◆1

 陽が高く登っていた。晴明な天を貫くようにそびえ立つ尖塔に、当時第五聖騎士団の団長であるザイロは嘆息した。
 大きな聖堂……だろうか?贅を凝らしたこの世界のものよりも均整がとれており、窓のガラス細工が鮮やかで、美しい。背景には雪解け水で浸った草原が輝きをもたらしており、一層そう思えた。
 よくよく観察してみれば、この骨の組み方は北方の建築様式と似ている気もする。

「綺麗だな」

 気分良く詩が詠めそうではないか。

 この荘厳な建築物を召喚するという御業をなした城砦の《女神》セネルヴァに、ザイロはつぶやいた。肯定の言葉を待っていたが、意外なことに腕の中の相棒は整った眉を顰めた。

「そうかなぁ」
「あ?なんだよ」

 この《女神》はもしかすれば《女神》の中でもかなり捻くれている部類ではないかとザイロは最近疑いを持つつある。リュフェンの《女神》なぞもっと快活そうに振る舞うし、自分の力を見せたがる。

「失礼なこと考えてない?わかるんだけど」
「まさか。《女神》様はご謙遜なさるなと思ってるだけだよ。ほら、行くぞ」

 ザイロは窓辺に足をかけながら飛翔印サカラを起動して、塔の上まで向かう。少しの浮遊感の間、相棒は慣れた様子で口を固く結び、ザイロの軍服を握っていた。
 腕の力は随分と弱々しい。それに髪は輝き、小さな体はぱちぱちと乾いた音を立てていた。この建造物を喚んだ時点ですでにセネルヴァの力は限界に近かったのだ。
 ただ、ザイロはあえて指摘しなかった。指摘すれども、この《女神》は自分が完璧であるかのように振る舞うのを好む。つまり、自分の弱みは一切認めないのだ。

 こうしたセネルヴァを始めとする《女神》は、大昔に対魔王現象向けに製作された兵器だ。彼女たちの指先は異界への扉を開ける鍵となり、何かを招くのだという。
 聖印兵器を使えば熱がこもるように、生命兵器である女神も力を使用すれば熱がこもってるのだろうか。だとすればこの痺れは排熱のーーザイロは巡りかけた己の思考を諌めた。違う。確かに軍部から兵器として支給され、運用を任された立場であるが、この意思のある兵器を物のように思い、扱うのは良くない。
 軍人としての建前はあるが、少なくとも人として品性の疑う行為だとザイロは嫌悪を覚える。

「ねえ!」

 セネルヴァが先ほどよりも強くザイロの軍服を引っ張った。声色も心なしか嬉しそうに。

「ザイロ、そろそろじゃないか?」

 セネルヴァが眼下を白い指でさした。指先には下から草原さえも見えないような濃い霧が現れる。霧が建造物にまとわりつき、草原を這うようにゆっくりと流れていく。
 副官のデクスターが守備良くやってくれているらしいとザイロは確信する。と、すれば工兵部隊の仕事も終わったのか。
 通信盤からがなり声が上がる。

『ダルズから団長!応答願います』
「おう、来たか。通信の感度は最悪だが、見えてる」
『準備はいいですか?』
「勿論。悪いが今回の功績ももらうからな」
『ははっ!そりゃあ最高ですね!』

 騎兵長のダルズからだ。言葉の間に波の音のような唸りが入り、数々の行軍を乗り越えた通信盤の限界を感じる。しかし問題はない。地軸を揺るがすほどの馬蹄の音に気づかない間抜けはいない。
 見下ろせば濃い霧の向こうに山のように大きな影と、それを追い込む影が、見えていた。一見して大層な墨絵のようである。実際には弱らせた魔王現象を、ザイロの擁する騎兵隊が追い込んでいるのであるが。
 怒声と地の唸りの中で、新たな轟音が加わった。魔王現象と合流するように影の群れがこちらに流れ込もうとしている。大小、形態がさまざまなそれらは異形の群れだろう。親を守るのは当然の行いだ。

 角笛の音が霧を割くように吹き上がった。同時に、騎兵隊たちが一斉に馬首を反転させる。
 始まる。ザイロは高鳴る鼓動を諌めるよう拳を握りなおす。相棒に一声かける前に真面目な顔を作ったのだが、それが霧散する。

