ぎしり、と音がして、スイカは身を震わせた。山下ろしの風にもみくしゃにされて、この酒蔵が悲鳴を上げている。同じくこの酒蔵に身を寄せたシャベルやすずは青白い顔で、「怖い」とそれぞれ吐露した。
 三日前、スイカたちの村を襲った賊が今日この日、またやってくる。子供たちは示し合わせたようにここに集まった。親無しの子は大人よりも、同じ境遇の人間を心の柱としていた。

「おぅ!そんなに心配すんなって!千空たちが上手いことやるに決まってるじゃねえか!」

 陰鬱な空気をかき消すように割り込んだのは、クロムの快活な声だった。彼は居住区の島の外で暮らしていたため、スイカたちの保護者役を買って出るようにここにやってきていた。

「そ、そうなんだよ皆!大丈夫!大丈夫」

 スイカが重ねると、ナマリが「うー」と不安そうに唸った。わかってるんだよ、とスイカは心の内で返事をした。
 スイカだって、怖いんだ。

 これから襲ってくる賊は、数年にわたって村の守護をしてきた金狼に苦戦を強いて、力自慢のマグマや御前試合に一度優勝したこともあるコハクらが力を合わせなければ勝つのは難しいと見通されている。村長のコクヨウさえも刀なる武器を持ち出して対応に追われていた。
 スイカは千空を十分に信頼している。彼は科学で光を作り、ルリの健康を取り戻してみせた。それだけでなく、スイカの殻を被る自分を受け入れてくれたし、地道な作業をなしとげたという精神性だって、好ましいものがある。
 しかし、やはり怖いものは怖い。迫る危機はスイカの本能的なところに訴えかけてくるのだ。本当に大丈夫なのか、あの賊を千空はおさえてくれるのかという、そんな不安というしずくがぽたぽたと落ちていき、スイカたちの心の水面を大きく揺らした。

「こんにちは」

 スイカの耳に届いたのは女の子の声だった。葉に落ちた朝露のようにすぐに蒸発してしまいそうなほど静かな声色だった。「誰?」と隣のナマリが疑問を呈したことで、スイカはようやくその声が来訪者のものであると認識した。

 コハクらと同い年だろう少女が、入り口を塞ぐように立っていた。
 見たこともない顔だった。明らかに村の人間ではない。迷い込んだという風でもない。
 スイカは、スイカの殻をかぶった頭をもたげた。レンズ越しで、少女の青い目と視線が交わって気がして、身が縮まりそうになる。
 敵なのかもしれない。だって、千空たち率いる科学王国の新たな仲間ならばもっと友好的な様子を見せるはずだ。ーー少なくとも、あんな、品定めするような眼差しをスイカたちに向けるはずがない。

「ここにいるのは子供だけ、でしょうか」
「はぁ!?テメー誰だよ」
「氷月の仲間です」

 警戒心のにじんだ、低い声で問いかけるクロムに彼女は臆面もなく告げた。

「せ、千空たちが相手してるんじゃなかったのかよ」
「ああ、私は別動隊です。仲間も着陸する頃ですね」
「……目的は?」

 少女はにこりと目を細めた。
 あ、とスイカは思った。脳裏では、こずえに長い体を巻きつけた、蛇の捕食者然とした瞳が浮かび上がった。

「貴方がたを殺しに来ました」

 この場の誰かが、唾を呑み下す音を立てた。ナマリ?クロム?それとも、スイカ自身だろうか。簡単なそれを判断できなくなるほど、少女の一言はスイカたちの緊張を煽った。

 真冬の川に落ちたかのように、背筋から指先に至るまでかちかちに固まって、動かない。何か言葉を重ねなくては、と思うものの、息が浅くなり、話すという行為が難しくなる。
 ーー“殺しに来”た?
 少女の言葉を反芻する間にもどんどん、という音が胸から何度も鳴り響く。怒り狂った空の神様が落とした雷のように、大きく、激しいそれは、この場から逃げろと、身体中が警告しているあかしだ。

「なんだよそれ!?」

 クロムはそう発しながら、スイカたちを隠すように身を乗り出した。そして、突然腰をグッと弓なりにしならせて、動きを止めた。
 彼が不自然な格好となったのは当然のことだった。その緩やかに隆起した喉元に向かって、槍の穂先が横たえられていたのだ。

