千空が鉄砲を完成させたとして、氷月、そして彼が擁する戦士たちは雌伏の時を過ごした。参謀役であるゲンが、鉄砲の使えないような強風の時に攻めるべきだと進言し、氷月がそれを認めたからだ。
そして、撤退してから三日が経ち、とうとう嵐の日がやってきてしまった。
「ナマエちゃーん、大丈夫だよ」焚き火の処理を終えたゲンが、へらりと笑った。「氷月ちゃんの管槍にはいざ力が入った時に、先っぽが壊れるように細工しておいたんだからさ」
あ!もしかして、俺の腕疑われてるー?
上がり調子のそれに、ナマエは眉を下げた。きっとナマエの緊張を和らげようと言ってくれたのだろうが、上手く返せなかった。
今回で二度目となる石神村の強襲の時には、戦闘は避けられない。こちらから仕掛けたことで、すでに負傷者を出した以上、両者とも収まりがつかないからだ。それに、ナマエや他の戦士たちは氷月から「彼らと戦え。殺しても良い」と命ぜられている。
ここからがゲンとナマエが予定している流れだ。
来たる戦闘時に、ゲンの細工が機能することで、こちらの陣営のリーダーである氷月の槍が壊れて、彼の無力化に成功する。頭を抑えてしまえば流れは石神村のものとなり、千空が氷月に交渉を持ちかけるなりなんなりして、場をおさめる。
意外にも今回の要となるゲンの腕に関しては、疑っていない自分がいた。氷月ーーあの兄が、彼の名前を覚えており、彼の言葉に従っている姿を何度も見ているからだ。そうするに値すると兄が判断しているのだから、十分に信じられる。
それよりも、ナマエは自分の腕が不安だった。自分の相棒である管槍は、石器だ。一振りで兎でも猪でもあっさりと切れる。あの槍先が肉に沈む感触は、司帝国で暮らしていた時に何度も味わった。対象が皮膚の柔らかな人であるならば、もっと簡単に切り裂けてしまうだろう。
各々の得物を持ち、ナマエも管槍を背負った時だった。木陰から立ち上がったナマエは、背後から腕を引っ張られた。
「ナマエ」
「ほ、むらちゃん」
ナマエは驚きで目をみひらいた。ナマエの腕を強く掴んだ誰かの正体は、先ほどまで姿を全く見せていなかったほむらだ。どうしてここにいるのだろうか、と疑問が浮かぶ。彼女は兄から抜群の信頼を置かれているため、単独で行動しているとばかり思っていた。
がさがさと草木をかき分ける音が耳に届いた。既に兄やゲン、戦士たちが村に向かっている様子だった。慌てて体を反転させようとするナマエに、ほむらは「ダメ」と静止をかけた。
「どうしたの?」
「ナマエは、こっち」
その桃色の瞳には、有無を言わさない光が宿っている。
「先に村に入って何する気!」
重力を感じさせない動きで木立を飛び渡るほむらに追従しつつ、ナマエは叫んだ。方向から察するに、兄たちとは回り道で村に向かっているようだった。
「炙り出す」ほむらは足を緩めずに、淡々と発した。「村人を」
ナマエは強風で閉じかけたまぶたを無理やり上げて、ほむらが背負っているものを確認した。
ーーあれは焚き火用に集めていた、小枝だ。膨らみから察するに、火起こしの道具も一緒に入っている。
ナマエがそれに気づけたのは、彼女自身焚き火の管理をよく任されるためだ。
火起こしにはある程度の丁寧さと器用さが問われる。今回のような遠征では特に出番が来たし、今朝だってゲンがあれこれと焚き火の準備をするのを手伝っていた。
機動性を優先したい彼女がそれをわざわざ背負っているということは、目的地で使うつもりなのだ。
“村人を炙り出す”と、彼女は言った。
迫りくる嫌な予感に、ナマエはよろけそうになった。
「村を燃やすの!?この強風の中で!」
吠えたナマエの視界の端で木々の壁が途切れて、目の前には一面の海が広がった。
そこから望む島々には、青々しい草原が広がり、藁でできた屋根の家が点々と建っている。ナマエの想像通りのことをほむらが行えば、島中が火の海に沈むことは明白だった。
ほむらは木から軽やかに降りると、ナマエに相対した。
「集めて、捕まえて、人質をたてる。それが氷月様の思惑」ほむらは少し迷ったように視線を彷徨わせてから、ナマエに首を傾げた。「……血は流れない。違う?」
「……!」
……“だめ”だ。
ナマエは槍を取ろうと背中に回していた手を上げて、一言、「うん、わかった」とうなずいた。ほむらもまたナマエを見つめてから、「泳いで行く」と崖の斜面をまた危なげなく降りていく。ナマエは彼女を追って、片足で勢いを殺しつつ、下っていく。
髪を勢いよく煽る潮風が、目に染みた。
自分は兄に疑われており、無駄な言動はすべきではないと、ナマエは今し方判断できた。
ほむらの距離の取り方が、いつもと違ったからだ。普段ならば内緒話だってできるほどに近くにいるのだが、先ほどの位置は違った。ちょうど、管槍を持ったナマエの間合いから外れていたし、今でもその距離間を保っている。
きっとナマエがほむらーーひいては兄のやり方に疑問をもてばもつほど、その都度警戒レベルを上げるようにと、彼女は兄から言いつけられている。
効果は抜群だ。ああやって距離を取られては“だめ”だった。相手が戦士ならともかく、ほむらならば厄介だ。
なんせ、彼女は森を走り抜けてもなお足運びがブレていない。さすが元体操選手といったところか。彼女の身軽さとありあまるスタミナを目の当たりにしたナマエは、勝負を持ちかけられなかった。きっと追い縋ろうとしてもどこまでも逃げられてしまう。
こうなってはもう彼女は止められない。
ナマエが説得をしても、確実に無理だろう。
ほむらは、兄に心酔している。住人がいる島に火を放てと言われれば素直に従ったり、友人のナマエにすら、それを疑問としてどうするの?という態度をとるほどだ。
力づくでも、心に訴えかけても無理ならば、被害を出さないために、私は何ができるのか。