四頭立ての大きな馬車から降りて、しばらく歩く。足がくたくたになった頃合いで、目隠しが外されたときに私は目を見開いた。視界からの情報は、ここまでの道中に蝕んできた緊張の糸を丁寧に解してくれる。
 それほどまでに、王都の街並みは衝撃的なものだった。少なくとも、白と灰色の世界しかしらない私には、彩りが多すぎた。
 兵士さんの背を追ってーーというよりも、鮮やかな調度品に吸い込まれるように出そうとした一歩を、私は不意に止めた。

「何をしている」

 振り向いた兵士さんが視線で私を諌めてくる。私は謝罪をしてから、おそるおそる歩き出す。
 そして、足元から立った、砂がすれる耳障りな音に案の定罪悪感がわいてきた。
 こんなに綺麗な場所に私は場違いなのだ。進むたびにぴかぴかの真っ白な石の床や、毛足の長い絨毯をこうして汚してしまうのが申し訳ない。
 ーーただでさえ、私はよくないことをしてしまったらしいのだから。

        ◆

「すまないが、席を代わってほしい」

 カフゼン・ダクロームの発言に青ざめた査察官は、向かいに座る少女とカフゼンを交互に見遣った。普通は何か言うだろうに、彼は何度か頷いてから、壁にほとんど持たれるようにしてカフゼンの前を横切り、部屋を辞す。
 なにかに怯えていたかの様子だった。あの少女に?ーーというよりも、少女の罪状ゆえに、だろうか。
 カフゼンが席につけば、少女がびくりと肩を震わせる。

「そう緊張しないで」

 聖印照明の淡い灯りでも彼女の動揺はよくわかるが、カフゼンの質問に答えようとかろうじて小さく首を振ってみせた。
 机に手をつこうとして、カフゼンは苦笑する。先ほど担当した査察官は随分と緊張したらしい、水嵩が半分ほど減った白い陶器の水差しと水滴まみれのカップが鎮座していた。
 彼の置いていったのだろう資料の文字も濡れて少し滲んでいる。

「どこまで確認されているかな」
「私の罪状まで……です。詐欺と扇動」
「そうか」

 カフゼンは分厚い資料をぱらぱらとまくって確認する。
 前半は詐欺罪についてーー彼女の描いた絵や精巧な贋作の内容、その被害者、状況について記述されていた。相手は一般の民衆から、貴族、果てには神官。
 一つ挙げてみれば、彼女は描いた絵を著名な画家のものと騙り何枚も大聖堂に飾らせてそれに向かって祈らせた、だとか。傑作だ。伝説的な神殿の恥辱だろう。

「か、帰して、ください」
「それは不可能だ。ナマエ・クーアバレス」
「不可能でも、それでもーー」ナマエは真っ直ぐに、濡れた眼差しでカフゼンを貫いた。「ーー村の復興が終わるまでは、待ってください。まだ寝返りも自分で打てない人もいます」

 カフゼンは穏やかに微笑んだ。

「きみの罪は詐欺だけじゃない」

 ナマエは口元をわななかせた。まだあるのか、といいたげだ。それは、そうだ。詐欺も、扇動も、今から告げる罪だって、彼女に謂れがないものだった。
 カフゼンはまるでその異物を遠ざけるかのように、資料の底に挟まれた紙を取り出した。

「ーー女神殺し教唆。それが君が決して許されない罪だ」

 その紙にはとある絵が印刷されていた。
 彼女が描いた《女神》の絵だ。
 この絵を眺めるうちに、カフゼンの脳裏には先ほどの査察官の横顔が浮かぶ。あの場から離れられて、心底安堵したような表情だ。ーーあるいは、どこか名残惜しそうな。

「改めて聞くが、この《女神》セネルヴァが殺される絵を描いたのは、きみだろうか」
「はい」

 悪夢めいた光景が描かれた手元の絵と、はっきりと返事をしつつも首をひっこめてしまう彼女が同時に視界に写る。この二つに関連性があるとは、何かの悪い冗談だと思いたかった。
 しかし、この緊張状態で嘘をつけるほど器用ではないことを、カフゼンはエンフィーエの祝福で把握している。

