黒い長角皿の上には赤いつくりみが並んでいる。堕姫は一切れ口に含むと、途端に糸眉を逆立てた。
「まずい!」
 少女の声が響けば、水を打ったかのように店内は静かになる。
「あら、――ちゃん」
 向かいの女−ナマエが困ったように笑った。
「ごめんなさいね。この子、生のお肉なんて初めてだから、びっくりしちゃったみたい」
 店主に向けた言葉だった。ナマエが事情を話した途端に場は先ほどのように賑わい始めて、堕姫に向かって「好き嫌いは駄目だぞお嬢ちゃん」なんて声もかけられる。
 ナマエは堕姫を見つめて、小首を傾げた。
「馬刺し、それ以上食べられそうにない?」
「こんなの…おいしくない」苦々しい表情を浮かべて、堕姫は皿をナマエの方に押しやった。「ぱさぱさしてて、爺の肉でも食ってるみたい」
「そんなこと言わないの」
 ナマエは諌めるような口調でそう言ったが、迫力がない。やがて意地でも馬刺しに箸をつけない堕姫に、困ったように眉を下げた。
「仕方ないなあ」
 食べ終えた自分の皿と堕姫のものとを交換して、黙々と片付けていく。堕姫はすぐにその箸を取り上げたかった。
 そんなまずいものを食べたらナマエの美貌が腐っちゃう!
 実際に堕姫が取り上げてしまえば、ナマエはまた「仕方ないなあ」と困った顔で従ってくれるだろう。しかし、遊郭で食べられる食事を思うと多少なりとも肉は食べさせておかなくてはなるまい。
 もう少し、血のめぐりをよくさせれば、さらに堕姫の好みなのだ。

 鬼となって再び遊郭に入った堕姫は、不本意ながらもナマエの世話役にあてがわれた。しかし、このナマエという女は、非常に美しく、またその気質も堕姫にとっては好ましいものだった。
 ナマエは禿(かむろ)である堕姫に寛容だ。堕姫の気持ちを察するのも早く、またわがままを通す堕姫を際限なく甘やかしてくれる。ナマエの「仕方ないなあ」と困ったように笑う顔は、堕姫に優越感を与えて、あたたかな気分にしてくれる。
 きっとナマエに対して抱くこの気持ちは、自分が兄に抱くような好意と同じだと堕姫は信じて疑わなかった。そしてナマエも兄が自分に抱くような同じ気持ちを持っているとも思っていた。

 それならば、ナマエならきっと喜んで自分に喰われてくれる。

 堕姫の本能は、ナマエを見るたびに叫ぶのだ。ナマエを喰らいたいと。
 堕姫は思う。美しいナマエの肉を食べることができれば、その肉を糧とする自分は一層美しくなると。そしてナマエはそれを喜び、許してくれる。
 本能と感情が混ざって出来上がったナマエへの衝動を、堕姫は純度の高い親愛の表れだと信じていた。

「ねえ、ナマエ」
「なあに」
「今日、部屋によっていいかしら」
「少しだけだからね?」
 今日、彼女を食べてしまおう。そうしよう。きっと美しい彼女は馬刺しや爺の肉なんか比じゃないくらいとろけて美味しい味がする。
 想像するだけで酔ってしまいそうだった。
「ほんと?じゃあ早く帰りましょうよ」
「そんなに引っ張らないでって」

 会計を終えたナマエの腕を引く堕姫は愉快そうに笑った。

 ねえ、ナマエ。今日も仕方ないなあってアタシを許してね。

  

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