ナマエは勇者としては古株だったが、勇者になる前は田舎で百姓をしていた。当然学は無いし、何なら常識も無い。鋤の上手い使い方や、天気の読み方などはある程度解るが、偉い学者の名だとか、聖印の刻まれた器具がいくらで取引されているのかだとか、そういう事は少しも知らない。知っているのは、年長者は下の者の面倒を見てやるべきだという事くらいだ。
 面倒臭そうに――更に正確に言うならば、迷惑そうにナマエを見下ろすのは、ザイロ・フォルバーツだ。元聖騎士団の団長の眼光は鋭いが、勇者としてはナマエの方が先輩だ。もっとも、歳は彼の方が上だが。
「また女神様を怒らせたの?」
「そういうわけじゃない」
「頬を膨らませて肩をいからせて出て行ったけど、ああいうのは都会の方では怒ってるって言わないの?」
「わかった、わかった」ザイロはうるさそうに言った。「俺が怒らせた。それで良いか?」
 もう少しテオリッタちゃんに優しくしてあげなさいとナマエが言うと、ザイロは心底煩わしそうにナマエを見た。

 女神テオリッタ。ナマエ達勇者部隊に加護を施してくれる、本物の女神だ。ザイロと契約していて、ありとあらゆる刀剣を召喚することができる。らしい。ナマエは女神を見たのは恐らく初めてだったが――勇者になって以降、微妙に整合性のつかない記憶があるので、恐らくという枕詞がつくのだ――彼女は幼い子供の姿をしている。
 つまり、ナマエにとって庇護すべき相手だ。


 田舎者のナマエはよく知らなかったのだが、女神は造られた存在であり、人知を超えた力を行使する代わりに、人間からの称賛を求めるらしい。テオリッタはよく、ザイロに対し自分を褒めるよう求めている。しかし、ザイロはそれを度々拒否している。ナマエにしてみれば彼女を褒めるくらい何てことないと思うのだが、彼がテオリッタの求めに応じず無視している場面は何度か目撃したことがある。
 照れているのか、何なのか。恐れ多いと思っているのかもしれないが、それにしても頑なだ。
 ナマエも求められればテオリッタに礼を言ったり、褒めたりするのだが、やはりザイロは特別なようで、彼が無反応だと女神はかなり落ち込んでしまう。先ほどのようにぷりぷりと怒りながら部屋を出ていくくらいなら良いのだが、愕然とした様子でしょげているのを見ると、七人姉弟の長女だったナマエとしては、かなり気になってしまうわけだ。女神だろうと何だろうと、幼い女の子をそのままにしておけない。

 ナマエがこうしてザイロに注意を――もとい、テオリッタをもっと褒めるよう言い含めるのは、これが初めてじゃない。ザイロが迷惑そうにしているのも、これからナマエが何を言うか解っているからなのだろう。
「もっとちゃんと真剣に褒めてあげてよ、そんなに難しいことじゃないでしょ?」
「俺だって別に、あいつに意地悪してやろうだとか、そういうつもりなわけじゃない」
「どういうつもりなわけなの?」
「………………」ザイロは黙り込んだ。
「人から褒められるのって良いものだよ、やる気だって出るし、効率も上がるし――」別段ナマエはテオリッタの女神としての権能が落ちるだとか、そういう事を気にしているわけではない。ないのだが、かなり嫌な感じの言い方になってしまった。慌てて方向転換する。「――ザイロも褒めてあげようか」
「……あ?」
 次の瞬間には、ザイロは地面に倒れ伏していた。ナマエがザイロに勝てるのは、近接格闘術だけだ。でなきゃ、山の中でなんて暮らしていけない。

 勇者部隊に与えられるのは大抵粗末な造りの兵舎で、この宿舎も床は地面が剥き出しだ。土埃の中、ザイロはかなり暴れていたが、がっちりと手足で固めてしまえばまともに動けなかったし、むしろナマエの方が絞め殺してしまわないよう気を付けなければならないくらいだった。聖印を使えば振り解ける筈だが、流石にそこまでする気は無いらしい。彼なりの年長者への敬意なのかもしれなかった。いや、ナマエの方が歳は下だが。
「よしよしザイロ、いつも頑張ってて偉いねえ」
「………………」
 ザイロが黙り込んだのを機に、ナマエは次々とザイロを褒め上げた。いつも勇者部隊を引っ張ってくれて偉い、頑張ってて偉い、ナイフを投げるのが凄くて凄い。
 ナマエとしては、褒められるのは良いものだから、ザイロももっとテオリッタを褒めるようにと言いたいだけだったので、
ザイロがそのまま動かなくなってしまったことは予想の範囲外だった。本当に絞め落としてしまったのかと不安になったが、ナマエが離れた後、やおら立ち上がったので、そういうわけでもないらしい。
 ザイロはかなり怒っている様子だったが、やがて喉の奥から振り絞ったような音で「善処する」と言ったのだった。



redbreastの玄田様から誕生日に頂きました。

  

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