「セネルヴァ、フードを……何だ?」
「ん」
「ん、て、お前な」
「いいじゃないか」

 腕に抱いたままのセネルヴァは、ザイロに向かって顎を上げる。無言の視線にザイロはそんな場合ではないと、突っぱねてしまいたい。

「フードぐらい自分であげればいいだろ?」
「できなーい」

 疲れ過ぎてそれさえも億劫になったのだろうか。
 ザイロはセネルヴァのひさしとなるように、ザイロはフードを被せてやった。これから飛来するであろう石や砂から守るためだ。
 セネルヴァは機嫌が良さそうにまなじりを下げている。

 そのとき角笛と異なるものーー爆破音がザイロの耳を打った。

 工兵部隊の罠に獲物がかかったらしい。手応えを感じると同時に、ザイロはすぐさま跳躍し、体を左へ開く。聖印を足に浸透させる時間は十分だった。
 体を宙で一回転し、勢いを乗せた右足でその荘厳なる建造物へ蹴りを入れる。
 腕の中でセネルヴァが歓声を上げるが、すぐに破壊され、崩れ落ちていく建造物だったものの音によりかき消される。

 爆破印カルジッサの効果は絶大だ。攻城兵器に匹敵するほどの破壊力を有する。圧倒的な石量を前にして、巨大な影はなすすべもなく押しつぶされていった。
 やがて訪れる沈黙に、セネルヴァが気の抜けた声で快哉を叫んだ。

「やったーーー!あっ!おちるー!」

 足場を失い、ザイロともども落下しているというのにこの《女神》は相変わらずだ。

「ザイロ!」
「あ、なんだ?」
「足場は必要だろう?任せなよ。今に祝福を」
「いや」

 セネルヴァの期待に満ちた炎の目が揺らぐ。ちがう、お前が要らないという話ではない。
 地上には統率を失った異形どもが右往左往としているのだ。足場を作っても群がられるだけだ。それに、この《女神》は鏡でも見たほうがいい。顔の青白さは病的だ。
 ザイロは通信盤を口元に寄せた。

「おい!砲兵隊!見えてるよな!」

 足場を整えるのはザイロの部隊では砲兵か、狙撃兵らの仕事だった。

『見えてます。団長たちはそのまま空の旅をお楽しみくださいね』
『セネルヴァ様お元気ですかー!』
「あはは!元気元気!」
「後でデクスターに言葉遣いの指導をしてもらわないといけないな」
『勘弁してくださいよ!』

 霧が流れていき、異形たちの姿が現れた。腕の中でセネルヴァが肩を跳ねさせたので、ザイロはにやりと笑ってみせる。

「俺の部隊を信用してないのか」
「まさか!」
「だよな」

 視界が眩い光に包まれた。ついで何度か規律正しい連弾のような砲撃音。

 懐かしの地面に降り立つ。草原は異形の血肉で汚れており、ブーツの底は泥飛沫で汚れてしまう。
 ザイロはセネルヴァのフードを深く被せた。煙には血の生臭さと、焦げた臭いが混じっている。ザイロの意図を知ってか知らずか、セネルヴァは両腕を跳ねるように上げた。

「倒したようだね!」
「ああ、一度デクスターたちと合流する。被害状況と散った異形たちの動向を確認しないとな」
「う、うん!そうだね……うん」

 セネルヴァは少し口先を尖らせて俯いてしまった。無理もない。戦いは終われども、気分がいい光景ではない。
 
 軍営を目指すザイロに追い縋るような馬蹄の音が近づいた。

「団長!お疲れ様です!どわっ」

 ザイロの進行を防ぐように駆けてきた馬は、一度竿立ちとなりいななきをあげた。相当興奮しているらしい。ザイロはセネルヴァを下ろすと、轡を持ち、馬を引き寄せた。
 木の幹のように太くまっすぐな首を何度か叩いた。興奮による鼻息は多少マシになってくる。

「ダルズ。通信盤の調子はどうだ?」
「全くもって最悪ですね!新しいものを申請したほうがいいかと」
「そうか。被害状況は?」
「大きな怪我はありません。ただ疲労がおおきいですね。他の部隊も私もデクスター殿に通信を入れているので全体の状況は直接聞いたほうが早いです」

