◆6
 
 街中の食堂からでたザイロは、ひと心地ついていた。他の兵士ーーこの任務先と同様に北方出身らしいーーから勧められた店は正解だった。ある程度味を覚えられたので、今度再現してみるのもいいかもしれない。
 懲罰勇者として与えられる任務は理不尽で実りのないものが多く、嫌なものだ。しかし任務行動中のためにこうして適当な店に入れるのはいいことだ。

 石畳を進む軽やかな足取りを、ザイロは誰かに掴まれたようにぴったりと止めてしまった。採寸の合わない軍服を身に包んだ銀髪の子供が、前方に見えたのだ。
 今は休憩時間だ。武器の点検だとか、娯楽で気を紛らわすとか、思い思いの時間を過ごす自由な時間だ。当然あの子供、ナマエだって勝手にする権利はある。
 ただ彼女を渦巻くあらゆる事象はザイロの視線を鋭いものにさせ、ナマエに注ぐようにしていた。
 しばらく歩いていたナマエが不意に足を止める。
 気づかれたか?
 ザイロも足を止めて、なぜか商店の影に隠れてしまう。どうにもあのへらへらとした顔を向けられたくない気がしたのだ。
 ナマエは果物を何個か買っていた。商人と何度かやりとりを終えると、今度は弾んだように歩き出す。
 ザイロが進もうとすると、強く裾を引かれる。咄嗟に身を翻しかけたが、店からのびた手だと気づきすぐに居住まいを正す。

「ねえねえ!兵隊さん」
「んん、どうかしたか?」
「どうかしたかじゃなくってね、買っていってくださいよ!あんたがさっきから熱心に見つめてるあの店よりも、うちのりんごは赤くてつやつやで、蜜がたっぷりだよ」

 ザイロはその商売根性の逞しさと、壁にさせてもらった感謝に礼を伝えながら買うこととした。
 ナマエは以降も何度か店に立ち止まり、話すだけであったり適当に小物を買うこともあった。その度にザイロも近くの商店でものを買う羽目になったのだが。
 ナマエはまた跳ねるように歩いていたが、ぴたりと動きを止める。振り向いて、走りだす。あまりにもその勢いが勇んでいたものなので、ザイロは面食らう。急に、どうしたのか。
 ナマエは近くを歩いていた兵士ーーではなく、もっとその向こうを歩く男の腕を掴んだ。

「すみません!」

 大通りの空気を割くように叫ぶ。
 対する男は戸惑っていたーーというよりも、少し挙動不審な様子だった。目が忙しなく動いている。ナマエに対して連なる文句も、どうにも早口だ。

「あ、あの、人の物は盗っちゃダメなんですよ!迷惑になりますから!」
「何言ってんだよ!?」
「だって、今兵士さんにぶつかって懐から袋を抜いてましたよね?ほら、今ポケットに入ってる物ですよ」
「な、なにを!やめろ!」

 意外なことにナマエは男に飛びかかる。気弱そうな態度から考えられないほどの猛然とした態度に、男は一瞬戸惑いを見せたが、ナマエの意図を察してすぐに身をよじらせる。
 ナマエは男の懸命な抵抗を受けつつもそのポケットから袋を抜き出した。

「ありましたよ!」
「あっ、おれ、俺のだよ!」
「でもこれ、軍票も少し入ってます。あなたは兵隊さんですか?」

 ナマエの髪を必死に引っ張っていた男は、途端に顔を真っ赤にさせた。往来の視線を受けている恥じらいと、この弱々しい子供に暴かれて矜持が傷ついたのだと思われる。
 運がなかったな。ザイロは内心で男にほんの少し同情を覚える。男の手際がいかによくとも、ナマエの目は人の動きであれば簡単に捉えられた。
 男の目の色が変わる。ナマエもその様子に怯んだのか、すぐに飛びのこうとした。しかし遅い。男もだが、ナマエはもっと遅かった。

「ひゃあっ」

 男の体当たりを食らって、ナマエは強かに壁に打ち付けられる。
 呑気な悲鳴だったが、その後に起き上がる動作は重たいものだった。受けた衝撃はかなりのものだとうかがえた。

 男はナマエに振り向くこともなく駆け出そうとする。
 ただ興奮していて真後ろの気配すら感じ取れなかったらしい、男は軍服の二人組に速やかに取り押さえられた。実害が出るまでは見向きもしなかったことを忘れさせるように鮮やかな捕縛芸だった。
 男は何度か悪態をつこうと試みるが、屈強な王国軍人に気を呑まれたようだ。すっかりとおとなしくなってしまった。

「あの、これ……、とられてましたよね」

 ナマエが男から取り上げた袋をその兵士に渡そうとする。
 兵士は引き結んだ口をようやく開けた。

「こ、このものに、私が施してやったのだ。この犯罪者め。市井の人々にとんだご迷惑をかけたな」

 男の剣呑な雰囲気に、ナマエはびくりと肩を揺らした。
 ほとんど引ったくるように受け取った兵士は、あの男のように顔を赤くしていた。
 ザイロはその態度に納得もしていた。天下の王国軍人が、たかがコソ泥に物を盗られたとなれば評判が地に落ちるのだろう。どうやらあの男は物よりも矜持を大事にしていたらしい。

