◆5

 ライノーは双眼鏡から目を離すと羊皮紙に地図を書きつけていった。存外几帳面に引かれていく線に、ザイロは頷いた。
 自分よりも適当だろうと任せてみたが、なかなか出来がいいものを作っている。ーー今回の任務の指揮官が難癖をつけてこなければ、の話だが。

「なぁ、ついでに何か動物は見えないか?食糧になりそうなやつ」
「動物ではないけれど、そこに生えているキノコは食べられる種類だよ。名前は……」

 はじまりそうなライノーの解説に、ザイロは片手を上げて制した。
 そうした講釈もキノコも嫌いではないが、腹のたしにはならない。

「せめてドッタがいれば多少マシになっただろうな」

 ザイロは最悪の窃盗犯として勇者となった同僚を挙げた。

「何かしらいれば何か“調達”してくるだろうし、目がいいから獲物が見つけやすいし……あー……」

 ザイロは腕を組んで、言葉を打ち切った。
 あの男がいれば、馬車から何かしらを盗ってくるため飯にも酒にも困らないのは確かだ。ただ、分別なく盗んでしまうため、とんでもないことをやらかしてくることもあり、やはりいないほうが安寧は保たれていいのかもしれない。
 ライノーは静かに笑い声をこぼした。笑い、というにはいささかそよ風のような溶け込むようなものだったが。

「惜しかったね。本来なら同志ナマエがこの任務に参加するところだったのだけれど」

 不意に出てきた名前に、ザイロはぎくりと体をこわばらせる。

 ナマエ・クーアバレス。ザイロの相棒の死様を描いた奴であり、最近ではザイロの部下が守ろうと奮闘した村人の一人と判明した。
 向こうは相変わらず、ザイロと関わろうと奮闘してくるが、ザイロ自身は、といえば顔を合わせるたびに怒りと戸惑いが同時に吹き上がり扱いに窮している。
 一体どうすればいいのだろうか。内心でセネルヴァと元々の部下たちに声をかけたところで、全員が全員ナマエに何かあれば助けてやってくれと言いそうなのは目に見える。あいつらはそういう奴らだ。

 でもなあ、聞いてくれ。褒められるために、世界のために、働いてきたセネルヴァが辱められた分、俺が怒ってもしょうがないだろう?ーーザイロの中では言い訳ばかりが浮かび上がっていた。

 無駄なことを考えなくて良いぶん、こうして任務が別になれば気は楽だった。
 ただ、ライノーが引っかかる物言いをしていたのは気になる。

「なんだ、前の任務で修理場送りにでもなったか?」

 ザイロは努めて淡々と言った。

「ううん。懲罰房だよ」
「はぁ。今回はお前じゃないんだな」
「そうなんだよ」

 ほんの少し皮肉をこめた返答に、ライノーは額を羊皮紙から離して、深く頷いた。

「彼女はね、僕の代わりに入ってくれたんだ」
「は?」
「僕たちは一緒の任務だったんだけど、その時に異形の群れに巻き込まれそうになっていた開拓村を共に助けに行ったんだ。もちろん、命令にはないことだった。でも放っておけなくてね……」

 ライノーは言い訳のようなものを混ぜながらも、そこには全く反省の色がない。
 ザイロはその場の指揮官の心労をそっと偲んだ。

「ならなんでお前が今ここにいるんだよ。夢だったとかいうオチか?」
「ううん、懲罰房行きの処罰が降る前に、同志ナマエが提案してくれたんだ。『全部私のせいにしてください』って。同志ナマエは罪状が女神殺し教唆犯だろう?自分に唆されたことにすればいいと提案してくれたんだ」

 平坦な調子のなかでどこか熱気のこもっているのを感じる。
 ライノーの表情は晴れやかで、自分がしたのは正しい行いであったと誇らしげにしていた。
 女神がいかに完璧な存在であるかをこんこんと語る、神殿の人間たちと同じ眼差しだ。

 何言ってんだ、こいつは。
 ザイロはにわかに苛立った。
 無駄な自己犠牲精神は、集団で行動する上で独りよがりで、無意味で、迷惑だ。これはナマエに同調するライノーにも該当することだ。灸をすえるためにも反論しなければならないと、ザイロは息巻いた。

「同情か?」
「同情……、もあるかな?僭越ながら二人して懲罰房に入るよりも、僕が外で活動した方がより多くの人を救えると言ってくれたんだ」
「あ?なんだそれ」

 自分はいいから他の奴を助けるように、と促したというのか。

「おかしいかな?ああ……、そうか!同志ザイロは知らないはずだ。君たちは仲がよくなかったようだからね」

 ライノーが立ち上がり、膝の筆記用具と羊皮紙が音を立て落ちていく。
 しかしそんなことを気にせずに、ライノーは暗赤色の瞳を弓なりに曲げた。
 微笑んでいる、つもりなのだろう。ザイロはその顔に美術館などで立ち並ぶ、彫像のような地肌と表情の硬質さを思い出したが。