 手綱で道程を促しているうちに鎮まった様子の馬をまた撫でてやる。砂埃にまみれたたてがみは今度ブラッシングをする必要があるようだ。
 ザイロは反対側からの衝撃に、足並みを乱した。セネルヴァがぶつかってきたのである。見れば、思い切りその頬を膨らませていた。

「ザーイーロー」
「なんだよ」
「なんだよ。じゃないよ!」
「あ、団長!」

 馬の次に相棒を宥める前に、今度は別の兵士から声がかかる。砲兵部隊の部隊長キナヴィン、大きな鼻とかぼちゃ顔が愛嬌のある男だった。

「大丈夫でしたか?」
「勿論。完璧なタイミングの砲撃だった。ただ《女神》の機嫌は損ねたらしいぞ」
「えっ!?そりゃ申し訳ないですね」

 太い眉が下がると、今度は哀愁が漂う。本気で申し訳なさそうな顔だ。セネルヴァは頭を振った。

「あ!違うんだよ!きみたちのせいじゃないんだから」
「だ、そうだ。よかったな」
「はい、全くですね。《女神》様に迷惑をかけたとなれば、安心して休暇にも入れません」

 休暇、と聞いてザイロはようやくこの非日常の終わりを悟った。
 北から中央に戻るまでに何度か魔王現象と交戦した第五聖騎士団にはまとまった休暇を与えられる予定なのだ。
 キナヴィンは黒く薄汚れた鎧の端を撫でながら、朗らかに笑った。

「団長は何かする予定あるんですか?」
「あぁ、マスティボルト家に顔を出す。年末は帰れなかったから、挨拶しないとな」
「麗しの婚約者殿も喜びますよ」

 ザイロは婚約者のフレンシィの面差しを思い出し、首を振る。あの冷ややかな眼差しが和らぐ姿がどうにも想像できなかった。
 いつも通り、帰郷と手紙の返事の遅さを三日間程責められるのだろう。

「お前は何するんだ」
「私は帰ったら家族と過ごしますよ。妻のかぼちゃのスープが恋しい」
「よっぽど飯がうまいんだな」
「そりゃね。団長もいつかわかります」
「何の話をしてるんだ?……ああ、温泉とかもいいな」

 終わったと思えば一層疲労感が増す。どうやらキナヴィンも同じらしく、溜息のような同意の言葉とともに何度か頷いた。
 軍営が近づくにつれ、とある男の影が現れた。今回の任務の功労者、副官のデクスターだ。

「団長」
「よお、デクスター。守備よくやってくれたな」

 ザイロの慰労の言葉に、デクスターは折り目正しい一礼で返した。愛想笑いひとつもない生真面目さが、この男の長所なのだろう。
 デクスターの眉間の皺がさらに深まる。その場にいる《女神》以外の背筋が、自然と伸びた。

「ダルズ騎兵長。周辺地域の被害状況をまとめておいてくれ。馬の興奮を抑えるための散歩だと思えば楽なものだ」
「もちろん」
「キナヴィン、狙撃兵長とともに装備の総点検と引き上げる準備を。ダルズから残党の報告が回ってきたら向かえ。それと、マシなほうの通信盤を貸してやれ」
「はい」
「団長はこちらに」

 皮肉まじりに、だが淀みなく告げられると、思わずザイロも「はい」だの「もちろん」だのと答えそうになる。命令通り散っていく兵長らを横目に、ザイロはデクスターに寄っていく。
 簡単な被害状況だの上の機嫌がなんだのといった報告を受ける気であったが、デクスターの視線はザイロの背中に投げられた。深い溜息には幻滅の色がある。……俺に?

「団長は、いつものどうぞ。あなたの《女神》様は機嫌を著しく損なっておられていますぞ」
「え」
「終わったらご連絡ください」

 強引に会話を打ち切ったデクスターは、体を翻し、速やかにその場を辞す。周囲の兵士にきびきびと命令を飛ばす姿は自分よりも団長らしい。
 苦笑しながらも、ザイロがあの言葉の意味を知るのは自分の背中にいる、己の相棒の顔を見てからだ。

