ユリサは新しく入手した本に手を出した。そろそろ難しい本にも手を出して良い頃合いだとして、司祭から与えられた。
 空想の話である。一人の男が、最高の生物を作ろうとして、墓地を漁りつつ、遺体を継ぎ接ぎしていた。
 ユリサは思わず本を閉ざした。冒頭から聞き馴染みのない単語が多く、言い回しだって小難しい話に辟易としていたところだった。それなのに、その、表現するのも恐ろしいことに、人の死体を繋ぎあわせるといった所業をし始めるだなんて。
 ユリサはすっかり冷たくなった足先を擦り合わせて、その日は眠りについた。

「おはようございます、ユリサさん」
「お、はようございます」

 ユリサは顔を思わず赤らめた。人に返事するのすら久しぶりなものだから、声が上擦ってしまった。

「渡した本、いかがですか?」
「ちょっと、まだ、難しいかもしれません」
「ゆっくりで大丈夫ですよ」

 向かい合った司祭は柔和な笑みを浮かべた。神殿には誰もいない。ユリサがあえてその時間帯に来るのは彼もわかっていた。

「では、始めましょうか」
「はい」

 司祭は親切なことに、ユリサが一人で来た時には礼拝の流れを一通り行ってくれる。ありがたいことだった。前任者はユリサがここに来るだけで顔を顰めて、追い出そうとしてきたこともある。
 以前、巡察としてやってきたミローズ大司祭も親切だった。ユリサの聖痕を精査した後に、これが素晴らしいものだと教えてくれた。
 なんと近年では聖痕とはかつて世界を救った英雄から脈々と受け継がれた神聖なものだと、正式に認識を改められているとも。
 《女神》に仕える聖騎士にも聖痕を持つ人間がいると聞いた時には流石に驚いたものだ。
 ここの神殿の司祭は、ミローズ大司祭から受けたそうした情報を村人にも周知させるようにはしてくれている。どこまでも親切だ。

「司祭様は、ど、どうしてそこまでよくしてくれるのですか。私、は、そう、何も見返りはできないのに……」

 献金も全く払っていない。それなのに、司祭はユリサに知識を、《女神》に祈る時間を、そして村人の誤解を解くような苦労をしてくれている。
 ユリサの疑問は膨らむばかりだった。

「もちろん、神殿は誰にでも開かれているからです」

 司祭の淡々とした発言。
 ユリサは少し、ほんの少し悲しくなった。ユリサは司祭にとって不特定多数の一人であり、特別なことではないと突き放されたきがしたからだ。
 少なくとも、ユリサには司祭に交流した分の親しみがあった。
 司祭は目を細めた。ユリサの心根を見通したようである。

「ユリサさん、あなたは賢くなり、外の世界もたくさん知ってきましたね。この村の狭さも……」
「はい」
「ご自分の立場を今一度、見てください」

 ユリサは目を丸くした。

「あなたは、この世に生を受けた、平等な命の一つです。ただ生きていただけ! それなのに、孤独に生きてきたのは少し歪んでいることですよ。あなたも、私も、ご両親も、村の皆さんも、等しく《女神》の庇護されている共同体です。もっと、親しくしなければなりません」
「歪んでいる……」

 復唱するユリサは、どうにもしっくりこなかった。この生活がもはや当然となってきたからだ。

「そうです。神々の恩寵を受けたあなたは、さらに尊重されるべきともいうかもしれませんね」
「はぇっ!?」

 尊重、という単語にユリサは肩を震わせた。
 そんな筈はない。散々、聖痕で人との繋がりを隔絶されている自分がそんな扱いを受けることは想像すらもできない。ただ、うまく言葉が口から出てこない。

「第三次魔王討伐の聖女のようになる可能性をあなたは秘めています。この物語、いや、史実の内容は聞いたことありますか?」
「もちろんです。両親から聞いたことも、本で何度も読んだことがあります」

 記憶が遠すぎて、初めて聞いたのはどこからか忘れてしまった。しかし、本の中でも特にお気に入りのものだった。触れすぎて表紙すら擦り切れるぐらいには。

「第三次といえば、魔王現象らと和解した戦いです。軍部はこれを敗北としていますが、戦いを終わらせたと表現すれば、聖女の偉大さがわかるでしょう」司祭はユリサの肩に手を置いた。「以前、ミローズ大司祭と共に伝えましたが、あなたの聖痕は、その聖女と同じものです。あなたは、将来必要とされる存在」

 本当に、ありえない話だと思う。
 ただ、司祭の滔々とした話を聞くたびに、肩に置かれた手が重く感じた。

「夢、みたいですね」
「ええ、夢みたいな、素晴らしい光景です」

 司祭と意味のすれ違いを感じながら、ユリサは同意の意思を示すために、口の端を吊り上げるようにして無理矢理微笑んだ。司祭の機嫌を損ねたくはなかった。
 そんな日が来るとは到底思えなかった。しかし、「尊重されるべき存在」「聖女として将来必要とされるかもしれない」と評されて、否定できなかった自分も確かにいる。そんな存在になれればいいと思う。
 折に触れて、ちょっとでも聖痕の力を使おうとしているのは、きっとこの自分の意識のせいだ。いつか求められた時に、と思っているから。父に聖痕の使用を固く禁じられているが、こればかりは止められない。

  

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