◆4

 まさか自分が同僚ーー勇者の見舞いをすることになるとは思わなかった。
 ザイロが病院に入れば周囲の兵士から奇異的な目が注がれる。
 無理もない。首に一周して刻まれた枷の聖印は、罪人の証である。もしかすれば塀の向こうでなく、こうして堂々と歩いていたり、死刑服を着てないことに疑問すら持たれるかもしれない。
 こうした視線を受け止めながらも、ザイロは進まなければならなかった。

 ザイロは病室の扉を前にして、いっそ帰ってしまいたいきもちがわいてくる。
 自ら望んでこの部屋の向こうの主人に会いに来たわけではなかった。演習が終わった時にきちんとお話ししたいから来てほしいと、頼まれたのだ。

 嫌な予感がする。
 しかも今日のザイロに限っては、その話を平静を保ちながら聞く必要がある。
 ここに来る際に陛下から面倒な任務を授かっていたのだ。行くのを億劫がって自室に籠りかけていた己を少し恨むが、もう遅い。
 お忙しい陛下は、総帥であるザイロにナマエへ労いの言葉と褒美を渡すようと言い渡したのだった。
 加えて、手が空いた頃ーー今頃自室で大層な“執務”をしているーーには、王自ら見舞いにもくると仰られていた。
 その時にナマエの怪我が増えていたりしたら暴漢だ泥棒だと疑い、ザイロが護衛の任を与える事態になりかねない。陛下の中ではナマエは国が守護するべき人民の一人であるのだ。

 荷物だけ渡してさっさと帰るのも良い案かと思えたが、避けたほうがいいだろう。
 あの子供はしつこい。何度殴っても罵ってもザイロ様と懐いてきたことを踏まえると、ザイロがこうして聞きにこなければ、また請われることはわかっていた。
 やはり、腹を括るしかない。

 現れたザイロの姿に、やはり病室にいた子供ーーナマエが歓声をあげた。

「ザイロ様!きてくれたんですね」

 ひらひらと振る片手には包帯が巻かれていた。病衣の隙間にも肩を覆う包帯が覗く。
 ザイロがため息をついた。

「来ないとずっと言い続けるつもりだっただろ」
「それは、そうですね……!」

 否定も誤魔化すことすらもせずに、当然のことだとばかりにナマエは何度か頷いた。

 ふと動きを止めたナマエが、顔を上げてザイロをまじまじと見つめてくる。そのつるりとした瞳に、感情が読めずザイロは僅かに怯んだ。気味が悪い。気をのまれかけたことが悟られないように、傍らの椅子に腰掛けて紙袋をナマエに押し付けた。

「先に伝言と土産を渡す。陛下から『大義であった』、とのおおせだ」

 ナマエは予想通り目を見開いて、笑顔を浮かべた。褒め言葉一つでいちいち大袈裟なやつだった。

「わぁっ!本当ですか?陛下にそんなこと言っていただけるなんて嬉しいです!」
「俺からじゃないからな。本人に言ってやれよ」
「はい。覚えておきます。たいぎ、たいぎですか……」

 口元の緩みが止まらないナマエは、陛下の言葉をたどたどしく反芻していた。大義の意味がわかっているのか少し怪しいが、きっといい言葉だろうと疑ってないようだ。

「それで、話ってのはなんだ?」

 ザイロは発した。感情を透明にして、努めて声色が冷めたものにした。ナマエの話題には見当がついており、場合によっては爆発しかねないと我がことながら思ったのだ。

「改めてお礼を言いたかったんです」
「そりゃあ、殴ったこととか罵ったこととかか?」
「そ、それは、きょういくてき?指導として、ありがたいのですが……別のことです」

