◆3
合同戦闘訓練の日は、嫌味なほど晴れ渡っていた。森林の土からの熱気にザイロは気だるさを覚える。
緑したたる森を背景にしたザイロたちの服装はみずみずしい果実かのような鮮やかな赤と白の格好をしていた。敵性部隊だと言っているのに、なぜこうも目立つ格好をさせたがるのだろうか。
半分、上からの嫌がらせなのかもしれない。なんせ懲罰勇者は国家反逆者のしゅうだんなのだから。
ザイロは形ばかりに歩兵用の射程距離が短い雷杖と、粗末な棒を点検する。とっとと陛下に預けて改造してもらったほうがいいだろう。
「同志ナマエはこの演習は初めてだったよね」
「はい!」
砲兵、ライノーが落ち着いた様子でナマエに声をかけていた。この間ナマエとは思想が合うのだと、聞きたくもないことを愉快に話してきた。
ナマエは自信がないように首を傾げる。
「あの旗を取れば……いいんですよね?」
「そう。それでね、僕たち九人は、あの大勢で競わないといけないんだ。しかし僕たちを異形だとするのはいささか疑問だけどね。力や人数差でいえば、本来なら反対の方が近いし……」
「ええっと?」
「ああ、ごめんね。勝利するためには、僕たちも役割分担をしなければならないんだ。自分がしなければならない範囲が決まっていれば、効率がいいし、慌てないで済むだろう?」
「なるほど!」
ライノーが教師のように噛み砕いた言葉で説明すれば、ナマエは得心がいったようで、力強く頷いた。
「私は何をすればいいんでしょう?」
ナマエの疑問に、ライノーは沈黙で返した。
ライノーが広い肩をよじって、ザイロに視線を投げた。瞳こそ無感情であるが、何が言いたいのかはわかる。
どうする?きみたちは仲が悪いはずだけど、と。
あの食堂の出来事以来、最悪な日々を送るはめになっていた。ザイロにとっても、ナマエにとっても、そして他の勇者にとってもそうだろう。
ザイロがナマエから言葉を投げかけるたびに殺意をみなぎらせていたし、椅子やら皿やらを何度か壊した。同じぐらいには何度かナマエを殴りつけたし、悪罵もした。
周囲がザイロの行為を止めることこそなかったが、その都度吐きそうな顔になっていたのは見えていた。しかしザイロの怒りは膨らむ一方であったし、あの小さな頭の脳みそがいかに腐っているかを見ようとしなかっただけ感謝して欲しいくらいだ。
ライノーですらも不仲を察しているーーあるいは誰かがザイロとナマエを直接会話させるなと根気強く教えたのかもしれないがーーぐらいにはわかりやすく、ザイロは嫌悪感を示していた。
ザイロはライノーの気遣いに余計だと苛つきもした、同時に己も諌めるようにした。ザイロがナマエに対していかなる感情を抱いていようが、今は軍務中である。
勝てばゆっくりとした休日を得られるし、向こうの部隊から舐められない。そう思えば、多少はやってやろうという気にもなる。
ザイロはすでに作業を進めていた陛下を見やった。
「ナマエは工兵だったな。陛下、手伝いは必要か?」
「まずは貴様らの旧型雷杖の調整が最優先だ。余裕があれば罠を張るのもいいが……それは余の手が空いてから、の話になる。それゆえ民草には他の仕事を与えておけ」
陛下は突っぱねるように言うと、再び彫刻刀を手際よく動かす。お邪魔をしてしまったようだ。
「ライノー、お前一緒の任務になったことがあるって言ってたよな?こいつは何ができる」
「うーん、できることといえば聖印兵器の扱いと……そうだね、強いていえば見ることが得意だよ」
ライノーは自分の目を指差した。年季の入ったワインのように濃い赤色の眼差しが動く。
「彼女は目がいいんだ。同志ドッタくらいの測量力はないけど、観察力は優れてるんじゃないかな?」
「そんなにいいのか」
ドッタ並み、と言われるとザイロは素直に驚いた。ザイロたちからすればもはや点にしか見えない生き物の姿形をはっきりと見てとれるあの男と同程度なら、多少つかえるだろう。