 ナマエは目を白黒とする。そもそもあの子供は見栄を張るという行為を全く解していない様子だ。
 あいつ、このことで有る事無い事を盛られて、また懲罰房に送られるのかもしれない。やや面倒だと前回学んだので、ザイロは手を貸すこととした。

「おう。それなら、俺も施させてくれよ」
「は、ぁ?」
「俺もこんなにものを持てないからな。ほら、受け取ってくれ。ここのりんごはうまいらしいからな。ほら、行きな」

 ザイロは尾行中に買っていたものを突っ込んでいた紙袋を男に渡す。
 反射的に受け取るが、男はやや面食らっていた。兵士だって同じ顔をしていた。
 そりゃそうだ。意味がわからないだろう。またこの場に罪人が増えたのだから。
 ザイロはおどけるように笑ってみせた。

「貴様ーー、あっ」

 ザイロと目があった兵士はなんというか、ひどく怯えていた。屈強な猛獣を前にしたかのような、この目の前の生き物に抗おうという気力を削がれた目。
 ザイロに募らせていた呪詛があるだろうに、呟きかけた口を餌を待つ魚のようにぱくぱくとさせていた。
 なんだ?急速に顔を赤くさせたり、青くさせたり、おかしなやつだ。ザイロに訝しげな眼差しを受けつつも、傍らの兵士を伴って不自然なほど早い足取りでその場を去っていった。

「なんだあいつ……」
「あれ、ザイロ様、覚えてませんか?」

 ナマエが当然のように発した。

「あの兵士さんたち、前に合同演習で相手をしていた人ですよ」
「この前って」

 ザイロは思い出す。演習で、ナマエもザイロも両方とも顔を合わせた覚えがある兵士といえばわずかしかいない。
 すなわち、ナマエを病院送りにした奴しかいない。ザイロは最初こそ信じられなかったーー彼らは全員兜をかぶり、鎧に身を包んでおり、見分けるといえば口元ぐらいだったーーが、それならばあの不自然に逃げていく姿に納得はいった。
 しかし、それならば、と、ザイロの胸中に新たな疑問が湧き上がる。

「お前、あいつに怪我をさせられただろ。ムカつかねえのか」
「え?あの時は演習でしたから、むかつく……とかはないですよ?それよりも、無くしたら困っちゃうものじゃなくてよかったです。ね!ザイロ様!」

 ナマエの同意を求めるような声に、ザイロは舌打ちをした。
 そう、まるで全て丸く収まって良かったと、自分は外野にいるような言葉だった。そう言う言葉を吐いていいのは、ザイロや、一部始終を見ていた周囲の人間だ。盗人を暴いたのにも関わらず、事実を曲げられて、理不尽に罵倒された人間が、言うべきではない。決して。

「ああ……」

 ただ、ナマエがそれでいいのならば、良いのだろう。無理に思考を変えてやる方がめんどうなのだ。ザイロの預かり知らぬところだ。
 ザイロが適当に頷く。
 ナマエの瞼が何度か痙攣する。背中の痛みをようやく思い出してきたらしい。ただ、ナマエはにっこりと小さな唇で弧を描いた。さも報われたような笑顔だった。

 ザイロの頭に、ちくりと針に刺されたような痛みが走る。

「お前、そういうのやめろよな」
「そ、そういうの?」
「その顔」

 このナマエの、いつもするようなへらへらとした笑顔。
 畜生。ザイロは己の堪え性のなさをここまで後悔したのは初めてかも知れなかった。

「この際、聞かせろよ。お前はどうしてあの絵を描いたんだ」

 前言撤回の文字が大きく頭を支配する。
 それもこれもライノーの野郎が妙な話を聞かせてくるからである。

 ザイロは今回の件で身をもって体験することになってしまった。ナマエはやはり献身的であるような素振りをする、と。
 忘れていた怒りがじわりじわりと火をおこす。やはり、堪え性がないようだった。
 良いかげん、はっきりさせてしまいたいのだ。この子供がやはり狂っていたのか、善人であるのか。答え次第では、ザイロは出会った頃と同じ態度を取れば良いのだし、後者であれば……。

「あ、え、ええと……」

 ナマエはかなり動揺を見せていた。怯えているとか、ザイロにそれを聞かれるとは思っていなかった、と言う素振りよりも、……迷っている?

