同志山田一二三の淹れてくれたロイヤルミルクティーを一口飲み、ナマエは眉をひそめた。
山田のロイヤルミルクティー(この言い回しに深い意味はない)が特別美味しくない、というわけではなかった。むしろコクがあって美味い、と思う。ナマエは違いがわかる男ではないので、味の評価をかっこよく言っても語尾に「知らんけど」とつけることになるのだ。しょうがないだろう、わんぱくでもいい、たくましく育てと両親に育てられたものなので。
率直に言ってしまうと、ナマエが渋い顔をした原因はこの山田のロイヤルミルクティー(この言い以下略)にはない。
娯楽室の一人用の椅子に腰を据えたナマエは、猫背のままじっとりとテーブルの上を見下ろした。手を顎にあてがってさも考えにふけっているように。視線の先には緑色の盤面上に薄っぺらな白黒の駒が攻防している。白が少し・・・・・・・・・・・。少し、だけ押されている状態だ。
こんなまどろっこしい言い方をしなくてもいいだろう。ナマエは現在あの子供も大人も楽しめる(知らんけど)あのオセロで遊んでいる。対戦相手はーーー
「ゆっくり考えてくださいな」
彼女はお前の椅子ねえからと言わんばかりに向かいの二人用の椅子に優雅に座り、ナマエににこりと微笑んだ。その完成された笑みにナマエはちょっとかっこつけて「今に見ていなされ。本当のオセロってやつをみせてやりますよ」と返した。
彼女はナマエの同級生セレスティア・ルーデンベルク。
大層な名前だが日本人。つまり本名ではないのは確定的に明らかなのである。まあナマエだって本名でなくハンドルネームを名乗ることの方が多いので人のこと言えないのだ(ちなみにナマエはハンドルネームを名状しがたき変なものにして後悔したくちである。セレスはかしこい。)。
そして肩書きは超高校級のギャンブラー。それだけで絶対裏社会であれやこれやしてるよ絶対とナマエからすれば近付き難い存在である。そんな彼女がどうしてナマエめとオセロなんかしてくださってるのだろう。
嘘竹だの嘘松だのと言われてしまうかもしれないが、ナマエはこのセレスからオセロをしないかと誘われたのである。理由は単純明快、「顔が好みです」とのこと。成る程。
たしかにナマエは己の顔の良さには自覚があった。
自分がイケメンだからこそ顔に個性がなく、弄りやすいのだ。大好きなアニメを見て「あれこれ俺、推しを現実に降ろせるんじゃね?」と顔やら体型を弄ったら意外とうまくいった。そうして所謂コスプレを始めて以来周囲から超高校級のコスプレイヤーなんていわれるようになったわけだし。
「セレス氏はお強いですなぁ」
「ミョウジくんも手強いですわ」
考えたぬいた一手をナマエはおそるおそる指した。すると彼女の白い指先は踊るように軽やかに黒い駒を置く。それはぱちぱちと、ナマエの白を食い潰す。
喉がぐっと引き締まる感覚にナマエは思わず顔を上げると、セレスの赤い瞳と視線が交わった。ゆるりと赤が細まっていく。
「次はナマエくんです」
気を落ち着けるためにナマエはロイヤルミルクティーをまた飲み下す。すっかりと冷えてしまっているが、何もないよりずっと良い。
どうせ勝ち目がないのは分かっている。なんせ相手は超高校級のギャンブラー。きっと血を抜きながら麻雀したり負けたら地下送りにされるかもしれないゲームに参加したりしたに違いない。
しかし、セレスがナマエとオセロをしたいと言ってきたのだ。答える他ない。
今まで自由時間といえばもっぱら同志山田と今期の推しアニメと漫画やらお宝本について語ったり、彼の作るフィギュアを鑑賞するなど趣味にかけていた。あとは自室でコスプレ用の服やら備品をしこしこ作ったり。
趣味の時間はナマエの人生だ。寝るのも食べるにも風呂に入るのも惜しいぐらい。
では何故、オセロをしようとする気になったのか。
理由は複数あるが、大きく占めているのは惚れた弱み、というやつである。
ナマエはセレスと多くのフラグを立てたわけではないし、同志山田一二三のように彼女に侍っているわけでもない。セレスのことも詳しくはわからない。
ただ、ただ、一目惚れしたのである。
あの制服ちっくなゴスロリ!腰まである巻き髪!ヨレのないネイル!象牙のような白い肌!オタク心を突き刺してくる赤い瞳!
