「ユリサ。肖像画を描いていただきましょう」
「肖像画」

 意外な提案に、ユリサは復唱した。まさか、自分が?ーー考え込みそうになり、テヴィーが給仕した朝食のパンを落としかける。
 ふかふかの白いパンを無駄にするわけにはいかない。そっと皿に戻した。

「肖像画って、その、自分の顔を描いてもらうということ?」

 ユリサの村には当然画家はいなかった。物好きの絵を売る商人や、吟遊詩人が通りがかったこともあるらしいが、そういうのは農地の主が相手していた。
 そもそも材料費だってばかにできないと聞いたこともある。
 とにかく自分には縁がない。有権者の特権とばかり思っていた。

「そうです。ユリサ。貴方のために画家はすでに呼んであります」

 ユリサは今度こそ空いた口が塞がらない。伸びっぱなしの赤い髪を思わず撫でた。
 此処にきて、食事も服も、勉強だって至れり尽くせりの生活を送っている。そのため幾分かマシにはなったが、毛先はパサついて荒れている。

「貴方はいずれ歴史に名を残す。今は公開の目処はありませんが、聖女誕生の絵として後世に繋ぐためのものです。記録としても重要なことですよ」

 ユリサが戸惑うのを予期していたのか、テヴィーは台本でもあるかのような調子で流暢に説明をし始める。
 ユリサは神殿に飾られた絵を思い出す。《女神》の誕生、降臨から、古の英雄を連れ立って悪しき存在に立ち向かっている様子。観衆から万感の拍手を受けている英雄たち。
 絵は時系列に沿って、壁に並べられていた。司祭が歴史を語る上でも利用していた。
 ふと、急速に目が冴えてくる。
 私が、あれになるのか。
 テヴィーの瞳はいつだって真摯だ。本気で、ユリサがそうなると考えている。
 ユリサがもう断る気がないと察したらしい、テヴィーは頷いた。

「機密のためにも、彼女には貴方の正体は伏せています。そのつもりで接してください」

 ユリサは朝食後にテヴィーの案内を受けた。応接間らしい。
 名目上護衛であるテヴィーは外で待機するそうだ。つまり、ユリサ一人で画家と対面しなくてはいけない。
 緊張する。ユリサは深呼吸を三度ほど行った。
 テヴィーとはもう何度か言葉を交わしており、人と話すことには慣れたつもりではある。しかし、それはテヴィーがユリサを尊重して、配慮しているからこそ、スムーズに行えた。
 完全に初対面の人ともなれば、やはりどうすればいいのかまたわからなくなってしまうだろう。ーー画家さんの気を害さなければいいのだけれど。
 ユリサはおそるおそる中に入った。

「こん、にちは……?」

 自分を待ち受けていた人物を見て、様々な不安は吹き飛んだ。

「こんにちは!そして、初めまして。ユリサ・キダフレニーさん」白い軍服を着た女の子が、ユリサに手を差し出した。「私はナマエ・クーアバレス。よろしくお願いいたします」
「あ、ええ、よろしく……お願いします」
「ではこちらに座ってください」

 呆然とするユリサに、ナマエは向かいの椅子を進めた。座面が高そうな布で覆われている。座り心地も柔らかな感触がほどよく、疲れにくそうだ。ユリサが席に着く頃合いには、ナマエはすでに紙を広げていた。

「では始めますね」

 ナマエは優しい声の印象に違わず、人好きのするようなはにかみをした。
 画家と聞いていた。軍人の中でも画家はいるのだろうか。いや、それよりも、女の子。これは意外すぎた。
 確かに、聖印を用いた装備が発達したことで、近年では従軍する女子は増えたと聞いたことがある。テヴィーだっているし、女性軍人とは何度か通りすがった。
 しかし、どうにも目の前の女の子は軍人というには細い。ユリサ自身も《女神》から骨張りすぎていると指摘を受けたが、同格か、それ以上だ。
 ユリサは目の前のナマエの様子を見つめる。椅子に座り、机上の何枚かの紙に鉛筆を忙しなく走らせていた。すぐに人間らしきシルエットが浮かび上がる。

「あの…」
「はい?」
「私はこう…何をすれば?ポーズをとった方がいいですか?」
「そのまま座っていただいて大丈夫です!もしかして、初めてですか?」
「そ、そうです」