「同志ナマエは処される前にね、死刑か勇者刑かと迫られたことがあるそうだ。その時に、自ら後者を選んだ。僕と同じく、人類に貢献したいからだって。なんだか嬉しかったよ」
「……お前と同じく、恐ろしく変人だってことはわかった」
「とんでもない。動機こそ同じだけど、彼女の献身は僕より素晴らしいものだ。比べるなんて、おこがましかったね」

 ザイロはさらに己の中で怒気が膨らんでいくのを感じた。
 己の怒気と困惑の正体を、ザイロはようやく見た気がする。ライノーがやたらと讃えるようなナマエの献身には、矛盾があるのだ。
 人のために身を削って見せるのならば、何故ナマエはライノーのように志願ではなく処されるという形でここに来たのか。その気持ちは、人類のために戦ってきた《女神》にだって与えてくれたっていいだろうが。

「そんなにアイツのことを褒めんな」
「ああ、申し訳ない。僕はもちろん君に心から敬服しているよ」
「んなこと聞きたいわけじゃねえ」

 ザイロは語気を荒げる。この男の不愉快な言い草と顔をどうにかして変えてやりたくなる。

「お前、あいつが勇者刑に処されるために《女神》が死ぬ絵を描いたっていうのか?」
「ああ、どうだろう、そこまで考えたことはなかったな。うーん……、違うかもしれないね。演劇のようなものかな?ほら、みんな登場人物を殺される場面を好んで見に行っているじゃないか。嗜好の一つとして提供したものが、国の意に反したのかと考察するよ」
「いや、あれとは違う手合いだろ。演劇ってのは死ぬまでの過程を踏まえた上で感動するもんだ」

 ライノーは首を傾げた。

「同志ザイロ、あの絵に対して、きみは感動を与える以外の意図を感じたんだね」
「そりゃあ、あんな大層な絵を描くなんて、話題にされて金を稼ぎたいだとか、注目を浴びたいだとか、あるだろ?もしくは女神を嘲笑っているクズか、だろ」

 ライノーは筆で引いたようなまっすぐで幅のある眉を下げた。彫りが深いが、北方特有の肌色と金髪により繊細に仕上がった顔立ちに陰が落ちる。
 ただ、このライノーのあまりにも同情しています、という態度は先ほどからわざとらしく思えてならない。

「彼女ほど無害で善意に満ちた献身的な存在でも、同志ザイロには金銭への欲求や悪意を持って絵を描いたように見えてしまうんだね」

 ライノーは少し逡巡する間をとり、得心したように頷いた。

「うん。僕にとっても興味深い話だ。どうしてそう思ったのか聞いても?」
「それはーー」

 根拠なら、たくさんあるはずだ。
 ザイロは初対面以降の会話を辿っていく。ナマエはセネルヴァの死んだ絵を丹精込めて描いたとのたまったり、セネルヴァがそう望んだと虚言を漏らしたクズで、狂人であるはずだった。
 そこまでの記憶を、あげればいい。
 ただ、ザイロはそう反論できずにいた。

 ナマエはいつしか確かにザイロと関わったーーザイロに助けられた人間だと判明したのだ。
 戦いで荒れ果てた故郷に復興に励んでいたことも、知った。それが金銭や保身に目が眩んだ行動ではなく、純粋にザイロの部下のなしたことを拾い上げて、大事にするためのものだった。
 人を助けるために、重罪人となったり、他人の代わりとなって懲罰房に入ったことも知ってしまった。
 ザイロはその目的は表向きで、実際には自分やライノーたちに媚びを売るためだとか、そう一蹴しきれずにいた。

 あの妙なのんびりとした顔を見ていると、本当にナマエはそのような……献身的な人間であると信じつつある自分がいた。いや、もしかすれば、部下たちが守りたかった者がすこしでも善人であれと無自覚のうちに願ってしまったのかもしれない。きっと、そうなのだろう。

 遠方で怒号と角笛の音が轟いた。戦端が開かれたらしい。
 ライノーは音がした方向におもむろに首を巡らせた。一応、命のやりとりが始まるのだが、相変わらず緊張感のかけらもない態度だ。
 ザイロは呆れたが、元冒険者ということもあり、場慣れしているのだろうと己を納得させた。

「ああ、始まったみたいだね。同志ザイロ、君の答えをいつか聞かせて欲しい」
「生きてたらな」
「うん。そうだね。でもきっと君と僕なら大丈夫だよ」

 ライノーはうっそりと目を細めた。相変わらずそこの知れない男だった。

  

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