タツヤには意思らしい意思はなく、ただ機械的に動いているだけだと教えてくれたのは、ザイロ・フォルバーツだった。
 ザイロはナマエの後輩にあたる男だが、以前騎士団の元団長(正確に言うなら彼は聖騎士だそうなのだが、ナマエには両者の違いがよく解らない)を務めていて、当然ナマエよりも魔王現象や戦術について詳しかった。騎士とは言うが、実際は軍人と言った方がイメージしやすい。勇者刑に処されたのはザイロにとって不本意なことだろうが、彼が勇者になってくれたおかげで勇者部隊の勝率、もとい死亡率の低下が著しいので、ナマエは彼が勇者になってくれて良かったと密かに思っている。死んでも生き返るとはいえ、少なくともナマエは自ら進んで死にたくはない。
 そしてタツヤのことにしても、戦闘経験からくる彼の見立ては恐らく当たっているのだろう。認知症とか、そういうものでなく、そもそも彼には意思というものがないのだ。
 前頭葉を損傷すると、性格が変わってしまうんだっけ。
 確かにずっと前、そういうことがどこかに書いてあった気がする。ネットで見たんだったか、教科書に載っていたんだったかは定かではないが。タツヤの場合、蘇生の際のダメージが脳に蓄積され続け、いつしか自我が消えてしまったということなのかもしれない。
 ナマエがそれを教えられた時に引き攣った笑いしか浮かべられなかったのは、結局のところ、タツヤに意思が無いのだと断定されてしまったことがショックだったのでも、懐いていた相手が所謂ゾンビのようなものだと認めざるを得なくなったことが嫌だったわけでもない。ナマエがその時相槌すら打てなかったのは、自分も将来“そう”なるのではないかと、ただそう思ってしまったからだ。
 どこまでも自分本位で、どこまでも傲慢だ。けど仕方の無いことではないかと思う。ナマエはこんな狂った世界の住人ではなく、ただの高校生の女の子だったからだ。

 普通の高校生だったナマエは、いつの間にか見知らぬ世界に迷い込んでいた。貴方は勇者ですと持て囃されたのも束の間、この世界での勇者とは死刑にも値しない大罪人のことを指し、死ぬ事すら許されずに国に忠誠を誓わされる。魔王現象との戦いに勝つ為、女神の奇跡で召喚された二人目の異邦人こそがナマエであり、その事実に気付いたナマエは絶望に打ちひしがれた。
 勇者刑から逃れる術は無く、例え逃げられても何の知識も技術も無いナマエがこの世界で生きられる筈もなく、仕方なく刑務作業に従事している。いくつもの詐欺事件を起こしているベネティムや、国家転覆を企んだ陛下と違い、何の罪も犯していない私がどうしてと思わなくも無いが、考えたところでどうにもならない。辛く苦しい日々の中、ナマエがタツヤに懐いたのは仕方のないことだった。
 タツヤ。竜也、達哉……どういう字を書くのかは解らないが、彼の名の、音の響きは間違いなく日本のものだった。顔もどことなく――本当に何となくだが――和風っぽい顔立ちをしているような気もする。地毛がピンクの人間が居る世界で何を言っているのかという話だが、そう思わなければナマエの強がりはすぐに折れてしまいそうだったのだ。ナマエは同郷のタツヤに懐いたし、タツヤはナマエがついてくる事に対し、当然だが何も言わなかった。同士討ち、元の世界風に言えばフレンドリーファイアで死んでも、ナマエは変わらずタツヤの後をついていった。
 同じ世界から来た人間が居る、それだけで、ナマエにとっては強い心の支えになったのだ。タツヤは無口だから、一人になりたいが寂しい時にも丁度良い。

