本の続きを読んでいた。とうとう造られた怪物が、男に追いついてしまった。怪物は懇願していた。「一人は寂しい」だから、同じ存在を作って欲しいと。
 男は反故していた。当然だとおもう。だって、恐ろしい存在が二体もいたら、なんて、考えたくもないだろう。

 そろそろ収穫の季節が近づく。ユリサは起床して、農具の点検をしていた。
 鎌がすっかり錆びついていた。刃の面をなぞっても切れることはなく、ざらざらとした感触が返ってくる。

「あっ」

 ほんの少し鋭利さが残っていた箇所があったらしい。指先を少しだけ切ってしまった。

 止血しながら、ユリサは窓越しに向かいの住居を見つめる。
 ユリサがこの小屋に追いやられた時に、生活必需品は一方的に渡されていた。気づいたら、家のまえにおいてあるのだ。欲しいものがあればメモを使って両親にお使いを頼む。
 両親や農地の主の使者から、なるべく自分たち、引いては村人と関わって欲しくないと懇願された結果、この形で落ち着いた。
 農具の修理もそうだ。ユリサが書き付けとともに玄関の前に修理して欲しい道具を置いていた。そして修繕後されたものが返ってくる。

 ユリサは錆びついた鎌を見下ろす。
 直接、渡してみて、父親との会話を試みようと思った。
 以前は怖かったが、いまは大丈夫かもしれない。シレンとの交流が、ユリサに勇気を与えていた。
 あるいは彼の父親とのやりとりが、どうしても輝かしく思えたのかもしれない。

 震える足で両親の住居に向かい、二度、扉を叩いた。コンコン、と木の軽い音ですら、ユリサを緊張させた。

「はい」父が愛想のよく顔を出す。ユリサを認めると、眉を顰めた。「ユリサ?どうかしたか?」

 ユリサは咳払いをした。実の父親にたった一言をかけるのすら、落ち着かない心地になる。

「お!お、おと、お父さん。あのね、修理に出して欲しいものがあるの」

 ユリサが鎌を差し出すと、父は頷きながら受け取った。
 父が手首を回し、鎌の様子を検分する。
 ユリサは背中に冷や汗をかいた。しまった。修理が面倒だからもっと丁寧に保管しておけ、とでも怒られるのかもしれない。

「ああ、わかった。手配しておく」
「ーーう、うん。おねがい。」

 父が扉に手を伸ばしかける。会話が打ち切られてしまうかもしれない。ユリサは慌てて口を動かした。なんでもいい。何か言わなければ。 

「お、お父さんは怒らないんだ」
「…どうして怒る要素が?」

 シレンと比べて、と言おうとして、ユリサは口をつぐんだ。
 危なかった。村人ではないとはいえ、他人と関わりを持ったという時点で、怒られるかもしれない。
 ユリサが落ち着かないように手を擦り合わせていると、父はその様子を見咎めた。

「手も怪我している。まさか!聖痕は使ったせいでこうなったのか?」
「そ、そんな!」

 父の検の入った声色にユリサは萎縮してしまう。心臓の音がユリサの聴覚を支配しつつある。

「つ、つか、使ってない!」ユリサが首を振る。「でも、でもね、お父さん?もし。本当にもし、私が、聖痕を使えるようになったら……」

 ユリサは、最後まで言えなかった。言えるはずがない。
 実の父親が、実の娘に向けるには、凶悪な眼差しをしていたからだ。歪んだ口元から、どういった罵声が飛び出てくるかもわからない。

「な、なんでもない、本当に うそ,嘘です 全部!聖痕なんて恐ろしいもの、使ってないの」
「ならいい」

 扉が閉まる。ユリサと父親の会話は、ここで終わった。
 目頭が熱い。喉が苦しい。胸が痛い。
 悲しい。嫌だ。どうすればいい。滞り出した心の熱量に耐え切れず、ユリサは走り出す。

 聖痕は、呪いの証。
 捨てられないだけマシ。極端に虐待を受けないだけマシ。村中の人間から嫌われ、石を投げられるよりマシ。
 いままではそうして自分を押さえつけてきた。
 ユリサが今ある己の立ち位置が歪であると自覚し、他人との繋がりを持てた今、それだけでは止められなかった。

 期待、してしまったのだ。
 ユリサが両親と離れている間にたまった寂しさがあった。両親も同じようにそれがあるのではないかと思っていた。
 だから、シレンのように、親に怒られるのではないか。シレンのように、親に心配されるのではないか。聖女のように聖痕が扱えれば喜ばれるのではないかと。
 途方もない夢を見てしまったのだと、ユリサは今し方自覚した。

 ユリサの頭には、やはり一人の少年が浮かんだ。シレン。シレンに、とにかく会いたかった。
 全て話してしまって、この気持ちを、どうにかしてほしかった。どうすればいい?この気持ちを。

 いつも遊ぶ時に集まっている村の広場。ユリサは足を運んだ。呼吸を整えているうちに、首を巡らせた。そして、後悔する。
 シレンが村の子たちと遊んでいた。
 きゃあきゃあと甲高い声を上げながら、お互いを追いかけ回して、楽しそうにしていた。ユリサが見たこともない顔だった。
 どうして。何故。最近忙しいから集まるのをやめようって言ったのは、嘘だったのだろうか。
 同じ雰囲気を感じて、共感してくれたのではないのか。

 シレンと目が合う。彼はもう、手は振ってくれない。ただ気まずそうに、目を逸らされた。
 バレた。全部バレた。ユリサの聖痕も。聖痕のことを黙っていたことも。シレンの態度が全てを表していた。

「う、うあ、ぁ……」

 腹の底から上がったのは怪物のような呻き。他でもない、ユリサのものだった。
 歓声の中で掻き消されたそれは、自分にしか聞こえていない。

  

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