「おい、何迷ってやがる。早く言いやがれ」
「ぁ!わ、私、その、おうこくさいばんのとおりで……!あの……!世界を、混乱させようとですね……!」

 必死に言葉を言い募ろうとしている、というよりも何かを思い出しているかのようだ。というよりも、こうなった時の定型文でも仕込まれているのか。

「ナマエ」
「ぅあ、はい」
「俺たち勇者は備品だ。人じゃない。真水にも劣る。お前は石にもそんな態度を取るのか」
「い、いし……!?」

 ザイロの言い分に、ナマエはぎょっとした顔になる。しばらくカエルのように丸々とした眼差しを向けてきたが、やがて、「そ、そうかも……?」と言い始める。
 ザイロがさらに促せば、ナマエは観念したように話しだす。

「あれ、は……セネルヴァに早く女神のお仕事を終わってほしいと思って描きました」

 お仕事、という言い回しにザイロがと戸惑う。
 《女神》の使命は、魔王現象の殲滅だ。ナマエはそのことを指して言っているのだろうか。

「あの絵のセネルヴァは……《女神》として任務を全うしたのか?」
「そうです!流石ですザイロ様!」
「全うできたんだろ?なんで死んでんだ」
「だって、《女神》のままだとセネルヴァは戦うだけじゃないですか!」

 ナマエは息を荒げた。

「魔王現象が全部いなくなったあと、《女神》じゃなくて“セネルヴァ”になった時には、セネルヴァは好きなことできます!」

 《女神》とセネルヴァ自身を分けた言い回しに、ザイロはナマエの意図をぼんやりとだが理解してきた。
 おそらく、セネルヴァが死んでいる絵には、セネルヴァ個人の命を絶ちたいという意図はない。そして、生体兵器である《女神》セネルヴァの機能を終わらせている絵だと、主張しているのだ。
 ザイロは詩歌や絵画を多少嗜んでいる方ではあるが、このような解釈の仕方は思いつくはずがなかった。あの《女神》の相棒だった自分自身なら、なおさらだろう。

「じゃあ、あの絵はセネルヴァのためか?」
「私のため……でも、セネルヴァのためでも、あります。だって私もセネルヴァも世界が平和になった後の景色を、楽しみにしてたんです」

 ナマエは目を細めて、顔に穏やかな笑みをたたえた。

「私たち、約束してたんです。魔王現象が全てやっつけた後は、世界が平和になった絵を私が描いて、セネルヴァがそれを見にきてくれるって」
「あいつが……?」

 ザイロはナマエをしばらく見つめて、それから吹き出した。
 ナマエの顔がおかしかったではない。
 自分が、あの小憎たらしい相棒にしてやられたことに数年越しに気付かされたのだ。

 セネルヴァめ。俺に黙って戦った後の楽しみを作っていたのか。……いや、共有しなくてもいいのか。その約束は女神じゃなくて、お前個人のものなのだから。
 ずっと《女神》の兵器としての側面を表すあの相棒に、築いてきた罪悪感というものがやっとすすがれた気もした。少なくとも、セネルヴァの意思は彼女の中にあったのだ。

 ザイロはようやく、決心したようにセネルヴァの揺らぐ影を見つめてみた。
 ひだまりにいるかのような呑気な顔。そして、大事そうに抱えられた、あの白い擦り切れた外套。最北端の村から村人に与えられたと、確かそう言っていた。
 ああ、もしかして。
 ザイロは確信に近いそれを、投げかけた。

「お前さ、セネルヴァに外套をあげたか?」
「え!?よく知ってますね!?」
「大事に使ってたよ。……ありがとうな」

 外套以外の礼も込めたが、やはりナマエには伝わっていないらしい。それよりも、セネルヴァが喜んでいたことに気を取られているようだった。

『懲罰勇者!どこにいる』
「!は、はい!」

 聖印越しのがなり声はかなりご立腹されている。何か告げ口でもされたのかもしれない、とザイロは見当をつけた。
 まくしたてるように休憩を早く切り上げるようにと命じられれば逆らえない。駐屯地に戻るほかないだろう。

「ザイロ様、戻りましょう」
「ナマエ」
「はい!ザイロ様!」
「お前、あの絵自体を広めたのは、お前か?」
「う」
「その顔でわかった。お前が広めた訳じゃないんだな」

 ナマエもまた、自分と同じようになんらかの組織に陥れられた結果、ここに行き着いたのかもしれない。

「最悪だな、勇者刑なんて」
「最悪?ですか?私の絵で誰かが死んだのは本当ですから、処刑されてもしょうがありませんし……それに、世界が平和になった後の光景を見られますから」

 ザイロは立ち止まった。ナマエが勢いを止められずに、ザイロの腹の辺りに顔をぶつける。

「いいか、ナマエ。もう処された以上は覆らないが、理不尽に怒るぐらいはしろ。舐められるぞ」
「お、怒る?ですか」

 そして、ナマエは本当に何も気にしていないようだった。自分の身が都合よく切り取られていることにさえ、気付いていない。
 ならばーー

「ああ、怒れ。わからなかったら俺に言え。俺が代わりに判断して怒る」

 ザイロの言葉に、ナマエは目を丸くした。
 今までどんなことをしようが言おうがかわらなかった顔が、初めて驚きに染まりザイロはしてやったりと内心で微笑んだ。

  

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