 嘘だろこいつ。思わぬ本音にザイロは言葉を失う。
 ナマエはザイロの沈黙を先を促しているのだと解釈したらしい、再び口を開いた。

「ザイロ様は、ーーという村を覚えていますか?」
「それは……」
「私の故郷です」

 ナマエの紡いだ地名に、ザイロは頭の中を揺り動かされる感覚になる。
 そこは……遥か北の、雪深い谷を通らなくてはいけない村だった。

「知って……る」

 言葉を詰まらせながらも、ザイロは認めた。
 ナマエが嬉しそうに頬を蒸気させた。

「覚えていますか!?えへへ、嬉しいな。もうダメだっていう時に、ザイロ様たちが助けてくれたんですよ」
「ちがう。助けられたが、それはお前たちが耐えていたからだよ」

 さもザイロの輝かしい功績だと語ろうとするナマエに、ザイロはほとんど反射的に否定していた。

 あの状況を、ザイロはどう表現すればいいのかわからない。
 北方といえば美しい白銀世界を彷彿とさせるだろう。しかし、魔王現象が現れたと連絡を受けてからザイロがたどり着いたその村は、灰と黒と赤の、蹂躙し尽くされた後だった。

 村の周囲を囲む三層の柵は肉片がこびりついていたり、折れていたものを無理矢理補強していた。
 作りかけの堀を見た時には生存者がいないと諦めかけた。
 さらに進めば家が壊れてただの瓦礫と化していたり、風を凌ごうとした屋根のある家には子供だったり、体が震えての何処かしらを欠損した住人や老人が詰め込まれていたのを見た。
 ザイロを迎えた住人たちは歓待こそしてくれたが、連日の異形の強襲に顔には生気がなかった。
 あの村が一丸となって日々の蹂躙を凌いでいた。弱い奴らを守りながら、自分を身を削り、ザイロたちが来るまでに必死に繋いでいたのだ。全員で得た命である。

「そうですけど魔王現象をたおしてくれないと、結局みんな死んでいましたよ!あのザイロ様とセネルヴァの戦い!私はよく覚えていますからね!」

 短い両手をばたばたと動かして宙で大きく半円を描いた。

「雪山とセネルヴァの出した建物をザイロ様がどっかーん!てして、倒しちゃうところ!」

 ナマエが楽しげに話しているおかげで、どうにもザイロがただ自然と建造物を破壊しただけのように聞こえる。だが、実際には魔王現象を雪崩とセネルヴァの喚んだ柵を利用して倒したのだった。
 あの冷たさを忘れて久しい。もうザイロが勇者刑に処される時よりずっと前の話だ。

「最近ようやくじゃがいもが取れるようになったらしいです!」
「は?お前、あの村にずっと住んでいたのか」
「隣の村に行くことも考えましたが、受け入れられる人数でなかったり、寝たきりの人もいましたから……それに、ザイロ様たちが守ってくれましたから」
「なんで……」

 信じられない。
 ザイロは思わずまじまじとナマエを見つめた。要領の得ないように、ナマエは薄い肩をすくませて、視線を右往左往させる。

 ザイロの口を先ほどから軋ませていたのは、あの村のその後の凄惨な光景だ。
 雪崩の衝撃に共有の畑も牧場もほとんど潰れていたし、交通のために整えられていた道だって二頭立ての馬車すら一台通れるかも怪しくなっていた。
 次の任務をすぐに言い渡されたザイロたちは、ろくに手伝えないままその場を後にしていた。
 それが心残りだったのだ。きっと多少マシな環境であろう周囲の村に住み着いただろうと己を納得させていたが、そうではなかったらしい。

「ザイロ様もセネルヴァも、兵士さんたちも、私たちのことと土地のことをとっても気にしてくださりましたよね」
「だけどめちゃくちゃにして、帰っただろ」
「そうですけど、めちゃくちゃにする前に何度も確認してくれました。それに!」

 ナマエは膝立ちになり、ザイロに詰め寄る。ベッドが軋み、ナマエの息を吸い込む音が耳朶をうつ。

「終わった後には兵士さん達も、私たちのことをとっても心配しながら帰っているのを、みんなで見ていました。だから、今度来た時には綺麗な姿にして、安心させたかったんです。ほら!あなた方の守った光景です!って……」

 水色の瞳に、ザイロはやはり怯んだ。眼差しの底に、ある夏の水面のような強い輝き。ザイロは今度こそその真意を見た。
 羨望、だ。
 ザイロ様とわざわざ呼称するのは、そのせいなのかもしれない。 

