ナマエは、ソリの荷台を覆う布を固定し終えた。
額に汗の粒がゆったりと転がるのを感じながらも、まず、襟巻きに顔を埋めた。そして大きく息を吐けば、布ごしに生ぬるい空気が肺を通る。
作戦行動を終えてから、大急ぎで大人数人分も乗れるようなソリを作り、大急ぎでその荷台を満たして、中のものが落ちないようにしたのだ。
想像よりも疲労が溜まっていたのか、なかなか息が落ち着かない。襟巻きの隙間からこぼれた息が白くなり、宙に舞いながら消えていくのを何度も眺めた。
不意に、背後からぐずりと雪道を踏む音がした。
「…………くぅ」
「お待たせしました、タツヤさん」
一連の作業を終えるまで、梢が風で揺れるのを眺めていたタツヤが、ナマエを呼んだ、……気がする。
雪に足を取られながらもナマエはタツヤに駆け寄った。頬や耳、指先を見ていくと肌の色に赤みはない。凍傷の心配はなさそうだ。
「寒いですね、報告に戻りましょう」
「
るる」
まん丸に開かれたままの目には、兜のひさしの影が差し込む。それがどうにもかれが落ち込んでいるかのように思えて、ナマエはタツヤの頬を撫でた。
ぽろぽろと血が固まったものが手のひらに落ちてきた。
後でまた拭い直そう、とにかく、戻るのが先だーー、ナマエは地面に転がった細い左腕を掴んだ。すでに硬直が始まり、ナマエが雑に持ち上げても指先が不自然に丸まったまま動かない。
不思議な心地だ。自分の腕をこうして持ってまじまじと見てみるのは。
「大丈夫ですよ、タツヤさん。言われたことをしただけなんですから。私の不注意でしたね」
振り向いて、タツヤと視線を合わせながらナマエは言葉を紡ぐ。「大丈夫ですからね」と強い語気で念押しをしてから、荷台に自分の腕を突っ込んだ。
だって、臨戦体制を命じられたタツヤに、自分が不用意に近づいてしまっただけなのだ。ナマエに責任がある。タツヤが悲しくなる必要はない。
それに、切り裂かれてから、結紮をして、作業をするうちに、痛みはどこかに消えてしまった。もしくは、しっかりとしているつもりだが、痛みと寒さで意識がもう朦朧としているのかもしれない。
「すみません、タツヤさん。ソリを引いて……ください」
タツヤに命令する口調にどうしても慣れず、すこし語尾が淀む。しかしタツヤは正しく命令を受け取り、ソリの紐を引っ張りだした。
大人数人分を乗せたソリが動き出す。彼らはみんな、タツヤが誤って斧で叩き切ってしまった友軍だ。
タツヤは言われたことを聞いてしまう。なんでもだ。簡単なことでも、こうして近づいた人を全て殺すことでさえも、しろと言われれば、してしまう。
戦争が終わらない限り、タツヤは応じられるままに、戦斧を振わなくてはいけない。
「タツヤさんにこんな命令がいらない日がいつか来れば良いんですけどね」
ナマエは細く息を吐いた。冬を運ぶ風がナマエの胸の中を無遠慮に撫でる。
けほ、と軽い咳が溢れた。歩くタツヤの背中が視界に入ってしまうと、どうしてか、余計にその冷たさが身に染みた。
タツヤは、雪道だと言うのに、いつも通り規則的な音を立てて歩いている。それが緩むことも早まることもない。それで良い。彼は自分の帰り道だけを気にすればいいのだ。
目頭に火傷をした跡のような疼きを覚えて、ナマエは瞼を下ろした。
「ね、タツヤさん。帰ったら、何がしたいですか?」
ソリが雪に轍を刻む、ぎしぎしと不安定な音ばかりがタツヤとナマエの間を埋めるばかりだった。