 ナマエは手元の紙を掲げてみせた。陰鬱そうな面差しをした自分がいろんな体勢を取っていた。少し恥ずかしくなって、目を逸らしてしまう。

「私がまず何枚かユリサさんの絵を描くので、どういったものがいいのか選んでいただきます。その後、背景とか、装飾物とかも選んでいきますからね」
「なるほど……」

 説明はされるものの、いまいちしっくりはこなかった。ナマエがため息のような呼気を上げる。しかし、機嫌の良さが滲んでいた。

「緊張、しますか?しますよね。お話ししませんか?」
「お、お話……。はい、したいです。しましょう」

 ナマエが紙から顔を離す。目尻を下げて、やはり嬉しそうな顔をしていた。ナマエはよく笑う子なのかもしれない。
 おっとりとした柔らかい口調ながら、仕事は早いようだ。すでに鉛筆の芯が引っ込んでしまっている。

「良かった。雑談を必要としない人もいますが、私としてはその人のいろんな顔が見たいので、お話したかったんです」ナマエはナイフで鉛筆を削り始めた。手慣れた手つきだ。「特に、キダフレニーさんとは」

 特に自分、とはどういう意味なのだろう。ユリサが聞こうとすると、ナマエが続けた。

「最近何かありましたか?」
「な、なにか?」
「はい。例えば、最近あったいいことだったり、おもしろかったこと、驚いたこと、なんでも」

 ナマエは意外と難しい質問をしてくる。
 ユリサが最近あった大きい出来事といえばーー思い出そうとするだけで、汗が滲みそうになる。村が魔王現象に破壊されたこと、聖女に抜擢されたこと。
 ……地図の読み方がわかってきたこと、質いいベッドで寝にくかったこと、パンには白くて柔らかいものもあり、驚いたこと。
 テヴィーからは聖女であることは彼女には言っていないらしい。つまり、今思いついたような、聖女として抜擢したばかりなので、軍人としてかなり素人であるという振る舞いをするのは避けた方がいいのかもしれない。
 当たり障りのない内容。ユリサは必死に絞り出した。

「この辺りの、お菓子屋さんのキャラクターが可愛かった、とか。猫のやつ」
「ああ、それ、見たことありますよ!名前は忘れちゃったけど、包装も缶みたいでかわいいですよね」
「そう、あと、ええと、《女神》アンダウィラが布の塊で、驚いた……」

 これは本当に衝撃だった。司祭から見せられた絵画の《女神》は皆人型だった。それなのに、中に人はいるのかもしれないが、ああして布にまみれているのは想像だにしなかった。絵画のような光に包まれている姿を想像していたのだ。
 ユリサの発言に、ナマエは目を見開いて何度も頷いた。

「ああ、アンダウィラ様!確かに。私が初めて会った《女神》様は女の子だったので、驚きましたね」
「私は初めて会った《女神》様が彼女でしたから…」ユリサは首を傾げた。「クーアバレスさんは以前にも会う機会があったんですね」

 ユリサは意外に思った。《女神》は戦場でこそ輝く存在だと、改めてテヴィーから学んだ。そうそう会えるものでもない。ユリサだって、聖女という戦争の中核を担う役割を与えられているからこそ、個人で彼女に会う機会が許された。
 ナマエが会ったとすれば、どういうタイミングなのだろう。同じ任務についたことがあるとか、たまたま署名会を開いている《女神》と遭遇したことがあったりとか?

「そうなんですよ。私は故郷が魔王現象に襲われたことがあるんですけど、その時にお会いする機会しました。おかげでなんとか助かりましたよ」

 ユリサは言葉が出なかった。
 ナマエも同じ体験をしたのか、つまりあの地獄を見たのか。そんなことを言わされたナマエは不快ではないか。大丈夫、なのだろうか。ユリサなら、少し心が不安定になってしまう。
 どんな風に声をかければいいのだろう。謝罪と、慰めたい気持ちになった。
 ユリサはあの時、聖騎士から「みなさんのことは残念だった」と受けた。同じことを口にすれば、いいのだろうか。

「クーアバレスさん」
「どうかしましたか?」
「あの」

 ナマエは相変わらず、調子良く絵を書き進めている。だけど、でも。心の根っこでは、そうじゃないかもしれない。
 どうにか心情を読み取ろうと、ユリサは彼女を観察してみた。すると、ある一つのことに気がつく。首に一周するように紋様がある。この意味を知った瞬間、ユリサは膝から崩れ落ちそうになる。

「は、犯罪者……!?」

 首にあるのは枷の聖印。監督される組織から、あらゆる行動を制御されるもの。それを刻まれている人は、よっぽどの罪を犯したものだ。
 この世界の常識では、そうだ。思わず疑いたくなる。ユリサの目の前にいるのは、清廉な白い軍服を着た、同い年ぐらいの、女の子。

「き、聞いてませんでしたか?」

 ナマエは、ちょっと、本当にちょっと眉を下げた。言い訳をするような人の顔ではない。まるで、雪は冷たいとか、太陽は暖かいとか、当たり前のことを告げるような顔だった。

「私は懲罰勇者。刑務の一環として、ここに呼ばれました」

  

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