 タツヤはただ機械的に動いているだけ、言われてみれば確かにそうだし、ナマエだってそれに反論する気はない。自分が実際の人間を使って人形遊びをしているやばい人間だという自覚もちゃんと持った。
 しかしながら、前に一度だけ、彼が本当は意識があるのではないかと思ったことがあった。うちに帰りたい、うちに帰れたらもう授業は真面目に受けるし朝練だってさぼらない、そう言ってタツヤの隣でひそかに泣いていた時、彼はナマエの頭に手を載せた。それから、小さく前後にその手を動かしたのだ。その時は勇者になったばかりだったし、頭を撫でられたことでたがが外れ、大声で泣いてしまっていたのだが、後から考えればおかしな話だった。
 ナマエは、頭を撫でられたと確かに思った。しかしタツヤは自発的に何かをすることは殆ど無い。稀に謎の行動をしていることもあるが、それは何かの指示が別の反応になってしまっただけというのがナマエ達の見解だ。たまたま彼が手を動かした時、たまたまそこにナマエの頭があっただけなのだろう。理屈では解っているのだが、本当は薄くでも自意識が残っているのではないか、ナマエはそう思わずにはいられなかった。もっとも年上の後輩のおかげで、そんなものは幻想だったのだと思い知らされたわけだが。


 備品を点検しながら(腕力も体力も無いナマエに出来ることは少ししか無かった)、横目でタツヤの様子を伺う。懲罰勇者に割り当てられる待機場所は限られていて、誰かと一緒にならなければならない時、ナマエはいつもタツヤを選んだ。たとえタツヤがゾンビのような存在だったとしても、結局彼の隣が一番落ち着くのだ。ちなみに、彼が無駄口を叩かない為だろう、タツヤとの相部屋はいつもザイロと取り合うことになる。この日はナマエが勝った。

 膨大な量の小型ナイフを整備し終えてから、ナマエは気晴らしに散歩にでも行こうと立ち上がった。そしてその瞬間、自分のすぐ背後に誰かが立っていることに気付き、文字通り飛び上がって驚いた。「タ、タツヤさん!?」
 後ろに居たのはタツヤで、普段通り焦点が合っているんだか合っていないんだか解らないうつろな目で此方を――ナマエを見ている?
 ドキ、と心臓が脈打ったのはときめきなどではなく、得体の知れない不気味さからだ。タツヤは返事をしなかった。そしてそのまま歩き出そうとしたので、ナマエは慌てて後ずさる。しかしながらタツヤの足は止まらない。ナマエの背が壁にぶつかりたたらを踏んでも、タツヤは少しも気にした様子を見せなかった。
 もちろん、タツヤがナマエを気にしたことなど今まで一度たりともないのだが。
「あの、タツヤ……さん……?」
 二人の距離がこれまでに無いほど近付き、やがてゼロ距離になっても、タツヤは止まらなかった。タツヤと壁に挟まれ、漸く横にずれればよかったのだと気付いたのだが、後の祭りだ。ぎゅむぎゅむと押されながら、今の状況を考える。別にタツヤはナマエを見ていたのではなく、壁に向かって歩きたかっただけなのだろう。そういえば、タツヤがそういう奇行に走ると聞いたことがあったような気がしなくもない。壁に向かって歩きたくなる理由は解らないが。たまたま向かった壁にナマエが居ただけで、ナマエが避けなかったからこうして挟まってしまうことになった。
 タツヤさんが甘えてきてるみたいで、何だか新鮮だなあ。そんな風に思ったのは始めだけだ。
 声の掛け方が悪いのか、ナマエが何を言ってもタツヤは聞き入れてくれなかった。普通にどくように言っても、心を込めて頼み込んでも、命令調で言っても駄目だ。思えば、普段ナマエに話し掛ける時は、特に返事を求めていない。ひょっとするとナマエのことを同じ勇者とも認識していないかもしれない。仕方なく彼をどかそうと力を込めたが、まったくびくともしないのだ。巨木か、もしくは岩の塊を押そうとしている気分になる。

 ゾッ、と嫌な予感が駆け巡る。このまま圧死したらどうしよう。一瞬ならまだともかく、じわじわ押し潰されて死ぬなんて想像するだけで嫌過ぎる。
 一応、タツヤも普通に歩いている、もとい歩き続けているだけで、壁に向かって体当たりしようとしているわけではない為、少々息苦しいだけで済んでいる。というか歩いているだけなのに押してもびくともしないって何? 最強の歩兵は体幹も最強なの? ナマエはそれから小一時間壁と接着されることになった。
「確かに何考えてるのかは解んないですけど、心の距離みたいなものが縮まった気がしますね。物理的に」
 そう言ってしたり顔で頷くナマエに、ザイロはかなり嫌そうな顔をしたが何も言わなかった。



redbreastの玄田様から誕生日に頂きました。

  

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