ピコン、という電子音に歌姫は目を覚ました。アラームが鳴るようにマナーモードをオフにした携帯は、ピコンと更にメールが届いていることを知らせる。
ちかちかと瞼を刺激する人工的な光がわずらわしい。画面を伏せて寝てしまおうと、携帯を手にするとそこでようやくとようやくまわりだした頭が警鐘を鳴らした。
ーー急ぎの任務だったらどうする!
一瞬にして最悪の想定まで至った歌姫は、素早く身を起こして液晶画面を確認した。ぎしぎしと心臓が痛みだしていた歌姫の目に入ったのは、ーーナマエからスタンプが送られてきました、というなんてことはないメッセージの層。そして、その最上部に乗っている「歌、今ヒマ?」 というメッセージだ。
強張っていた体が一気に弛緩する。
「びっくりした……」
歌、と自分を呼んできたメッセージの相手はミョウジナマエという、歌姫の同期だ。
なんだ、と返すとすぐに既読がついた。多分ずっと歌姫のトーク画面を開いているのだろう。そう思うと少し嬉しくなって、頬が緩む。
返事を待つ間も無く「寝てたんだが」と非常識な時間帯にメッセージを送ってきたことついて突くと、無言で土下座している兎のスタンプが送られる。もう少し誠意が欲しいのだが、ナマエに期待しても無駄だろう。
それから用件を尋ねるとやや間をあけて、先の土下座兎に続いてメッセージが届く。
「いま、暗いとこ歩いてて心寂しくなってるから電話したい」
「任務だったのか?」
「そう。今日一日で四件くらい飛び込んできて、さっき最後のぶん終わった。ほんと、参っちゃう」
「送って貰わなかったのか」
「もう家が近かったから、そのまま現地解散した」
閑散とした場所を歩いているのだろう。電話の向こうは静かだった。
およそ呪術師とは思えぬ理由で連絡してきた、彼女は疲れた〜とぼやく。子供みたいに口先を尖らせて言ってそうで、とりあえずお疲れ様だの頑張ったな、だのと労っておく。しかしナマエはそれを受けてー更にいえば、人をこの時間に叩き起こしておいてーもっと心込めて言っておくれ〜だのほざいた。
「あ、昨日五条と”遊んだ”。歌姫は会った?」
「いや?会わなかったな。なんでこっち来てたのか?」
「なんか用事だって」
「ふーん」歌姫はさも興味のなさそうに呟いた。「勝ったのか?」
ナマエのいう、 ”遊んだ”は相手が五条に使われるときに限って言うと、一緒に出かけたとかではなく、手合わせした、ということだ。
五条と同様に特級術師であるナマエは、学生時代から戯れに彼と呪術のぶつけ合いを純粋に楽しんでいたのだ。
歌姫の問いに、ナマエは
うへぇ、と情けない声を上げた。
「負けた。あの爆走汽車五条号を止められるのは居ないと思う。でも今度はリベンジしてやる」
ふふん、首を洗って待っていろよ、五条悟、と機嫌良さそうにするナマエにぐっと言葉が詰まった。
なんて、羨ましい。
ーー誰がって、あんなに楽しそうなナマエに構ってもらえている五条が。
「お前が負ける日が来るんだな」
「そりゃあね。アイツの強さは特級でも上の上。私は上の下くらいだわ」
「お前だって十分強いのに」
「ええ?」ナマエが電話口でくすぐったそうに「ふふ」と笑った。 「なに急に?歌姫ちゃん酔ってるの?」
「寝てたって送ってただろ」
「それもそうだった」
準一級術師である歌姫自身、それ相応の実力も経験も積んでいるつもりだ。だが、それがあっても一級と特級では大きな隔たりがある。
特級を冠する呪術師はナマエも入れて片手で数えられるほど。みんな天賦の才を持っているというべきか、人間という器に無理やり神的な素養を詰め込んだような、規格外の存在なのだ。ナマエや五条の背を見ていた歌姫は嫌というほど分かっていた。