「そうだよ。だから絵を描くのも上手なんだろうね。例えば」
絵、という単語にザイロが眉間の皺を深めたのを無視して、ライノーは懐から四つ折りにした羊皮紙を取り出し、広げてみせた。
精密な戦場の絵ーー砲兵隊の列が砲撃をしている瞬間だった。
「以前の戦場を描いたものだよ。砲兵の人数も体勢も、向こうで倒れている人数も、正確なんだ。彼女は記憶力も随分と良いんだね。頼もしいかぎりだと思わないかい」
同意を求めるライノーに、ザイロは言葉に窮した。その素晴らしい絵に対する感動で、とかではなく、苛立ちがどっと増してきたのだった。
ライノーの繊細な顔が、微笑みの形を作る。
ザイロは大きく、ゆっくりと深呼吸をしてからナマエの役割を与えることにした。
『ジェイスさんがいる場所に小隊が向かっています。挟まれそうです』
『旗の近くに待機していた兵士さんから、二個小隊が編成されて北上しています』
『砲兵隊の準備が整ってきました』
そうしろと指導でも受けたのか、ナマエが聖印通信でははっきりと淡々とした口調で報告をしていく。
勇者部隊と相手の部隊の中間地点で観測をするように命じた時にはどうなるかと思ったが、意外と手慣れていた。
ザイロは木の上で地図を広げて、ナマエの報告のままに記入する。ライノーの言った通り、あれの目だけは確かなようだ。この行為に意味はわずかにある。
勇者部隊には槍術や殺人術にさえのある人間が多いため、不測の事態には耐えられるだろうが、挟撃されては手数の問題でもしかすれば押される心配があるため、なるべくリスクは低くするに限る。
それに旗をとるタイミングだってザイロが図れた。
『ザイロ様』
「お前、その様っていうの止めろよな。気持ち悪いよ」
『えっ!?す、すみません。でもザイロ様は憧れの人なので』
『そうですよ兄貴!一度はナマエちゃんに落とされたんでしょ?』
「殺すぞ」
「うひぃ」
聖印通信でも脅しのニュアンスが伝わったのか、ツァーヴはうめいた。
『一個小隊がザイロ様の元に向かっています』
「わかった」
報告を受けずとも、ザイロはすでに具足と鎧の金属音の気配を感じていた。が、一応ザイロが今から交戦すると他の隊員に示す必要もあったため返事をしておく。
先頭の隊長らしき人間が通信盤でのやり取りを終えた頃合いで、枝の足場を蹴り、ザイロは宙に躍り出た。
ザイロの姿を認めた一人の兵士が叫んだ。
「ザイロ・フォルバーツ!ーー女神殺し!」
「いちいち囚人の名前を覚えてるのか?ご苦労なことだ」
粗末な棒を装備した、その女神殺しなる罪人と三合と打ち合えた勇猛な兵士はいなかった。
ザイロが動きを止めたのは、やはり例の子供からの通信だった。
『すいませーん!』
開口一番の元気な謝罪にまともに耳を傾けるのはナマエを民草として扱う陛下と、この場の指揮官のザイロぐらいだろう。
「どうした」
『見つかりました!私が!場所を移動します』
通信越しに乾いた狙撃音が聞こえる。意外と危機迫っている状況らしい。
『そういえばオレたちの戦闘不能条件なんでしたっけ』
『ああ、なんでしたっけ。旗を取られれば負けですが、個人であれば再起不能までじゃないですか?私たちから降参を申し出てもやめてくれそうにありませんし』
ツァーヴとベネティムの雑談に異議を挟むものはいなかった。
ベネティムのいうことは誇張でもなんでもない。
この演習においては、ザイロたちは、殺してもいい的とされているのだ。
ザイロたちが正規兵を殺すか害すれば罰せられるが、反対の権利をザイロたちは持たない。
相手によっては全身の骨を砕かれたって文句は言えないのである。
もしかすれば憂さ晴らしにでも使われるかもしれないし、罪状によっては私刑に近い形の暴力を受けるだろう。勇者は軍からすればただの備品だし、嫌悪の対象なのだから。
