司祭から借りた本をまた読み進めていった。
やっぱりすこし怖い話になっていった。つぎはぎで作られた生き物を、男は恐ろしがって逃げ出した。しかし、どうやら追いかけ回されているらしい。
ユリサは呆れてしまう。そりゃあ、そんな生き物は恐ろしいに決まっている。ガタン、とドアが揺れる音にユリサは肩をおおきく震わせた。風のせいだろう。
ユリサは男に迫ってくる怪物を思わず想像してしまい、毛布に深く潜り込んだ。
「うっ」
翌日、ユリサは神殿に足を運んだ。同時にうめきそうになり、口を押さえた。
先客がいた。二人も。いつもは人がいない時間帯はずなのに。
訪問者と話していた司祭はユリサに視線を向ける。頷いて、手を上げた。そこで待て、という意味なのだろうか。
「お待たせいたしました。ユリサさん?こちらに」
ユリサが柱の影に隠れて、待っていると、ようやく声をかけられる。
司祭に呼ばれてしまっては,行くしかない。
ユリサは重たい足取りで、聖壇へと向かう。司祭の前に立っていたのは一人だ。しかも、ユリサと同じぐらいの年の子。
「シレンさん。こちらはユリサ・キダフレニーさんです。」
シレン、と呼ばれた少年はユリサに頭を下げた。ユリサも咄嗟に同じ態度をとる。
「あの……、彼は?」
「お父様と一緒に家畜の世話をするために雇われた方です」
なるほど。この場を辞したもう一人は父親だったらしい。
「ユリサさん、彼に村の案内を軽くしてあげてください」
この人は私に何を頼んでいるのだろう、とユリサは司祭とシレンの顔を交互に見た。
「おもしろい…ものはそんなに、ない、です」
ユリサは心臓が破裂しそうなぐらい拍動しているのを感じている。シレンにきちんと案内できるかの不安、よりも、誰かに遭遇してしまったらどうしようかという緊張からくるものだ。
「確かに、娯楽が何にもないな」
「う、ん。そうでしょう?他と比べたら、おもしろくないと思います……」
ユリサは知識を総動員させて、主要な役人の住む住居、酒場、温浴施設などを周り歩いた。
というか、この年齢の子と何を話せば良いのかわからない。やりとりといえば、ユリサは淡々と案内する中で、彼が何度か質問するのに答える程度だった。
ただ、それだけでも、ユリサはほっとした。少なくとも悪態もなく話せる人。貴重すぎる。
むしろ、嬉しい。胸の中があったかくなっているのを感じる。もっと話したい気持ちはあった。
「ユリサはここで普段何してるの?」
「畑仕事、神殿でお祈り、家で勉強、ですかね…」
「勤勉なんだね。森も川もあるのに、外で遊ばないんだ」
遊ぶ人がいなかったから、ともいえずにユリサは曖昧に返事した。
なるほど、お互いにこうして質問をしていけば良いのか、とユリサは今更ながら気づいた。
自分も何か聞いてみる。
「シレンは?」
「俺は父ちゃんの手伝いだよ。意外と大変だぜ?羊とか、牛とかの世話。朝から餌やって、草原にだして、怪我とか病気してないかとか、狼がいたら追い払ったり。数が多いから、とにかく大変」
「それは……大変ですね」
「うん」
ユリサはシレンの顔がこっちを見て、頷いた瞬間に顔に熱が集まるのを感じた。
こうして近い距離感で、自分の声に応えてもらえる。想像すらできないことだった。
「ユリサ、顔が赤いけど大丈夫?」
「だ、大丈夫」
もう少しシレンと話してみたかった。彼の話を聞きたかったし、自分の話もしてみたかった。
司祭と話すのはもちろん楽しいのだが、どちらかといえば先生と教師の距離感だ。こうして同じぐらいの年頃の子と普通に話せるのが、嬉しくてたまらない。
「今日はもう家に帰りなよ。俺も父ちゃんのとこに戻る」
「あ、えっ」
「案内ありがとな」
シレンは走っていった。その先に、男性がいた。シレンが親しげに話しかけている。きっと父親なのだろう。
シレンが振り返った。目が合った、と認識するうちにユリサに向かって手を振った。
返そうとした時にはもうすでに、シレンは父親と連れ立って歩き出してしまう。
ああ、なんだか。どうすればいいのだろう。忙しなく指先を動かしながら、溢れ出しそうなほどの幸福感の発露に困る。
今晩だけは、両親の真似もせず、本も読まず、良い眠りについた。