ざっ、と、人によっては風が吹いて砂利が転がったような音だった。格闘家の性であろうか、司は人の気配を確かに感じて、目蓋を上げた。

「起こしましたか」

 どうやら、石像の“選別”や収集から戻った後、座ったまま少し眠ってしまった。体感的に一時間程度か。ゲンが気を利かせて人避けをしてくれたようで、司と目の前の少女ーーナマエ以外の人影は無かった。

「いや、起きたところだよ」

 すばやく現況を確かめた司は、そう首を振った。ナマエは安心したように頬を緩める。
 彼女の腕には司が脱ぎ捨てておいたライオンの皮でできた上着が抱きしめられていた。それを眠った自分にかけるつもりだったらしい。司は礼を口にして、受け取った。

「それで、何の用かな」

 司と少女の関係性には、深いものは特にない。
 確かに、三千七百年前には彼女の兄の氷月と司は強者同士通じるものがあると、親しくしていたが、その時には氷月に妹が居るだとかそんな話は聞いたこともなかった。お互いを身内に紹介するだのなんだのということも、当然ない。
 だからこそ、彼女がほとんど初対面の自分の元へ訪れるのは、何かしらの理由があってのことだろうと踏んでいた。

「兄さんと何をしていたのかなって」
「お兄さんには何も聞いてないのかい」
「帰ってから戦士達の指導に行きましたから」

 ーー俺に投げたな、と司は内心で苦笑した。きっと彼女の言及を免れようとして、逃げたのだ。

 事前に情報が無かったものの、氷月とナマエの関係性は、彼らが復活したこの数日でよく分かった。
 氷月は子犬でも連れ歩いているような顔をしている。しかし、実際には氷月の人間関係の世話を焼いている彼女こそがブリーダーのようだ。さしずめ氷月はそれを煩わしいとしている虎だろうか。

「警邏だよ。この辺りには獰猛な肉食獣ーーライオンが出たことがあるからね、冬籠りの準備を急ぎすぎてけが人がでたらおおごとだ」

 司は事前に考えておいた言い訳を連ねた。
 言い訳、といっても実際にその危険性はあるわけだし、ライオンとなればこの国トップクラスの武力を持つ自分たちでなければ対応できない。彼女にはこの言い分を否定する材料は無かった。

「そうでしたか」ナマエは頷いた。「兄さんのマントが泥だらけだったし、司さんの毛皮も汚れていましたし、随分と遠くまで探索に行ったのかなって。心配だったから」
「……うん。大丈夫だよ」

 司は微笑んだ。
 心配性なのか、目敏いと表現すべきか迷った。身内の氷月に対してはともかく、たった数日しか知らない仲の司に対して違和感を覚えるぐらいには勘が冴えている。勘、と言うよりも注意力が人一倍なのだろうか。

「ーーあ、司さん。肩に何か落ちてます」

 伸ばされた細い腕を、司は咄嗟に掴んだ。ナマエはびくり、と身を震わせたが、青い眼差しは司から視線を外さずに、司の次の出方を伺っていた。
 司が空いた手で肩を叩けば、予想通り石が音を立てて床に落ちて行く。それは、ただの石では無い。司が壊した石像の破片ーー人の肉片のようなものだ。大きなものだけ拾って、懐に収めた。後で、埋めなければ。

「すまない。その、人に触れられるのに慣れていなくてね」

 ナマエは目を丸くして、「ごめんなさい」と頭を下げた。小さなつむじに、司は口の中で苦いものが広がった。今更ながらにして、罪悪感と言うものが湧き上がった。

 ナマエの『兄さん』と兄を呼び、どこか世話焼きなところは司の妹、未来の姿を思い出させた。妹から、兄さんは友達作らんの?と無邪気な心配を投げられたのはいつだったか。

 破片は人の死体であり、引いては司の大きな罪の証左だった。火事を見れば赤あざの子が生まれるなどといった迷信は信じてはいないが、それでも、だった。彼女の手を汚したく無いし、石像の破片であることに気づいても欲しくない、そんな司のエゴが彼の体を動かした。


「ナマエ。……君は、お兄さんが人を殺したらどうする?いや、どう思う、かな」

 口からついて出た質問に、司は自分自身戸惑った。

 石像の破壊を躊躇しない、千空の言い方を借りれば人殺しの兄を、未来はどう思うだろう。
 これはかねてからの問いと言ってもいい。千空に対して、新世界を作ると宣ったときには清々しい心地だったの司だが、こうして生身で生活をしていると、常にこの疑問は付き纏っていた。

 未来は司の最愛の妹だ。司が作るのは、その妹がための世界とも言える。嫌われてもいい、彼女の笑顔が第一だった。……ただ、好かれたいとも願ってしまうのも兄心だった。


 司の質問に、彼女は要領を得ないような曇った面差しになる。

「兄さんが?心理テストにしては露骨すぎません?」

 当然の疑問だった。メンタリストのゲンの隣で言えば、きっと驚いた顔をするだろう。

「無駄話は嫌いかい」
「まさか!だけど、人殺しってだいぶ、過激な内容で……想像しにくくって……」ナマエは口元に手を当てがって、考え込むような仕草をした。「その、例えば縛られて、相手から一方的に殺されそうとかだったら、無事で良かったとは思う……かな」
「じゃあ反対に、一方的に、殺したとすれば?」
「……じゃあ、理由を聞きます。それから考えます」
「独善的なものだったらどうする?こいつがいたら自分の邪魔だから、だとか。こいつが気に入らない、だとか」

 淡々と、自分をなぞらえる形でたずねていく司の唇が、動くのを止めた。彼女の瞳がそうさせたのだ。そこにはまるで自分が傷つけられたかのような、哀愁が漂っていた。
 司が喋らなくなったところを見計らって、ナマエは言葉を選ぶようにしてゆっくりと切り出した。

「司さんは、兄さんと喧嘩でもしましたか?」
「え?」
「兄さんがそんな酷いことするわけないのに」

 彼女の声色には、兄を悪く言うなんて、と司を非難するような意思がはっきりとにじんでいた。それから逃れるように、「いや」と、司は視線を下ろした。

「そういう訳ではないよ。すまない、君の気持ちを損なわせるつもりはなくて。ただ、気になったんだ」
「……聞かなかったことにします」

 彼女は相変わらず渋い顔をして、司に向けた感情を隠さなかった。それほどまでに彼女は、兄を家族として真っ当な愛情を感じており、彼の善性を信じているのだ。
 ……きっと、未来だって兄の獅子王司の高潔さを信じている。

 石の中で眠る妹を思い描き、司は復活してから初めて顔を歪ませた。

  

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