私は思い切りテーブルを蹴り上げた。
カシャン、と先程まで舌を楽しませてくれていた酒瓶が、軽やかな音と共にあっけなく割れる。琥珀色の液体が床板に吸い込まれていくのを惜しむ暇はない。
「ブートヒルの仲間だな!」
とある町の大したことのないビアガーデン。星々の光が声の主をしらじらと照らす。
横転したテーブル越しに現れた、文字通り血眼で叫んでくる男にやはり見覚えはない。私は銃を構えて、雑音ばかりを放つ唇に向かって引き金を引いた。
着弾。破裂。血飛沫。
割れんばかりの悲鳴が響き渡る店内で、私は男に意識を向ける。この手の輩はしつこいのが常である。
やはり男は怒りか痛みで割れたクッキーのように顔を歪ませながらも、懸命に足をバタつかせた。
千切れそうな下顎を両手で支えながらも、私に肉薄しようとしてくる。
今度は胸を撃ち抜く。もはや赤くないところを探すのが怪しい巨体が、ぐらぐらと振り子のように揺れながら、血の池に倒れ込む。
その拍子に、血の飛沫で服を汚れてしまった。
「ねえ、勘弁してよ」
私は死体をもう一度撃った。銃の無機質な反動が皮膚を波打たせて、脳まで心地良く痺れさせてくれる。
こうしないとやってられない。この事象を起こした張本人、ブートヒルへの怒りを今は誤魔化さなければならない。
深呼吸を三度ほどして、淡々と装備を点検し始める。きっと、似たような輩がまたやってくるに違いなかった。
ほんの少し前、自らを巡海レンジャーであると語ったその男と利害が一致した私は、手を組んだ。いや、今はもう、組んでしまったというべきだろう。
あの時の私はブートヒルの腕っぷしの強さと目的のために手段を選ばない思い切りの良さを気に入ってしまったのだ。ただ、彼の思い切りの良さが青天井であることを私は理解していなかった。馬鹿だった。
宇宙の無法者であるあの悪辣なカウボーイは問題さえ解決すれば良いとばかりに各方面に喧嘩を売っていく。スターピースカンパニーはもちろん、博識学会、なんとか生物製薬会社。その他眩暈がするほどの大勢。
巡海レンジャーを自称する本当に頭がおかしい人間……いや、サイボーグなのではないか?とたびたび疑ってしまう。
彼への不平不満愚痴は星の数ほどある。手を切りたいと何度でも思う。しかし、仮にあの時に戻ったところで私は、多分ーー
「……へ?」
急に夜空が真昼のように白む。私はどこから敵が来てもいいように、咄嗟に道路に視線を投げた。だが、徒労に終わる。爆発音とともに、私の視界には舗装された地面が黒煙と共に吹き上がった光景が映された。
遠くから運ばれる熱風に体勢が思い切り崩れてしまう。伏せたまま、私は舌打ちをした。刺客百人なんて想定していた自分がやはり馬鹿なのかもしれない。あのサイボーグが今度脳内チップをアップデートする時には「慎み」の一言でも刻み込む必要があるだろう。
びゅう、と風を切る高音が頭上から響く。見上げれば、私に吸い込まれるように飛来してくる影。その勢いの凄まじさに、咄嗟に銃を向けた。
「撃つな!受け止めろ!」
知ったノイズ混じりの声に、私は咄嗟に従う。そう、あろうことか、その謎の物体を素直にボールか何かのように持ってしまったのだ。
「なにこれ」
予想よりもはるかに重たい。硬い。ちょっと熱い。巨大な鉄の筒。いや、どこか見覚えがあるような。
回してみて、現れた人の手のひらのような形状に私は悲鳴をあげた。筒ではない。これは、アイツの腕だ。
「ぎゃあっ!」
「おー、ナイスキャッチ。助かったぜ」
弾かれたように振り向いて仰げば、へらりと口を緩めたカウボーイがそこにいた。やはりというべきか、銃を搭載していない右腕を失い、コードが肩から飛び出ている。
「爆発もなにもかもアンタのせい!?」
「ああ、話が早くて助かる。さっさとお暇しよう」
走り出したブートヒルに追いすがりながらも、私は抱えているものに忌避感を覚える。特に、エラーを起こしたのか無作為に動く彼の五指の動きとか。
「う、うぁ……わぁ……」
「頼むから優しく扱ってくれよ?」
「私が虫嫌いなの知ってるでしょ!」
「オレの指が虫みたいだって言ってるのか!?ぎゃははは!そりゃないぜ」
なんで、笑っているの?
アンタの人工眼球に故障してんじゃない?
ささやかな幸せを享受していただろうこの町並みに、悪魔でも取り憑いたかのように炎が吹き荒れている。悲鳴と罵倒が街を包んでいる。私は一つの町の終わりを肌で感じ、ほんの少しだけ、寒気がした。
小さな世界をひっくり返したこの男だけが、腕をもがれたって一人だけコメディ映画の観客席にいるかのように心から笑っていた。
私はこれからもこの男といなければいけないのか。
「ブートヒル」
「なんだよ」
ブートヒルは帽子のひさしを跳ね上げて、私を見下ろす。私はわざとらしく眉根を寄せてみせた。
「あのね。これ、お気に入りの服だった」
「わかったわかった。今度代わりの服用意してやる」
「お酒も美味しかったのに」
「おいおいあの程度で満足したのか?今度最高級なやつ飲もうぜ」
「こんなの持ってちゃ、銃も撃てないし」
「安心しなお姫様!きちんとお城までエスコートしてやる」
「ああ、その言葉!寒気がする!」
私は首を振り乱した。こうなってはセットした髪型も台無しになってしまう。
「アンタに城っていうか地獄まで送られそう」
「スリルがあって良いじゃねえか。なあ?それで?」
不意に赤い瞳が私を射抜く。その眼光は人の心根さえも暴きそうな鋭さを宿し、先程まで軽快に文句を連ねていた私の喉をひきつらせた。
「ーー他にご不満は?」
きっと何を言ったって、大したことでもないと言うふうに答えてしまうのだろう。
私は細く、短いため息を一度だけつく。
「もう良い。早く足になりそうなもの見つけて行こう」
「よーし!じゃあ次の目的地に向けて出発だ」
ブートヒル。宇宙の無法者。私を不幸に叩き込んだ男。
結局私はうまいこと丸め込まれながらまた彼と走ってしまう。
少なくとも、一人でいた時よりも居心地良さがあるのは事実なのだ。