってしまうと言うことは嫌なことも聞こえてしまうと言うことなのでは、と思った。
知らない方が幸せなことだってあるのに。
「…名前ちゃんは優しいね」
そう言って少しだけ悲しそうに笑う我妻くんに胸が痛む。
彼は、少し前に困っている見ず知らずの私にすら声をかけるような優しい人だ。
きっとたくさんいろんなことがあったんだろう。
ふと、我妻くんの肩が濡れていることに気づく。
確かに私は濡れてないけど、それは我妻くんが私のほうに傘を傾けていたからだ。
住んでいるアパートに着いて、帰ろうとする我妻くんのセーターを少しだけ掴む。
「名前ちゃん?」
「あの、私のせいで肩濡れましたよね…!?上がってください」
そう言うと顔を赤くして首を振る我妻くん。
「お、女の子の部屋に上がるなんて!その!ダメだよ!」
「いえ!なんにもないですけど!えっと、ご飯くらいなら!お礼に!」
私があまりにもぐいぐい来るから困ったように笑いながら、じゃあと傘を閉じる。
私は鍵を開けて中に促すと、我妻くんはおずおずと入ってきた。
「あの、家族の人は…」
「あ、私1人暮らしなので」
「へ?」
「ここは母の弟が持ってるアパートを安く借りてまして」
靴を脱いで自分の分と我妻くんの分のスリッパを出す。
靴下も濡れてるしついでに洗おうと私は靴下を脱いでスリッパを履く。
「我妻くんも靴下濡れてたら乾燥機つけるのでここに入れてください。我妻くん?」
「へ!?あ、うん靴下、靴下ね…」
顔を赤くして私を見ていたので私は首を傾げる。
ひとまず私の靴下は洗濯機に入れておく。
「あ、とりあえず体暖めたほうがいいですよね!?お風呂沸かすので…!」
「いやいやいや!?大丈夫だよ!?」
我妻くんの必死の静止を聞きつつも私はお風呂にお湯をためて脱衣所にタオルを置く。
後安くて買ったはいいもののサイズが大きくて着れなかったスウェットも置いておく。
「制服も乾かしますから!脱いだらここの中に入れてボタン押してください!小さいけど、ちゃんと使えるので!」
「あの、名前ちゃん?」
普段乾燥機なんか使わないが、叔父さんは私に優しくて、家具家電なんかは一式買ってくれたのだった。
いまだに玄関に立っている我妻くんを呼べばゆっくり靴を脱いで靴下も脱ぐとスリッパを履く。
「えっと、お邪魔します…」
「何もないけど、ゆっくりしていってください」
お風呂も溜まってきたので、きっと我妻くんが入るころには沸くだろうと私は脱衣所の扉を開ける。
「広くもないですが!あと、着替えも置いておいたので!」
「いや、あの」
「どうぞ!」
私の圧に押され気味になりながらゆっくりと脱衣所に入っていった我妻くん。
よし、この間にご飯作ろう。
私はとりあえず制服を脱いで着替えてからキッチンに向かった。
***
ちゃぽん、とお湯に浸かる。
いや、せっかく自分のために入れてくれたしね!?入るけどさ。
ちゃんと乾燥機に制服を入れさせてもらって入ってるわけだけど、俺はぶくぶくとお風呂に沈む。
普通、知り合って数週間の男を1人暮らしの家に入れてお風呂まで誘う?
いや、名前ちゃんがどう見ても善意100パーセントなのは音で分かる。
俺の肩が濡れてるの見たときに申し訳なさの音がマックス振り切ってたし。
バレないようにしてたつもりなのにかっこ悪いなと思った。
今は多分ご飯作ってくれてるんだろう、油のパチパチ言っている音が聞こえる。
確かにこういう女の子の家に来ることも憧れてたけど、あまりにも突拍子すぎて頭が追いついていない。
だってこれ、実質夫婦だよ。
普通に俺がお風呂入ってる間にご飯作ってくれるなんて夫婦じゃん。
「…出よ」
ダメだ、思考がほんとに停止してる。
お風呂から上がって名前ちゃんが用意してくれたタオルで体を拭いて服を着る。
用意してくれたスウェットが割とぴったりで驚きながらも脱衣所から出ると、名前ちゃんも制服から普段着に着替えていて、エプロンをつけていた。
「我妻くん、もうすぐで出来るので座っててください」
「あ、はい」
これどうぞ、とお水を一杯渡される。
ちょうどお風呂から上がって飲みたかったのでありがとうと言って飲み干す。
「コップ、シンクに置いておいてください」
そう言ってケチャップライスの上にオムレツを乗せて満足そうにお皿を2つ持って、すでにスプーンとお茶の入ったコップが置いてある机に置く名前ちゃん。
俺はそれに着いて行って机の前に座る。
名前ちゃんは一度キッチンに戻ってスープを持ってくる。
「えっと、いただきます」
「はい、どうぞ」
手を合わせてからオムライスを食べる。
名前ちゃんも一緒に食べているんだけど、だめだ、これ夫婦じゃんとしか思えない。
「なんかここまでしてもらってごめんね」
「いえいえ、我妻くんいなければ私はびしょ濡れでしたから」
そう言って俺に笑ってありがとうと言う名前ちゃんに心臓がドキッと音を立てる。
いつもとは違う普段着の名前ちゃんに、こんなことされて舞い上がってるのかもしれない。
「そ、それより!本当に好きなんだね、お花」
ちらりと部屋の隅を見ると鉢がいくつも置いてあってそのどれもが花を咲かせていた。
「…はい、大好きです」
そう言って名前ちゃんの花に向ける目線と、優しくて暖かい音。
ああ、俺、恋したわと酷く客観的に思った。