戦闘狂の節があるのかわからないが、そんなナマエは力を振るう時が一番楽しそうだった。それこそ五条相手となれば、手加減しなくてもいい。犬歯まで見せて、五条は強いなぁ、なんてはにかんでいた。
ああ、羨ましい。
あの背中は、歌姫にはひどく遠いものに感じられた。
人には向き不向きな役割がある。解っている。ナマエと一緒に任務に就いた時に彼女のサポートをしてやるのが歌姫の最適な役割だ。
だけれども、心は上手くコントロールできない。ナマエと肩を並べられないのだという事実が、歌姫の中に空虚なものを感じさせた。
間の抜けたメロディが耳に入った。
「コンビニ入った!」
「いちいち実況しなくていい」
当の彼女はこの通り、お気楽だ。歌姫のしんみりとした感傷を微塵もわからないだろう。
だけど彼女のこういったこざっぱりとした気性に、救われているときもあるから変わって欲しくはないし、こんな気持ち理解してもらわなくたっていいのだ。
「良いじゃん。ビール買おっと」
「あ、今なら季節限定のチューハイ入ってるかも。あんずのやつ」
「あ、これかな……、飲んでみよう」
がちゃがちゃと、缶やつまみでもカゴの中に入れているような音が聞こえ出す。店内に流れる何かしらの音声CMでも酒の宣伝をしていた。
はぁ、と音に紛れるように歌姫はため息をつく。
お前の声を聞いてると、ふと会いたくなってしまった。五条に嫉妬を覚えて、すっからかんにさせる寂しさをあの笑顔で吹き飛ばして欲しい。
だけどそんなことをいってしまえば、きっと「歌姫ちゃんはさみしがりだなぁ」なんて、さっきみたいに半笑いで返されそうだ。
「歌〜、歌〜、聞いてる?」
「ごめん。聞いてなかった」
「えー」
「だからね、」と考えにふけっていた歌姫にナマエは改まったように言った。
「今日そっち泊まっていい?って話なんだけど」
「はぁ!?オマエ 、なに、はぁ!?」
天地がひっくり返ったと言わんばかりの驚嘆の声が口から出る。
「え、迷惑だった?なんか声聞いてたらもっと話したくなったから」
驚きすぎて思考が上手く回らない歌姫に、ナマエは続けた。
「ほら、気になってるチューハイも買ったし、お惣菜もお菓子も買った。もう十分もすれば着くよ。ねえねえ会っちゃおうよ」
ーー会っちゃおうってなんだその言い方!!こっちの気も知らないで!馬鹿!!
一喜一憂。なんとも忙しく騒がしい脳内だった。
悶々としたものが全部どこかへ飛んでいき、一気にあったかいもので満たされる。思わずこの許容以上の多幸感に叫び、逃げ出したくなってしまった。
歌姫は、こほんと咳払いをした。ナマエの前で取り乱すわけにもいかない。
「……全く。仕方がない。さっさとこっちに来い」
「やった!ありがとー!歌姫!愛してる!」
「はいはい。あ、お前歯ブラシとか下着とかは?」
「わすれてた!」
「眠いんだが」
「ダメー!!待って!爆速で行くから!本気出す!一旦切ります!」
「閉め出さないで!」と必死な懇願を言い残して電話が切れた。
再び静寂を取り戻した部屋の真ん中で、歌姫は己の口の端を揉んだ。案の定、緩んでいる。
仕方がない。どの口が言っているのだろう。泊まりの提案が出た時から、頭でお前を寝かせる場所はどうしようか、予備の寝巻きを引っ張りださなくてはなんて思い出して、体が落ち着かなくて仕方がなかった。まだ飲んですらないのに、血流がぐうるぐると激しく流れて、頬が熱くて仕方がない。
猶予はある。その間に出迎えの準備をしなくてはいけない。だけどどうしたってこの顔を引き締まらせるのにではあとの十分と少しだけでは足り無さそうだ。
やってきたナマエは「ほら、やっぱり酔ってた」なんて目を細めて、歌姫の頬の傷を優しくなぞった。
紅野様主催による呪術女子夢企画サイトの「Petal」に掲載していただいていました。
企画立案、サイト立ち上げ、主催にいたるまで等ありがとうございました。