『え?ナマエちゃん可哀想だなぁ。今誰か近くにいます?オレが行くと多分一気に詰められるんで離れられないっス』
『ねえ!ぼ、僕っ、僕が……』
「ドッタ黙ってろ」
『あの!どこに行ったら良いですか!?皆さんから離れるように動いたほうがいいですか!?』
ナマエの言葉に、ザイロは手元の地図にをくしゃりと潰しかけた。
助けを求めるのではなくあくまで自分の役割に従事する気なようだった。フリなのだろうか。そういう態度も気に入らない。
「俺が合流するから逃げた方向を伝えろ」
別にナマエを助けるのが目的ではない。
ナマエの目は多少使えるし、ザイロの明日の休みのために動く必要があった。大酒保で購入した本をまだ読み切れていないし、妙な任務を横流しされないためでもある。それだけだ。
怒りの叫びが駆けるザイロの耳を打つ。
「ナマエ・クーアバレス!女神殺し教唆!」
一人の兵士が剣を抜きはなち、ナマエが反射的に受けた。やはりザイロたちと同じ、あの棒っ切れで。
飛び込むタイミングを図るべく、木陰に紛れ込む。何度か打ち合う様子をしばし眺めたザイロは確信する。
ナマエはあの兵士に遊ばれていた。あの兜から露出された嘲笑うような口元を見ればわかる。わざとナマエと刃を交わすように全打ち、ナマエのあげる小さな悲鳴と焦りを浮かべる表情を楽しんでいるのだ。
体格にも装備にも大きく差があった。兵士のしたたかな斬撃に、ナマエが根つきて尻餅をつく。
「いっ!?」
次に剣のひびきが森を裂いた時には、鮮血が木々に向かって弧を描き、ナマエの唯一の装備品であった棒は弾き飛ばされた。
草の根まで転がっていったそれを、慌ててとり行こうと這ったナマエの手は兵士が具足で先んじて踏み潰された。
乾いた地面が、ナマエの流血と低い喘ぎ声はあますことなく吸っていく。
「聞け、この信仰心と愛国心のない慮外者めが」
兵士は刃先をナマエの喉に横たえた。ナマエは緊張が走った水色の眼差しで、見つめ返す。
「何故、《女神》セネルヴァのあのような絵を描いた」
「何故?セネルヴァが、望んだからです」
兵士の剣にわずかに動揺で揺れた。いや、ザイロと同じく怒りがそうさせたのかもしれない。
「《女神》が死を望むわけがないだろう!ましてやあのような落ちぶれた痴態を晒すことも本意ではないだろう!」
「望んでいます!話しました!私は一度、セネルヴァと……ぅあ」
兵士に焚き付けられたかのようにナマエが叫んだが、突然うめきごえがあがる。
兵士の刃が肩口に滑らされた痛みによるものだ。鮮やかな赤と白の服に鈍い赤色が波紋のように広がっていく。
言いたいことを言い終えて、ナマエの苦悶に歪む口元を兵士は満足そうに見下ろした。
それそろ体の端から切り刻まれそうだ。
「もういいか?」
ザイロはようやく姿を表すことにした。
聖印通信でタツヤが旗をとったらしいという報告を受けながら、ザイロはナマエの止血を続けた。
「お前、やっぱりおかしいよな」
「なにがですか?」
「あの絵のことだよ。あいつ、セネルヴァが望んだなんて……嘘を言うなんてな。描いたのは本当らしいけど」
ザイロはライノーの見せた絵を思い出す。あの技量であれば、セネルヴァのあの絵を描いた張本人であるらしいのは疑いようもなかった。
「まて」
セネルヴァのまつ毛の数すら合っていそうなあの絵に対し、ザイロに一つの疑問が湧き上がる。
「お前はセネルヴァと、見た……というか、俺たちと本当に会ったことがあるのか?」
「あ、ります。ありますよ!あの、私、ザイロ様に昔村を救っていただいたんですから!そ、それで、ザイロ様?あの……」
ナマエからの頼まれごとに、ザイロはうめきそうになった。
せっかく掴んだ休日を、どうも無駄にすることになりそうだ。
ザイロは不意に強張った口元をほぐし、あの古本も読めそうにはないことを内心で嘆いた。せめて積もった塵だけでも掃除してやろう。