はふはふと可愛らしい息遣いが足元からあがる。見下ろせば、つやつやとして、きりりと凛々しい双眸があった。
 先ほど、ザイロから唐突に預けられた犬だ。上官から正規の任務として、この犬の散歩をしなくてはいけないとのことだった。
 他の雑務があるからと、去ろうとするザイロの脚にまとわりつくこの犬を剥がすのは実に一苦労だった。しかし、その攻防もすっかり忘れてしまったのか、今度は自身の首に繋がった散歩紐に興味が移ったらしい。小さな牙を駆使して噛んでみている。
 膝を落としてみると、すぐさまナマエの太腿に両前脚をかけて、尻尾を振り乱した。
 真昼の日差しに照らされたその被毛は、溶けかけた雪のように、淡く青みがかった灰色だ。北方出身のナマエが、故郷でよく見る色。ナマエは細めた。
 首毛に触れてみると、分厚く豊かな毛並みはそれはもうナマエの手が沈み込むほどふかふかだった。

「ーーナマエ!」

 鈴を転がしたような声に、ナマエは顔を上げた。

「テオリッタ様」

 名を呼ばれた彼女ーー《女神》テオリッタは、平生通り柳眉を上げて、涼やかな面差しとなる。しかし、聖印が刻まれた白い頬が林檎のように赤らんでいた。一人で任務を受けることになったナマエを心配して、急いできてくれたらしい
「ありがとうございます、嬉しいです!」

 思わず跳ねるようにテオリッタに近づき、その小さな両手をぎゅうっとグローブの音が鳴るほど力強く包む。テオリッタはいつもこうして自分を気にかけてくれる《女神》様だ。感謝の念が絶えない。《女神》様は口を尖らせた。

「当然です。貴方は何をするかわかりませんから」
「今日はふつうに犬の散歩ですよ?」
「では、どのようにするのかを私に教えなさい」
「え?普通に中庭とかグラウンドに出して、自由にさせるつもりでしたけど」

 テオリッタの細い指先がナマエの鼻を突く。

「ダメですよ!ちゃんと紐で繋いでおかないと、どこかに行って危ないんです、か、っひゃ」
「テオリッタ様!?」

 テオリッタが急にたたらを踏み、よろめいた。
 ナマエは慌てて腕を掴み、引き寄せた。危うく二人して転倒するところだったが、似通った体格でうまくバランスが取れたことが幸いした。


 もふ、と前のめりに出した足先に柔らかいものがあたる。どうやら、この犬がテオリッタに戯れたせいらしいとすぐに察する。
 あむ、と鳴き声をあげながら、テオリッタの軍服の裾を噛む。時折鼻を押し当てていた。ザイロのにおいでも嗅ぎつけたのだろうか。なんて優秀な嗅覚なのだろうか。
 テオリッタは叱責もしないまま、仔犬を抱き上げた。何度か小さな頭を撫でると、ぽつりとつぶやいた。

「……なんだか貴方みたいですね」

 そう視線を投げられて、ナマエの身がこわばる。彼女の赤く燃える瞳には、身を刺すような輝きが秘められているようだった。《女神》様は人の手で造られた兵器だ。だからこそ、セネルヴァと同じ瞳を宿しているのだろう。
 だから、少しだけ、ナマエの中で踏み出せないような一歩があった。

「毛並みの話ですか?確かに銀色で似てるかも」

 テオリッタは首を振る。きゅっと眉間に皺を寄せる彼女はナマエを呆れている気配がある。つんと額をつつかれて、「くぅっ!?」とちいさな悲鳴をあげた。


  

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