「懲罰勇者であるが」

 一拍間を置くと、男は立ち上がった。

「私はお前を評価に値する行動をしていると考える」

 豪奢な部屋に通されたナマエは面食らう。
 目の前の大柄な男ーー、このマルコラス・エスゲインはどのような男だったかを、思い出す。ザイロが此処にくる前に色々と説明はしてくれたが、そもそも軍部にあまり関わりのない自分には細やかな上下関係の話は少し難しい。総帥と呼ばれる軍部の最高権力者なのだ、というのはかろうじて理解した。
 話を聞いた時にはぴんと来なかったが、確かに、普段土や埃を被るような生活を送る自分とはまるで別世界の住人のようだ。
 ナマエは視線を巡らせる。汚すのにも躊躇われるような床の白い石畳には、これまた毛足の長い絨毯を敷いていた。そしてせっかくの綺麗な絨毯の刺繍に高級で重たそうな家具が重しとして乗っている。
 こんな天上のような世界に居座るような彼が、どうして自分を評価するのだろうか。

「お前が聖女に関わっているのは知っている」
「聖女」

 ナマエは思わぬところから降ってきた単語を、口にして反芻した。
 顔を上げると、エスゲインと視線が結ばれる。彼は唖然とするナマエを視界にしかとおさめると、頷いて口元だけの笑みを深める。その反応が見たかった、というばかりに。
 ナマエはますます意図が読めずに、傍らで沈黙を保つザイローーエスゲインに呼び出しに受けた時に同行してくれると言ってくれたーーに、視線を一度投げた。しかし金色の目の返事を待つ前に、「ナマエ・クーアバレス」と声がかかる。

「私はお前に感謝もしているんだ」
「感謝、だなんて。私はただ……、一方的に、ユリサさんに関わっているだけです」

 ナマエは内心で首を傾げた。
 聖女、といえばこの世に一人しかいない。
 燃えるような赤髪を持つ彼女、ユリサ・キダフレニーのことだ。その身に女神の体を組み込むことで単独で魔王現象を相手どる戦力を得ており、追い詰められた人類の星として、エスゲインと比肩するほどの立場と名声を博している。
 そんな彼女だが、見たところ、ナマエとは年齢も近かった。部隊内で同性で同世代の人間がいないナマエにとっては一層親近感が持てる相手。だからこそ、聖女とかは関係なく、友達になってみたくて、彼女によく関わっていた。
 そう、ユリサとの関係は事実だ。ただ、それがなぜエスゲインが評価や感謝を覚えるような利益に繋がるかが、ナマエにはとんとわからない。
 大して発展することもない思考を巡らせていると、エスゲインが意外なことを発した。

「このところ戦場に出ずっぱりの聖女は心身ともにいたく疲れている。お前の行動はその慰めとなっているようだ」
「そうなんですか?」

 エスゲインの雰囲気も相まって、深い沈黙が横たわっていた部屋に自分の声がつんと響く。
 しまった。
 ナマエは気まずい思いをしながらも「失礼しました」とか細い謝罪を挟んだ。

 だって、本当に意外なことだったのだ。ユリサはナマエが話しかけたり、遊びに誘ってみたりしてもどこか遠慮するような気持ちが態度に現れていた。実際のところ嬉しいのか嫌なのか、どういった気持ちを抱えていたのかがナマエにはわからないのだ。
 それを他人越しとはいえ、慰めとなっているーーつまり、彼女の力となれている、と評価されるのは、率直に嬉しいという気持ちがどうしても勝る。
 「ぇ、えへ……」と、つい口元が緩んでしまう。

「ナマエ」

 無声音の呟きに加えて、とん、と背中を軽く叩かれる。ナマエのふわふわと今にも浮き立つ足が止まる。そしてすぐに背筋を伸ばして、丸めてしまった。
 とぼけた私の態度でザイロ様に恥をかかせてしまった……!
 かっと顔に熱が回るのを感じて、覆いたくなりそうになるが、ナマエは堪えた。

 今度は無言でまた背中をつつかれたのでもう一度顔も上げると、エスゲインとすぐに目が合った。
 ずっとこちらの様子を伺っていたのだろうか。ザイロとの子供のようなやりとりも見られていたのかと思うと、ナマエはさらにこの場から逃げたくなるような衝動に駆られる。
 しかし、耐えなければならない。ナマエはもうそんな年頃でもないしーー

