二度目となる千空との戦闘では、科学王国サイドが刀を持ち出したことにより戦士たちの士気は剥ぎ取られた。それだけでなく、ゲンの裏切りにより氷月は槍の穂先を破壊されてしまった。しかし、この戦闘は本来の目的の隠し蓑でしかない。
 もともと氷月たちの目的は、ひとまずのところ、千空が率いる科学王国の恭順である。

 だからこそ、氷月は右腕のほむらに、その戦闘の間に石神村の放火をするように命じておいた。
 あの水上の堅牢な要塞から村人を燻り出し、人質を捕らえる。一人でも盾にできれば、氷月の目的は果たされるだろう。なんせ、連中は甘い。三日前に襲撃した際には、門番の男一人さえ見捨てておけば、危機が回避できたという状況で、それができなかったのだから。

 しかし、と氷月はほぞを噛んだ。
 業火で燻り出された村民の避難先、科学倉庫と呼ばれる場所にたどり着いた時のことだった。
 先の戦闘においての後悔は未だ拭えない。ゲンの裏切りで管槍がただの棒となってしまったのは痛手には違いない。ゲンーーあの司が信頼し、警戒していると言っていた男の手癖の悪さは予想外だった。彼の挙動には一応目を配っておいたのだが、してやられたものだ。

 戦えない者を守るために、千空の擁する戦士たちが刀を構えている。この時代の最高峰の武器を振り回す科学戦士に、果たしてこの脳が溶けたうちの男たちが太刀打ちできるだろうか。一応、ほむらにはさらに火を放つように言いつけておいたが、戦力の差を埋められる気がしなかった。

「……ナマエは?」

 火の手を広げてから戻ってきたほむらが、首を振る。氷月の戦士たちは火の向こうの村民(えもの)を前に息巻いており、そもそも言葉を聞いていないようだった。

「おい!」ガハハ、と笑いまじりに尖兵の一人が声をあげた。「逃げ遅れたどマヌケのガキがいるぞ」

 見れば、スイカの皮をかぶった子供がたたずんでいた。こちらの様子を足を震わせながら伺い、そのまま器用に体をスイカに収めて、隆起した地面の傾斜に沿って転がっていく。得物を振り上げた戦士たちが、それをおおわらわで追っていく。

 逃げ遅れた、と言っていたが、違うだろう。避難誘導は子供や老人を優先的に行ったはずだ。それに、子供はわざわざ誘うように一度、足を止めていた。
 子供は逃げ遅れたわけではなく、村民を想い、自ら囮となったのだ。
 氷月はマスクの下で笑みを浮かべた。とことん甘い連中で助かった。

 囮はこの森を勝手知ったるといった様子で駆け回る。ほんの少しの死角を取られただけで、氷月たちは彼女の姿を見失ってしまった。

 相変わらずの強風だった。耳をすませてみても、風がふきすさび、頭上でこずえがすれる音ばかりが聞こえてくる。痺れを切らした戦士たちが、叫び、乱暴に草の根を石器でかきわけはじめる。

「兄さんっ!!」

 すがりつくような、必死な叫びだった。木立の合間を縫うようにして、影がこちらに駆け寄ってくる。

「ようやく追いついた」

 土塗れになった腹の辺りをはたき、彼女ーーナマエは眉をハの字にした。

「人質、まだ捕まってないんだ?」
「今あぶれた子供を一人探しているところだ」
「子供?」

 ナマエは繰り返して言うと、顎に手を当てた。
 眉間にぎゅっと、皺が寄っていく姿は子供がいたかどうかの記憶をさらっている、というよりも考え事をしているようだ。

 不意に横たわる沈黙の中、「私は」と、口火を切ったのはやはりナマエだった。

「一度村人の避難先で戻った方がいいと思う」
「……理由は?」

 妹に何か求められるときに、まずは確固たる理由がないのかと聞くようにしているのは、氷月の方針である。
 ただなんとなく、そうしたいと言うのならば当然却下する。感情論だけで相手を丸め込もうというのは、自分には効かないし、何より同情を誘う姿勢は甘さが透けて見えて滑稽だ。

 ナマエも氷月の思考を分かっているのだろう、壇上の演説者のように堂々と胸を張った。

「子供を捕まえても意味がないってこと!」ナマエは氷月の瞳を、真っ直ぐに見つめ返した。「人質にしたところで、子供なんて弱者は見捨てられる」

 背後から戦士たちがざわついた。「おい氷月」「どういうことだよ」と凡夫の低い声で詰られたところで、怖くもなんともないが、不快ではあった。

「ナマエ、君も三日前の晩に見たはずだ。あの村の人間は、多数を助けるために少数を切り捨てられなかっただろう?甘い連中だ。人質をとってゆすればすぐに服従する」
「“数”で見ればそう。でも、兄さん、別の見方もできると思うの。あの時の少数……門番の彼が、“ちゃんとしている”から、村の人は切り捨てられなかったとも考えられない?」ナマエは首を傾げた。「私は、実際にほむらちゃんとあの村を見たの」

 あの村の人口はざっと見積もって五十人程度。よく動けそうな若い人間は半分、うち男はその半分ぐらい。
 男手ーー石神村でいざとなったときに戦える人間は両手で数えられるかどうか、ということだ。それに、あのとき戦った彼は門番も任されるほどに強い。切り捨てきれない資産だったのではないのか。
 以上がナマエの弁である。実際の村人の内訳は、だいたい合っていることは、同じく村を襲ったほむらが無声音で教えてくれた。