彼女が作り上げた“セレスティア・ルーデンベルク”の完成度の高さに、超高校級のコスプレイヤーであるナマエは惚れ惚れとしていた。そう、もっと彼女自身のことも知りたくなってしまったのだ。
だからこそ、このオセロをする機会は絶好のものだ。全力で挑んで、できれば勝ちたい。そしてあの可愛らしい声で「ふーん、面白い男」なんて言われてみたい。も、もしかして自分の本当の名前なんて教えてくれたり!?などと夢が広がってしまう。
既に二回の学級裁判を経て、同級生が数人死んでしまっている状態で恋に浮かされるのは果たして悪いことなのだろうか、とも思わないでもない。
しかし三階が解放されて、娯楽室を見つけたセレスの笑みに、自分の胸のなかで高鳴りを覚えてしまったのは事実だ。自分でこの気持ちを自覚して、手綱をつけておくしかない。
ナマエの駒が心ばかりの仕返しをして、セレスがそれを踏み潰す。攻防というよりも蹂躙され尽くした盤面は、真っ黒な駒で覆われている。
「お、お見事ですぞ……。セレス氏、拙者の完敗です」
深々と頭を下げて、負けを宣言する。いっそここまで来ると清々しい。
「むしろセレス氏のような強者と戦えたことを誇りに思うでござる」
「私も楽しめましたよミョウジ君」
「ほんとでござるかぁ?」
本当です、とセレスは頭を少し傾けて笑みを深めた。
なぜそんなに喜んでいるのか。ナマエが疑問を口にする前に、セレスが発した。
「ナマエ君。負けた方が勝った方の要望に応える……と約束したこと覚えていますか?」
「あ、あ〜……そんな約束をしたような。え、まさか拙者にえっぐいこと頼むつもりです!?」
「えっぐいことかは分かりませんけど」セレスはじっとナマエを見つめた。「ナマエ君、これからしばらくの間は吸血鬼のコスプレをして私の近くにいてくれません?」
「エェ!?」
ガタリ、と音を鳴らしてナマエは立ち上がった。
「吸血鬼のコスプレ!?」
「えぇ、ナマエ君は超高校級のコスプレイヤー。吸血鬼のコスプレなんてわけないでしょう?きっとよく似合いますわ。それと、できれば衣装の種類は多い方がいいです」
「い、いつまで!?」
「私が飽きるまで。そうそう、何があっても近くにいるようにお願いしますね?」
思わずと言った様子で、彼女の綺麗な形をした口からはくすくすと鈴を転がしたような笑い声がこぼれる。たかがオセロでなんだかとんでもないことを任された気がする。え、超高校級のギャンブラーってみんなそうなんですか!?
「ナマエ君ったら本気にしてーー「承知したでござる」え?」
「不肖ナマエ、セレス氏が飽くまでお使えさせていただく」
「は?」
あっけに取られる彼女はナマエを見上げる大きな瞳をさらに見開いた。セレスは言葉の接ぎ木も見つからないようで、何故、と表情だけで問いかける。
ナマエはセレスに視線を合わせるように屈んで、ほんの少しだけ熱くなった自分の頬を撫でた。
「拙者、ぶっちゃけもう誰にも死んでほしくないでござる。殺した殺されたなんて嫌でござるだって人間だもの」ナマエは声をひそめた。「気が滅入って気の迷いを起こされるのも嫌でござる。だから拙者仕えることでセレス氏の気が晴れるなら喜んでやるでござるよ?」
ナマエは特別頭は良くないし、運動神経も並みである。
しかし、自分は泣く子も黙って笑う超高校級のコスプレイヤーなのだ。脱出に直接貢献出来ずとも、自分はみんなを楽しませる才能に特化している。それを存分に振るわなくてどうする。拙者のコスプレ術は百八式まである。
ついっと視線を外したセレスは、手を顎にやった。
「私は」
「うん」
「いえ、別に。もう結構ですわ」セレスがゆったりと立ち上がると、腰まである彼女の巻いた髪が揺れた。「さっきのは冗談ですの」
「そうでござるか?」
別にやっても構わない、と言外に示してもセレスはナマエと目を合わせようとせず、細い指先で髪をいじった。
「そうですね、このカップとオセロを片付けるぐらいはしてください」
「わかったでござる」
セレスはそのまま個室に帰るつもりなのだろう、迷いなく娯楽室の扉に向かっていく。待て待て、送って行ったりした方がいいのだろうか。ナマエが気にしていると、セレスは扉を中途半端に開いたまま、ナマエに振り返った。
「ああそれと。私、ミョウジ君がちゃんと負けを認めてくれる姿勢に結構好感を持っていましたの」
不意に告げられたそれに、ナマエは目を丸くした。返事をするまもなく彼女は扉の向こうに行ってしまった。それで、良かったのかもしれない。
なんせナマエから見ればあのセレスが妙に強張った顔をしていたように見えたのだ。もしかして、本心だったりするのだろうか?降って沸いてきた疑問に、思わず口の端が緩んでしまう。こんな顔は見せられない。
この自由時間以降、自分がセレスともう一度オセロをすることはなく、そして最悪なタイミングでセレスの本名が明かされることを、ナマエは知るよしもなかった。