「クロム!」

 スイカは怯えながら彼の名を叫ぶ他なかった。危ない、と彼に警告しているわけではなかった。目の前の出来事が恐ろしくてたまらないという、スイカの感情の発露だった。
 呼ばれた彼はきらきらと、陽光を受けて輝いている刃を、一瞥して、槍の柄の先ーー少女をねめつけた。

「へぇ!」彼女は、嬉しそうに口の端を緩めた。「動揺しないんですね」
「テメーらの狙いは千空だって聞いてんだ。俺を殺すことに意味があるのか?人質をとるんならわかるけどよ」

 少女は槍を引き戻すと、柄を手元でくるくるともてあそぶ。穂先に巻かれた、血止め用の赤い布が円を描いている。
 遊んでいるわけではない、きっと、いつでも攻撃ができるようにしているのだ。槍は回転が要となることを、金狼やコハクが話していたのを聞いたことがある。それに、彼女の鋭い視線は、クロムに注がれたままだ。

「意味はありますよ。私が、楽しいので」
「何を、言ってんだ?」

 クロムは喉を詰まらせながらも、聞き返した。

 恐ろしい彼女の答えに、この場の誰もが抱いた疑問だった。
 続きを聞きたいような、聞きたくないような心地だったが、彼女はスイカの気持ちを存ぜぬという態度で、あっさりと発した。

「私、人を殺すのが大好きなんです。特に子供や老人のような、弱い人間を嬲るのが好きです。氷月が千空さんに気を取られているいま、絶好のチャンスなんですよね」

 スイカが口元を覆った背後で、シャベルたちが抱き合って、悲鳴を上げた。その鼓膜を穿たれそうな勢いに、今自分が生命の危機が目の当たりにしているのだという、どうしようもない現実を自覚させられて、肌が粟立っていく。
 クロムが垂らしたままの手を、音が立つほど硬く握った。その指先の震えに気づいたのは、スイカだけだろうか。

「ヤベーな、本気で言ってんのかよ」
「もちろん。それで、貴方は私を止めますか?」
「そ、そりゃあな!」クロムは拳を胸に打ち付けて、全身の息を吐き出すように叫んだ。「ああ!即止めなきゃウソだぜ!」

 クロムは自らの言葉で、滲む恐怖心を打ち消して、自分を奮い立たせるようだ。空元気にも見えてしまうのは、きっと、後ろのスイカたちに不安を抱かせないようにするためだ。
 覚悟を決めたクロムに、スイカは申し訳ない気持ちになった。だって、自分の胸の内に居座る神様が今だって雷を起こしていた。こんな状態で、まともに動けそうに無かった。

「……本当に、勇気があるね」

 スイカは、目を丸くした。今の一瞬だけ、彼女の張り付いた笑みが抜け落ちたような気がしたのだ。
 スイカが少女の面差しをまじまじと観察しようとした次の瞬間、クロムが動いた。
 クロムは傍らの壺を抱え込むと、雄叫びとともに彼女に向かってそれを振り上げた。少女はとっさに槍を跳ね上げて、壺を貫いた。あの壺には酒がたっぷりと入っている。必然的に彼女は酒で濡れ鼠となってしまった。
 襟元に鼻を寄せた少女は、眉間にシワを刻んだ。

「これ、……お、お酒!?」
「そりゃあ酒蔵だかんな!」

 驚嘆の声を上げる彼女にクロムは得たり賢しとばかりに、口の端を吊り上げた。

「そらおかわりだぜ!」
「それ煩わしいですね」

 少女はクロムが再び投げた壺を伏せて避けると、そのまま地面や棚の壺を石突きで突いて壊し始めた。

「……!」

 クロムが後ろ手で、「早く行け」とスイカたちに合図した。クロムのおかげで少女が動き、入り口は空いていた。
 どうする、と示し合わせたように子供たちが顔を合わせた。考える暇は無かった。スイカは両手を握り締めて、震える舌をむりやり動かした。

「私は残る、シャベルたちは村のみんなにこのことを伝えるんだよ!」

  

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