さてどうするべきか。
 思考する前に、ゲンの表情には穏やかな笑みを浮かんだ。
 今なら強かに打たれたってこの表情を保てる。それほどまでに、微笑みとはゲンの手によく馴染んだ武器だった。相手に自分の気持ちを悟られないようにできるし人によってはお前の思惑はわかっているよ、という牽制にもなる。

 ゲンとは対照的に、目の前のナマエは険の滲んだ面差しで、彼の様子を伺っていた。

「ごめん。もう一度言ってもらえる?」
「……だからゲンさん、貴方はどちらの陣営ですか?兄さんか、“千空”さんか」

 ばちり、と薪が音を立てて割れて、火花が上がる。彼女の瞳が照らされて、ゲンは己の口三味線ではこの状況を打開するには厳しいものを感じた。その青い瞳には、意思の強い光があり、胸ぐらでも掴まれたかのような心地さえしてきた。

 ゲンはナマエの人格を検めていく。ナマエちゃんみたいな真面目で優しいタイプは、嫌いな相手でもきちんと理性的に向き合おうとする。頭ごなしに否定をしてしまうと、罪悪感から強いストレスがかかるから。
 だから、自分を疑っている、ということはそれ相応の判断材料が彼女の中で揃った、ということになる。

 それで?とゲンは自問した。彼女はゲンの立場を詳らかにして、どうしたいのか?

 兄の氷月は根っからの司派だ。
 では彼女はどちらだ?
 司寄りならば、ゲンがコウモリであることを悟らせてはいけない。千空寄りならば、ワンチャン次の強襲でこちらに引き込みたい。……あの兄が難関だろうが、彼女の武力は欲しい。なんせ氷月を抑えられる矛となり得るのだから。

 タイミングが良かった、とゲンは内心安堵した。ゲンが最も警戒している氷月は、合流したほむらと話をしにこの場を辞していた。いや、もしかすればこの時を待っていたのか。

「もー、何言ってるの!もちろん、お兄ちゃんの味方だよ?なになに、心配になっちゃったの」
「ゲンさん」ナマエは首を振った。「銃なんて、本当は出来ていませんよね。私、見ちゃったんです」

 何を、とは愚問なのだろう。しかし、彼女の心中がわからない今、肯定するわけにもいかない。ゲンはおどけたように「何見ちゃったの?」とおうむ返しに尋ねた。

「千空さんが銃を撃ったときに、ゲンさんが現地の人に石を投げさせて、大きな音を立ててさも着弾させたように見せたこと」

 大当たり。雌雄が決しようとしていたあのときに、向こう岸の自分たちの様子を観察していた彼女の冷静さに、ゲンは素直に感心した。
 ……いや、もしかして?
 ゲンに沸いた感心が形を変え始める。
 ナマエは、二心を抱いているのかもしれない。
 彼女が司寄りならば、千空の挙動をすぐに兄に伝えるはずなのだ。始終黙って見ていただけなんて、ありえない。
 もしかして、ワンチャン、ある?
 膨らみつつある期待を、ゲンは押さえつけた。人間は極めて都合の良い妄想と、極めて都合の悪い妄想をしがちだ。自分だって例外では無い。慎重に、行かなくては。

「まさか!俺近くに居たんだけどさぁー、村の人が突然こんぐらいのおっきい石抱えて、『投石で勝負だ』ってヤケになってたよ。でも届くはずがないもん、よっっぽど力がなきゃね。ほら、ナマエちゃんも聞いてたよね。もう戦士のみんながびっくりするぐらい、かなり近くで岸が崩れる音がしたんでしょ?重たい石をそこまで投げ込むのは、難しいんじゃないかなぁ」

 ナマエが“見ていた”のは投げたところまでだろう。なんせ石は暗闇に溶けてすぐに死角に落ちていたし、そんな投げられた石よりも、大きな爆発音を立てた千空の方に注目がいくはずだ。

 ナマエは、ゲンを貫いていた視線をそのままに、にこりと微笑んだ。ただし、友好的なものは一切含まれていない。ゲンは身が引き締まっていくのを直に感じて、思わず後ずさった。

「なぁんか怖い顔してるなぁ、ナマエちゃん。俺にドイヒーなことする気?」
「思い切りどいひーなこと、をします。ですので、足の裏を地面にしっかりとつけて、踏ん張ってください」

