ーーやっぱり、君もコウモリか。

 言われた途端に、ナマエは真綿で首を締められたような息苦しさを感じた。
 ナマエはよく知っていた。自分の兄は無駄口を嫌うことを。ましてや、今は一分一秒で状況が変わっていく戦場に立っている。冗談では、ないのだろう。
 自分がどこで尻尾を見せてしまったのか、ナマエにはわからなかった。しかし、もはや過ぎてしまった記憶を掘り起こす暇はない。
 なんせ目の前の兄が、ほむらや戦士たちの前で「お前は敵だ」と断言することにより、ナマエに問答の余地を許すつもりはないと示したのだ。

 ナマエは体を反転させて、急いで走り出す。周囲に視線を配ると、ナマエは目を見開いた。
 兄の言った、“あの子”がいなかった。
 そうか、とナマエはようやく気づいた。兄は自分に彼女の存在をほのめかせて、反応を伺ったのだ。

「君たちの足では間に合わないので、少し手助けをしますよ」

 背後から兄の声と、それに応じて戦士たちが得物を持ち上げる音が聞こえた。
 ナマエは暗がりが深い、木立ちが複雑に入り組んでいる場所を素早く見分けて、ほとんど前転するように体を傾けながらそこに駆け込んだ。ブンッと空気を裂く音が聞こえて、ナマエはすねのあたりに鈍痛を感じ、膝を地面に落とした。じくり、と膝頭に熱い痛みが滲む。

「あ〜〜……、クソ……。やるとわかってたんだけどなぁ」

 兄が背負っていた槍ーー当然、ゲンの功績により、穂先は破壊されており、ただの長い棒のようなものだーーを、ナマエの足へと投げ込んだのだ。それがナマエの両足の間に入り込み、ナマエの逃走を阻むことになった。あえて見えにくく、障害物の重なった場所を選んだのに、全く兄の手腕は大した物である。
 急いで木の棒を抜き取り、ナマエは身を起こした。ナマエは彼への非難を思い切り叫んでやりたかったが、奥歯を噛み込んで堪えた。

 ……ああ、せっかく“スイカ”に許してもらえたのに!台無しにされた!


 兄の氷月は、ほむらに石神村で火を放つように命じた。そうすることで、村人を残らず炙り出すことを目的としている。残念なことに、ほむらは非常に身体能力が高く、なおかつナマエに対して警戒心を抱いているため火を放つこと自体は止められてそうになかった。
 そこで、ナマエに浮かんだひとまずの懸念は、火災で犠牲者が出ないかどうかだ。ほむらが上手に燃やせば良いだろうが、強風で煽られた炎がどこまでの猛威を振るうのかわからない。

 いかに犠牲者を出さないか、とナマエは移動中に何度も考えた。
 考えたところで結局、消火や避難誘導をそれとなく手伝うという案がいい気がした。
 しかし、その難易度は高い。なんせナマエは部外者だ。管槍なる武器を装備している以上、自分の言葉は村民に届かない可能性が高い。ナマエだって、ただの他人……いや、敵と確信できる人物に「危険だから故郷から離れろ」と煽られても、すぐに行動を起こせるかわからない。そんな人物、信用できない。

 ……いや、むしろその不信感を利用すればいいのだろうか?
 ふっと、閃いた案にナマエは自分で苦い顔をすることになる。しかし、そちらの方が、話が早い気がした。

 島の船着場に着いたところで、ナマエが口にした提案にほむらは案の定ピンクの目を丸くさせた。ナマエは上目遣いでたずねた。

「別行動はダメ?でも兄さんの目的には沿ってるじゃない?」
「……少し、驚いたの。ナマエがそこまで積極的になるとは、思わなくて」
「人質を立てる方が穏便なら、そうしようかなって」

 これなら血が流れないって言ったの、ほむらちゃんだもの。
 ほむらはナマエの言葉にやや頬を赤らめて、こくりと小さくうなずいた。

 確かに、意外なのかもしれない。ナマエがほむらに提案したのは、「自分は火を放たない」「その代わりに殺人を好む異常者というていで、村人を脅し回って、外に追い出す」というものだ。殺人という響きは物騒だが、あくまでそういう“設定”だ。ナマエには村民に危害を加える気は一切ない。いわばこれは、牧羊犬のようなものであると、己に言い聞かせて、ナマエは管槍を手にした。


 ほむらが火を放ち始めた頃合いで、ナマエは酒蔵での戦闘を切り上げ、外に出た。ナマエは目の前に広がった光景に息を呑む。
 魔物が憑いたかのように、赤い炎がものすごい火勢で下草や家々を包んでいた。ところどころで視界が塞がるほどに濃い白煙が上がっている。消火活動に励む人、迅速に逃げる人、反応は様々だった。

 熱風を全身に浴びつつも、ナマエは自分の胸からつき上がる冷たいものに吐きそうになった。やはり止めるべきだったという後悔だろうか、こんな非情なことをさせた兄への怒りだろうか。どれも当てはまった。そして何より強いのは、この役立たず、という自分への叱責だ。
 こんな悲惨なことが起こるとわかっていたのに。
 どうして、という悲鳴おびた疑問が、助けを求める子供の泣き叫ぶ声が、いちいち我が身を刺していく。針山にでも落とされた方がずっと楽だろうとさえ思えた。
 しかし、止まってはいけない。兄の思惑は、此処で終わりではないのだ。
 ナマエは白煙に紛れて、石神村から人の気配が消えるのを待つことにした。


 火の粉を振り払いながら、ナマエは灰が混ざる土を踏み歩いた。科学倉庫へ逃げろーーと、何度も聞いていたナマエは、足跡を追っていく。進むうちに、その場所がすぐに分かった。嫌な煙の臭いが再び鼻をついたし、曇天を背景にする森で白煙が巻き上がっていたからだ。