「きみは過去に……《女神》セネルヴァ、そして彼女に仕えていたザイロ・フォルバーツに村を救われているね」
「は、はい!ザイロ様とセ、セネルヴァ……様は、魔王現象を倒してくれました。他の兵士さんたちも、私たちを守ってくれたんです」

 その二人の名を聞いて、ナマエの雰囲気は柔らかくなる。

「そしてその後、ーーいや、今もだったか。魔王現象に侵食された村の復興に勤しんでいた。大変かい?」
「大変ですけど、みんな、やる気に満ちてます。打ち捨てられると思ってた中で、救われて嬉しかったから……もちろん、私も」
「きみは彼女に恨みはまるでない。だけど、彼女を殺す絵を描いた。どうしてかな?完璧な女神が死ぬ絵だなんて、まるで世界の終わりのようだ」

 見るだけで冷や汗が滲みそうな絵を、カフゼンは伏せた。
 彼女のもう一つの罪状、扇動はこの絵に起因する。資料上では彼女はこの不吉な絵を大量に印刷し、広めて、「女神は死ぬ。世界は終わる」だのと触れ回り、各地で混乱を起こしたのだった。
 カフゼンがその始末に走らされたので詳細は嫌なほど知っている。自分がやったのは主にこの件で生じた軍部と神殿の不和の調停、炙りでた共生派の帳簿、各地の事件の資料の確認。
 重要性も高く、規模も大きかったーー思い出すだけで、頭痛がしてくる。

「それは、世界の、終わり……じゃなくて」

 ナマエは眉根を寄せて、少し躊躇するような仕草をした。しかし、ちゃんと話さなければ終わらぬことも察したらしい、次の言葉を紡ぐ前に深呼吸をした。

「魔王現象殲滅後の光景を想像して描きました」
「ーー殲滅した先に、《女神》はいない?」
「《女神》は、居ません。えっと、戦うための《女神》はってことで……、セネルヴァ様はいるんですけど!」

 ナマエは口元に手を当てて自分の描いたもののコンセプトを言語化しようとしていた。

「つまり、《女神》セネルヴァの兵器としての側面を破棄した瞬間を描いた?」
「そう!そんな、感じです。女の子として、セネルヴァ様が普通に生きられるようになったら良いなと思って描いたんです。だから、どうして……その絵が、女神殺し教唆に繋がるんですか?」

 ナマエは小首を傾げて、本当に不思議そうな顔をしていた。
 そこにはなぜ空は青いのかだとか、雪は冷たいのか、だとか尋ねるような純粋さがあった。

「きみの絵の影響力は計り知れないものがあり、あのザイロ・フォルバーツも例外ではない。彼は、そのせいで《女神》セネルヴァを殺したと、されている」
「ザっ、ーーえ?」ナマエは胸元に手を当てて、身を乗り出した。「ざ、ザイロ様が?どうして?」

 興奮を抑えられず、言葉を詰まらせながらもカフゼンに聞いた。

「《女神》セネルヴァが殺された話も初耳?」
「なにもかも、私、なにも……!ザイロ様は今!?せ、セネルヴァは、本当に!?」
「《女神》セネルヴァの機能停止は確認された。被告者ザイロ・フォルバーツは勇者刑に処される」

 断じるように告げると、ナマエは自然と首元を撫でた。

「そう。きみの英雄は、首に枷の聖印を刻まれ、世界に魔王現象が消えるまで戦わされる極悪人に堕ちる」
「私のせいで」

 違う。
 カフゼンは知っていた。
 彼女の故郷はすでに失われつつあるかなた北方に位置し、その地域には特に人口が少ない。そのため定期的にヴァークル開拓公社の商人を呼ぶことで外部との取引を行ないーーその結果、彼女の絵を買ったヴァークル社がずっと悪用していたにすぎない。
 彼女の罪状はすべて、そうだ。
 しかし、全ての真実がつまびらかになったところで、カフゼンは引くことが出来なかった。
 この不吉な絵を描いた人間を探すために、そして事態の収束にはさまざまな手間をさいたのだ。関わった人間が想像以上に広くーー描いた人間張本人を突き出さなければ、収拾がつかないところにまできた。
 カフゼンだって、まさか、普通の子供が出てくるとは思わなかった。
 ……いや、もうすでに、すべて言い訳にすぎない。