「ただ、お前は懲罰勇者だ。そうだろう?」
「そう、ですね……」

 ーーそんな立場でもなかった。

「勇者とは何だ?」
「罪人、……でしょうか」
「ああ、それもとびきりの。我が連合国民の愛国心と自尊心を著しく乏した、忌々しい大犯罪者だ」

 雪解けの冷水に触れたように、急速に頭が冴える。

「聖女とは何だと思う」
「人類の希望」
「そうだ。数百年前の人類の栄光を継ぐ、素晴らしい役職だ」

 エスゲインが問いを投げかけながら、ナマエに一歩一歩と近寄る。
 彼が歩き、一つ一つ問いが紡がれるたびに、ナマエは自分の足元が音もなく崩されていくような不安に駆られていった。

「聖女と関わってしまえばいお互いに立場が悪くなる。……さらに言ってしまえば、この先絶対的な立場にある聖女が揺るぐかもしれない」
「もう関わるな、という話ですか?」
「いいや」

 では、何故自分とユリサの立場をはっきりとさせてきたのだろう。悲しくなるだけなのに。

 項垂れたナマエの鼻に、ふわりと甘いような、渋いような匂いが覆う。気がつけばすでにエスゲインが一歩前まで近寄っていた。どうやら彼の香水の匂いらしいと察する。
 ナマエが汗ばんだ手のひらを握って次の言葉を待っていると、エスゲインは首を振り、大仰な仕草で一呼吸ついた。

「もう少し目立たない努力をしてくれたまえ」

 言い終える前に、彼の手が伸びてきた。ナマエはその場でびくりと身をすくませる。動けるようになる前に、その手は容易くナマエの肩にかかった髪をすくいあげてみせた。
 視界の端で、自分の髪がさらさらと遊ばれているのをとらえた。時折親指で跳ねた毛先を寝かせてみて、まるで犬か猫かの触り心地を確かめられているようだった。

「素材は悪くない。もう少し身なりを整えれば、お前と、聖女が話していても訝しむ者は減るだろう」

 あの副官はわからないがね、とエスゲインはおかしそうに喉を鳴らした。
 テヴィーさん……。
 ナマエがユリサの隣に付き従う、茶髪の彼女のことを明瞭に思い出す前に、エスゲインは続けた。

「それと、ああ、やはり懲罰勇者の証であるこれだな、目立つのは……」
「う……」

 エスゲインの指先が喉元に触れて、ゆっくりと下がる。途端にナマエの肩が跳ねる。

 首元の十字の垂直線に触れているのだろうか。
 薄皮ごしに喉の隆起をなぞられる息苦しさと、彼の手袋のざらりとしたこそばゆさ。触れられたところを中心に痺れが広がり、喉が縮みあがる。
 自然とナマエの口からは呻きが溢れた。

「エスゲイン総帥閣下」

 ナマエは今度は後ろから首根っこを掴まれて、強く引かれた。

「戯れがすぎますぜ」

 頭上の声につられるように見上げると、すがめられた金の目があった。
 その開いた口に覗く白い歯牙が今日はやけに、恐ろしいものに見えて、ナマエは閉口した。

「私は助言をしていただけだ。お前には関係ない」

 ザイロはエスゲインに注いだ眼光の鋭さを瞬きで打ち消すと、今度はゆったりと首を振った。

「ただの備品に目をかけすぎって話です。俺たちには総帥のお時間をとるほどの価値もない。そうでしょう?」

 芝居がかった抑揚づいた言葉はわざと、なのだろうか。普段のザイロの振る舞いとは異なることに違和感があるが、それよりも緊張感から解放された安堵の方が大きかった。
 力が抜けかけるナマエの腕を、ザイロが支えるように掴んだ。
 エスゲインは目を細めた、が、やがて首を振る。いかにも得心に至ったらしい素振りだが、真意は見えない。

「また会おう」
「あ、えっと……」
「どうも。ありがたいお言葉痛み入ります」

 きっとナマエに投げられた言葉だ。しかしナマエの舌がまわる前に、ザイロが跳ね返すように口早に返事をして、そのままナマエを引きずるように退室する。

 「絶対に総帥とは一人で会うな」とザイロに何度も忠告されだすのは、この日からだった。

  

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