 人気が増えていき、同時にまた悲鳴も耳に届いた。科学倉庫なる場所は、今にも火の渦に沈んでしまいそうだった。ナマエはすぐに兄、そして彼の擁する戦士たちが、混乱する人々を眺めていたところを発見した。

 ナマエは目を細めた。

 これは、チャンスなのかもしれない。

 ナマエは、彼らの凶行を止めたかった。しかし自分一人では敵わない。
 ならば科学王国サイドの戦士たちと手を組めば、成し遂げられるかもしれなかった。なんせ、彼らの科学力は尋常でないと、ゲンが評価していた。
 このまま挟み撃ちをする形にすればーー「おい!逃げ遅れたどマヌケのガキがいるぞ」と、ナマエの希望が打ち砕かれたのはすぐのことだった。


 間も無くして、追いかけまわされていた子供は戦士たちをまいていた。ただ、ナマエの目はきちんと彼女を見つけ出し、木の根でうずくまるスイカの殻を見つけた。自分を倒したアイテムを、どうして見失うことができようか。
 ナマエはスイカの殻の近くで屈んだ。

「……」

 ナマエは、言葉に迷った。
 村での戦闘で、ナマエは異常者として接した時に、この子を脅したことがある。あの時はずいぶんと怖がらせてしまった。
 どう接してやるのが、正解なのだろうか。

「……よく此処まで逃げたね。もう大丈夫よ」

 ナマエはささやくと、スイカの殻が一度揺れた。どう響いたのかは、ナマエにはわからない。
 いま彼女の心を占めているのはひどい不安と、孤独感だ。それらをなるべく取り除きたかった。
 この子供を捨て置いて、さっさと兄たちを科学倉庫に誘導することだってできたが、それではあんまりだ。甘いですね、と兄の嘲笑を買いそうだが、知ったことではない。

「私は君にひどいことはしません」ナマエは背負っていた管槍を、地面に横たえた。「あの怖い人たちは、私がどうにかするからもう囮になる必要もありません」

 科学倉庫に向かう人の流れにこの子が混じっていたところを、ナマエは見ていた。そして科学戦士が倉庫で防御陣を敷く中で、わざとそこから出ていたところも。この子は村民が襲われないように、自ら囮となっていたのだ。
 こんなに小さい体に、どれだけの勇気がつまっているのか計り知れなかった。
 ナマエがもう行くから、と立ち上がりかけた時だった。

「……待って」

 危うく聞き逃しそうなほど、小さな声だった。ナマエが動きを止めると、スイカの中から子供らしい、細い四肢が現れた。

「君は」
「スイカだよ」
「……私はナマエ」

 よろしくね、と続けると、スイカの殻を被り、荒縄を首に巻いた子供はぺこり、と頭を下げた。声からして、女の子のようだ。
 青々としたスイカの葉っぱが彼女の動きに合わせて揺れた。

「あの、どうにかするって、どうするんだよ?」

 落ち着かないのか、両手を硬く組んだ彼女に、ナマエは言った。

「もう一度、彼らを科学倉庫に誘導する。そして私と、そっちの戦士の皆さんでーー」
「だっ、ダメなんだよ!」

 声を荒げた少女は、両手で口を覆った。幸いにして、まだ兄たちには気づかれていない。
 ナマエは突然のことで面をくらいながらも、苦笑した。

「そっか、ダメ、ね」
「だって、科学倉庫は……」
「いいよ、無理に言わなくて。ダメ、なんでしょう?」

 ナマエは首を振って、静止させた。
 必死にナマエを諭そうと考え出したスイカの姿は、土と生傷に塗れていているのもあって、痛ましかった。どうやら、彼女は戦士たちを科学倉庫に向わせたくないらしい。ナマエに対してそう固辞できるのだから、よっぽど大事な場所なのだろう。

 ……こんなに小さな子が頑張ったんだから、私も腹を括るしかない。

 ナマエが地面に置いていた管槍を再び手に取って立ち上がると、うなだれていたスイカは薄い肩を大きく震わせた。

「ごめんね、私、こんな手荒いやり方しかできないのよ」ナマエは肩を竦めた。「ーー私が司帝国まであの人たちを追い払うから、その間に科学倉庫まで逃げてくれる?」

 スイカは弾かれたように頭を上げた。

「い、良いの?」
「うん」一瞬、ぶるりと指先が震えたのはきっと、武者震いだ。「大丈夫。私ね、あの中じゃ強いの」

 目の前にいる彼女が、子供で、それこそスイカ二つ分ほどの背丈で良かった、とナマエは安堵した。きっと、今は緊張でひどい顔をしている。
 人数、スタミナ、そして膂力にも圧倒的な差がある以上、自分の勝機は薄いのは明らかだった。どう収まろうとも、自分は無事ではすまないのは明白だ。
 ぐっと、手をかたく握って、ナマエはスイカに背を向けた。

「ぁ、ーー待って!」

 先ほどとは違い、強い意思を感じさせる声色だった。ナマエが振り向くと、スイカは口を何度か開けたり閉じたりして、やがてしぼりだすように発した。

「やっぱり、さっきのは、ウソなんだよ」
「ウソ?」
「さっきの、科学倉庫を向かわせる作戦で、大丈夫なんだよ」

 ぐっと、小さな口の端が不自然にひき結ばれて、彼女は今度は表情を隠すように顔を伏せた。
 彼女の本意では大丈夫ではない、のだろう。だが、その必要があると同意する理性が勝ったのだ。苦渋の思いで許してくれた彼女に、ナマエは聞き返すことはせずに、「ありがとう」と心からの感謝の念を口にした。

  

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