「そこまで思われることはしていない。俺たちは、ただ任務で」
「してくれました!覚えてますか?魔王現象が迫ってるのに、私たちを先に別の村に移送することだって、考えてくれましたよね」
「戦略上、一般人が居たら邪魔なだけだった」
「優しさもありましたよ。だから、きちんと助けてもらったお礼を言わせてください」
「いや……」

 ザイロは自分の影から英雄のような姿を見出されるのを拒んだ。自分達は軍人としての義務と責任で魔王現象を討っただけだ。その前も、その後も、村人は自分達の力で生きてきた。その功労より勝るものは無い。
 ナマエはむっと頬を膨らませると、機敏な動きに陛下から貰った紙袋をひっくり返した。
 軽やかな音を立てて、新しい筆や小皿、小瓶に詰め込まれた絵の具が転がり出る。

 ナマエは筆をほぐし、青色の小瓶に突っ込んだ。
 たっぷりとした雫を含んだ毛先を、そのまま膝下のベッドに押しつける。白いシーツに青い線が一本引かれる。

「お、おい!」

 ザイロが止めようとナマエの肩を掴みかけるが、包帯の存在を思い出し、引っ込めた。多少物音が立てたが、ナマエは頭を突っ伏したままでいつもよりも滑らかな動作で筆を動かしている。ザイロが近づいた頃すら気がついていないのかもしれない。
 色の濃淡によりまもなく現れた人々の輪郭に、ザイロは視線を奪われた。

「名前は、覚えていないんですけど」

 ナマエが一つ描いてみせたのは、瓦礫から上半身を出し、苦悶の顔を浮かべる女性。そして女性と似た民族風の格好の男が傅いて彼女になにやら声をかけていたり、数人の軍服の男が瓦礫と馬を紐で繋いでいる様子を描いていた。
 軍服の男たちは、全員知っている顔だった。名前が思い浮かぶ。

「ダルズ、トートニ、イアルガ……」
「ダルズさん、トートニさん、イアルガさん!瓦礫に挟まっちゃったマリアさんを助けてくれたんですよ」

 ナマエがまた描く。再び汚されるシーツを眺めても、ザイロは止める気がなかった。
 今度は赤子を抱いた軍人だ。また同じ民族服の、赤子と同じ毛並みの男の腕を死に物狂いで引いていた。このかぼちゃ顔……は、

「キナヴィン」

 ザイロはつぶやいた。絵では何を言っているかわからないが、この男なら「子持ちの夫が死ぬな」とでも叱咤を飛ばしているのだろう。周囲の部下は、いつも通りだと言わんばかりに破顔していた。
 名をあげればナマエがまた反芻をして、礼を言う。
 言い終えるがいなや、ナマエは四つん這いになり、淀みなく描きはじめる。ザイロはまた部下の名を一通り言うことになる。何度も何度も、シーツの端から端まで絵で埋められていき、とうとうザイロが喉の渇きを自覚するまで続いた。

「どうですか。見返りも求めずに、みなさんはこんなに助けてくれたんですよ」

 ナマエの額に玉のような汗が転がった。

「そんなみなさんだからこそ、私たちはきちんと報いたかった。みなさんがしてくれたことに意味をもたせたかった。だから、ザイロ様はきちんとお礼を受けてください」
「……わかった」

 ザイロは、その気持ちを受け取ることにした。自分でなく、彼らの代わりとして。
 死んでしまった彼らが守ろうとしていたものを、まんまと生き残った自分が踏み躙るわけにはいかなかった。

「えへへ、あの時はありがとうございました」

 絵の具に汚れた顔は、ただ眩しい。

 ザイロは、ナマエの手を取ると、汚れてしまっていた包帯をといた。代えなくてはいけない。

「ザイロ様、汚れますよ?」

 白い手の甲を侵食する赤い隆起に、ザイロは目をすがめた。
 この傷を与えた兵士の絶叫が頭の中で反響する。
 ーー女神殺し教唆。

「お前が本当に、あの絵を……描いたんだな」
「はい。描きましたよ?それが……なにか?」
「いや、……いいよ。それよりも、シーツも代えないとな」

 きっとこのシーツの有様や、ナマエの包帯が汚れてしまったことに詰問されるだろうが、そのほうがよかった。
 いまはただ頭を冷やしたかった。

  

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