「弟が泣いていたから捨てきれなかったんじゃないか?」
「本当に助かりたいなら他の人が橋を燃やすなりしていたはずよ」
「彼らが甘いからだ。自分の手を汚せない凡夫だからだろう」
「私の言う可能性だってある。だって、科学戦士を“ちゃんとしている”っていったのは兄さん、貴方でしょう?不安材料は排除しないと」

 だから、戻ろう。科学倉庫で村人を襲おう。
 そう主張する彼女の背を見て、氷月は目を細めた。あるべきものがそこにはなかった。

「君、……槍はどうしたんだ?」
「村人と揉み合いになって、槍は奪われた。今頃燃やされてると思う」

 だから今服がこんなに汚れてるの、とナマエは肩を竦めた。

「なら戻っても意味がない。このメンツで戦えると思うか?相手は刀を持っているんだぞ」
「あの辺りを燃やして、混乱させている間に刀を取ればいい。科学で作ったのなら、試作品があちこちにあるはず」

 兄さん、使えるよね、と続いた言葉には、根拠のない期待はにじんでいない。刀があれば兄さんは戦えるよね、という抜群の信頼があった。

 その通りだ。全く扱えないというわけではない。
 槍も剣の関係は切っても切れない仲である、と昔から言われていた。だからこそ氷月もナマエも管槍を修める上で何度も竹刀を振るったし、真剣を扱ったこともある。言われてみると、悪い安ではない気がしてきた。武力を自分とナマエで分散させれば、一人は捕まえられるだろうか。

「……」

 しかし、ナマエが槍がとられた、とは意外だ。
 ほとんど勘に近い不信感が、首をもたげた。

「ね!」ナマエは体を傾けて、氷月の背後を覗いた。「ゴーザンさんたちもそう思いますよね!」
「あぁ?」
「だぁから、子供には価値がないから、今から科学倉庫に向かって誰かしらをとっ捕まえるんですよ!」
「め、命令すんなよ」

 一様に当然の不満を漏らす戦士に、ナマエは重ねた。

「私人を見る目はあるんです。先方は長物を持ってる、貴方!ゴーザンさん!」
「俺、一人か!?」
「いえ!ユーキさんも十字槍を使えるのでいって欲しいんです。お二方、露払いを頼めますか?」

 長物を扱う二人が顔を合わせた。先ほどの不満はどこかへ吹き飛んでしまい、ナマエの口からポップコーンのように軽く、溢れる“お願い事”に面食らった様子だった。

「近接武器を持っている人、そうですね、アカシさんとモリトさんは露払いであぶれた村人を抑えてください」ナマエはにっこりと、おもねるように笑みを浮かべた。「それで、レンさんとキョーイチローさんは大将、千空さんを抑えるようにしてくれたらな、と。トンファーなら機動力はこの中では随一でしょうし」

 どうする、と迷った様子の戦士たち。嫌なことであれば速攻否定する彼らが、すでに検討する方向に入ったところで答えは決まっている。
 氷月は思わずためいきをつくところだった。全く、羨ましいほど短絡的な思考である。

「……まぁ、こんなだだッ広い森でちまちま豆粒みてぇなガキを探すよりかは、ラクかもな」

 一人の言葉に、「確かに」とささやくような同意が入る。
 ナマエの言に納得した、というよりもやはりその意味合いが強いのだろう。目の前から少女が煙のように消えた分、気力がすっかりと萎えているのは否めない。

「氷月様」

 傍らのほむらの細い声。暗にどうするか、という問いが含まれていた。桃色の瞳はけげんそうに、抜け目なくナマエを監視している。彼女はちゃんとしている、と氷月はしみじみと思える。

 確かに、わざわざ敵の本丸に飛び込めという、この提案は科学戦士の強さを目の当たりにはしていないナマエだからこそ挙げられるものだ。ただ、氷月の不信感は晴れなかった。まんまと乗せられたこの空気は、ゲンが氷月たちにしかけたときと似ていた。
 そうだ。不安材料は、排除しなければいけない。

「ああ」氷月が顔を上げて、ナマエの背後を一望した。「ーーその必要はないみたいです。いましたよ、“あの子”」
「!」

 まず動いたのは、ナマエだ。一歩下がり、首をこれでもかとのばして、彼女は氷月に顔を向けた。一際強い風が走り抜けて、彼女の前髪をもてあそんだ。現れたのはまぶたの存在など忘れてしまったかのように、ひたすらに氷月を映す深海色の眼差し。

 ナマエを知らない第三者からすれば、兄の言葉を聞き取れなかったから見上げたような、小さな挙動にすぎなかった。
 ただ、氷月だけはその一呼吸の初動だけで、よく分かってしまった。

「やっぱり、君もコウモリか」

 ナマエの癖だ。
 試合の時には面が歪んだって怯えることもなく相手を一心に見据え、槍を構えていたナマエ。復活の時には、目の前にいた人間を敵と認識し、それが獅子王司と分かりつつも目を離さなかったナマエ。
 彼女は敵と認識すると、絶対にその相手の動向を探るように体ができているのだ。

 つまり、今の彼女にとって、敵は氷月たちということになる。

  

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