「なんでそんなに怒ってるんだよ」
「あのねえザイロ。ぼくの騎士。きみはぼくの寛容さを、今一度感謝するべきではないかな?」
「なんだよ」

 セネルヴァは肩口まで伸びた髪を指先で遊ぶ。

「きみが、相棒であるぼくよりも先に!馬とか通信盤とか、遠方の婚約者様を気にかけたことさ!」
「わかった、悪かったよ」

 噛み付かんばかりの勢いで迫る《女神》を、ザイロは片手で制した。

「いいよ!きみの気の多さは知ってるからね」
「悪かった。あー……、もう少し、優先事項を改める」

 まだ不満の滲む顔をしながら、セネルヴァはそれでも頷く。許してやろうと言う態度だ。

「……まあ、きみにしては及第点か」
「セネルヴァ、それで……気が利かない騎士の汚名をそそぐ機会は与えてくれるのか?」
「ふふっ!もちろん。言っただろう、ぼくは海の如く寛容な心を持つ《女神》なのだからね」
「そりゃありがたい」

 セネルヴァと向かい合う。
 調子のいいことを言ったり、怒ったりしたものの、やはり疲労の色は顔から拭えていなかった。
 ザイロが落下時に巻き込まれた土塊で、随分と汚れてしまったフードをおろせばほつれのない髪が流れる。小さなつむじに手を乗せて、ザイロは何度か撫でた。

「頑張ったな」

 セネルヴァは、頬を一気に赤く染め上げた。

「……へへっ、もっと褒めてもいいよ!褒めるべきところ、あるよねっ!もちろん!」
「ある、たくさんあるよ」

 ザイロは耐え難い衝動を堪えながらも、セネルヴァに言葉を何度もかけた。自然と奥歯を食い締められる。その衝動を砕くように。

 ただ言葉と形だけの労いに、どうしてそう報われたような様子をするのだろう。加えて、この《女神》はこれ以外のことを求めない。これだけのために、戦って褒められるためだけに生きているのだと言うように見せる。
 褒める言葉をかけるたびに、ザイロの胸中では罪悪感が戦場の屍のように重なっていった。
 兵器とは平和の異物を取り除くための器物なのだから、《女神》が魔王現象を屠ることを目的となるように設計した意図は正しい。

 だが、ザイロの中では割り切れない思いが確かにあった。
 先ほどの部下たちとの会話を回顧する。戦場に勇んで出るのは決して褒められるためではない。妻のスープを飲むとか、温泉に行くだとか、平和な日々を得るために、血肉や煤に埋もれる暮らしをしているのだ。

 セネルヴァが、ザイロの気を引きように裾を引いた。

「ザイロ?もっとない?」

 瞳の中で炎が揺らぐ。人であれば決して持っていない輝きだ。人間にはない美しさを持つ少女の顔からザイロは視線を思わず外そうとしてーーやめた。くそ、逃げるな。
 機嫌よくゆらゆらと体を揺らすセネルヴァが、顔をあげた拍子にぱらぱらとフードから小石や砂が溢れていく。

「セネルヴァ」
「うん」
「ちょうどいいから新しい軍服、新調してもらうか」
「うん!あ!あのね!新しい装飾足してほしいな!前の街で見たんだけどさ」
「わかったわかった」

 積み重なった不快感を和らげるように、提案を出せばセネルヴァからすれば存外嬉しいものだったらしく、身を乗り出す。

「ついでに外套も変えるか」

 ザイロが差したのはセネルヴァのみなれぬフードのついた外套である。軍部からの支給品ではない。
 現在の生存圏で最北端に位置する村での魔王現象討伐後、気づけば肩にかけていた。村人からの好意だそうだ。
 輝く白地に青と緑の糸で図形を組み合わせたような、幾何学的な模様に縁取られたものは最初こそ美しいものだったが、王都までの帰路と軍務によりすっかり見る影もない。
 セネルヴァはフードの裾を頬に寄せた。まるで守るような、あるいは赤子が毛布を引き寄せるかのような仕草だった。

「これはこれでいいよ」
「ああ?よくねえだろ。もう擦り切れてるじゃねえか」

 これではまともに守りきれない。ザイロの反論にセネルヴァは首を振った。セネルヴァは舞台の上にでも立っているかのような口調で発した。

「ふふ。よく戦った証だ。立派なもんだろう?気に入ってるんだ」

 炎の目が細まり、口元が緩む。
 さもこれ以上にないぐらいの美しいものを前にした様子にザイロは呆れた。やはり我が相棒は少し捻くれているのかもしれない。

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