「少なくとも、連合行政室はそうだとしている。だからきみに迎えが行っただろう」
「私、は」
「ナマエ・クーアバレス」カフゼンは、伏せてしまった紙を撫でた。「君は、セネルヴァがもしも兵器としての側面が捨てきれず、人類に仇をなしてしまったらどう思う?こうして破棄すべきかな」
「………そうすべき、です。裁かれるべきことです」

 ナマエはカフゼンの手元に視線を落として、台本でも読んでいるかのようなたどたどしくも、はっきりとした意思を言った。

「あ、……まさか」
「どうだろうね」

 ザイロ・フォルバーツは致し方なく女神を殺さなければならない状況にあったーー動揺が激しかったので、少し、希望を持たせたところで思考がしっかりとしたようだった。

「《女神》セネルヴァも、きみにとってだいじなようだ」
「……はい。少なくとも、魔王殲滅の夢をともに話した仲です」
「それでも破棄を?」
「少なくとも私とセネルヴァは、みんなが傷つかない平和時間を望みましたから。それが脅かされるのなら、彼女も望まないでしょう」

 危うい。危ういが、彼女には確かに勇者の素養があった。
 少なくとも誰もが笑い話にしてしまうような、魔王殲滅の夢を一緒に見た仲の友人ーー記録上では、親友と据え置いていたセネルヴァを、せかいのためなら殺してしまっても良いなんて思えてしまうのだ。

「私も、破棄されますか?」

 ナマエは顔を上げた。鋼のような、迷いのない瞳がカフゼンを写す。

「いいのかな?」
「しょうが……ないです。もしかしたら、私が生きてるだけで、村の人に、誰かに迷惑をかけてしまうかもしれないのなら」
「破棄……、ああ、衆人環視の下で炙り、君の体ごと魂を清めなければ上の気がすまされないだろう」

 正確に言えば、カフゼンの上司ではなく、形だけでも王家に従属している貴族連合だとか、神殿だとか。彼らは悪趣味な正義感を大義があると信じて疑わない。
 カフゼンは立ち上がって、水差しを持つ。

「そこで、提案がある。きみの罪を軽くはできないが、罪を重ねるのはできる。死刑よりもっと悪いーー」
「勇者刑」
「そう。きみは死ぬことすらも許されなくなる存在となる。あのザイロと同じように」
「つまり、魔王現象が殲滅する日を、見ることができるということですか?」

 勇者をはじめからそんな希望のある存在として受け入れる人間はそうそういないだろう。しかし、ナマエは本心から聞いている。
 じぶんは果たして、そんな良い席についていいのか?と。

「紙とペンだけで常軌を逸した知覚を拓く技能も、きみの精神性も危ういものだ。ただ、この世界の裏切り者を暴く勇者には適しているとぼくは考えている」

 カフゼンが水差しをナマエに渡す。

「これを落とせば、きみは査問中に暴力行為を働いた極悪人としてもう後には戻れなくなる」

 ナマエは、戸惑いながらも、思い切り水差しを床に叩きつけた。
 がしゃん、と派手に割れた音が部屋に響く。さて、廊下の向こうまで届いただろうか。

「あの」
「うん」
「ありがとう、ございます。勇者刑を選ばせてくれて」

 割れた陶器から、透明な水が流れでていき、彼女の靴を縁取った。まるで彼女の足跡のようだと、カフゼンはそれが自然と思えた。
 彼女はそれほどまでに、世界の闇も苦しみも知らない。ーーこれからは血に濡れた道を歩くことになる。
 頼むから、礼を言わないでくれ。

「戦い方はすこしだけ、私が教えよう。きみの意思への敬意としてね」

 何も知らなかったナマエ・クーアバレスを勇者に仕立て上げるのは、他でもないカフゼン自身なのだ。

  

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