 ゲンは引きつりそうになる唇を舐めて、なんとか笑みの形を保たせた。
 大丈夫、血のり袋も急所に仕込ませてある。これであのマグマの馬鹿力にだって耐えられた。緊張感から喉が急速に乾いていき、張り付きそうになる。氷月と揃いの管槍を扱う彼女は、当然それを使うつもりだろう。打突一回でも受けておけば、きっと向こうに油断が生じる。その隙に逃げて仕舞えばいい。
 一歩、間合いを詰められたときにゲンは背を丸めて、顔を守るように覆った。

 どん、と鈍い音が体中に響いたときにはゲンの身は草むらに倒されていた。胸のあたりを押されたような感触がしたが、意外にも痛みがない。

「遠目で見ただけですけど、ゲンさんと、千空さんは体格は似ているし、おそらく普段の運動量はさほど変わりはない」近づいてくる声に、顔をあげると、静かな瞳と目があった。「ゲンさんはあれほど身構えていたのに、私に押されただけで倒れ込む。じゃああんな大砲みたいなものを使えば、反動で負けてしまうはずですよね。貴方も千空さんも」

 ナマエは膝を地面につけて、倒れ込むゲンを身を乗り出すように覗き込んだ。

「千空ちゃんってば、俺にもよくわかんない技術でそういう反動とか?をどうにかしてたみたいなんだよねぇ」
「原始的な銃なのに、撃ったあとの銃口を素手で触っても火傷しないんですね」
「そ・れ・も!どうにかなっちゃうのよ。それぐらいバイヤーな男なの千空ちゃんって」

 ぺらぺらな理由を並べ立てながら、ゲンは改めて考える。彼女は自分を千空サイドだと認めさせてどうしたい?
 スパイだと突き出したい?それにしては、報告を怠るなどのおかしな点がある。

 まさか、本当に、千空側に寝返りたい?
 ありえるのだろうか。だってそれはあの司や氷月への裏切りだ。彼らの強さをよく知るだろう彼女に、唯一の肉親を大事にしている彼女に、それが出来るのか?
 目的がそうなら、何故そこまでの考えに至ったんのだろうか。ゲンが何度も考えることになって要因はそこにある。だって、そこまでの動機が彼女にあるとは思えなかった。

「ーーあ、これか」
「いッ!?」

 ナマエは半ばつかみ上げるように、ゲンの腕をとった。袖口からころりと、出てきたのは昼間に渡されていた、指の関節二つ分の小さなナイフ。氷月の管槍に細工したときに使ったものだった。

「それ刃物。危ないよー?」
「ゲンさん、これで兄の槍に細工をしていましたよね」ナマエは呟くように、発した。「あんまりに手際よくしていたので、見間違いかと、いまいち確信がもてませんでしたが」
「へぇ、話してるあいだに、ずっとそれを探してたの」
「はい。こうして物を見せないと、ずっと逃げるでしょう、ゲンさん」
「……俺も今ので確信したよ。ナマエちゃんが、本当にお兄ちゃんを裏切る気なんだって。じゃなかったら、俺が千空ちゃん派だって証拠をこうしてこそこそ探そうとしないもんね」

 彼女が司派である可能性が無くなった。もし司派だったなら、ゲンの細工に気づいた時点で兄に槍の点検させるはずだ。そしてゲンがやったことも言うはず。

 ゲンの言葉に、ナマエは今日初めて表情を曇らせた。

「千空さんは、勝ち馬ですか」
「うん。すごいのよ、あとでいっぱい聞かせてあげる」
「兄さんを止められるぐらいの力だって、ありますか」
「それはーー」

 そうか、とゲンの中ですとんと腑に落ちたものがあった。
 ナマエは鍛錬やら狩猟には精を出していたが、他の人が野良喧嘩やらを始めると途端に苦い顔をしていた。平和主義、というか自分の良識に合わないことがとことん嫌なようだった。
 そんな彼女の性格を考えると、そうだ、武力で相手をねじ伏せようとしたり、殺人を厭わない彼に思うところがあるのだろう。そこまでは普通なのだ。ゲンだって、司の石像破壊に対して当然否定的な気持ちはある。
 しかし圧倒的な力を前にすれば、多くの人は従順に振る舞う。そうでなければ、自分が潰されるという恐れがあるからだ。ゲンも千空と出会う前はそうだった。そして、彼女だって同じだと思っていた。
 実際には違ったらしい。彼女は想像以上のタフさと、実行力の持ち主だった。
 ……ますます、心強い。

「ーーあるよぉ。千空ちゃんはジーマーですごいんだから、本当に」

 こればっかりは真実だ。千空、と聞いてあのコーラの甘さが口に広がったような気がして、ふにゃり、とゲンの頬が緩んだ。まさか、こんな敵陣で策謀の含まない、心からの笑みを浮かべられるようになるとはつゆにも思わなかった。

  

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